第59話「地下へ」
コルヴォが去った、その夜。
ヴェルクが、祠でめずらしく、俺のほうから話しかける前に口を開いた。
「坊主。……潮時じゃ」
「潮時?」
「あの審問官。次に来る時は、証拠を掴んでか、あるいは、証拠なしで踏み込んでくる。オルフェとかいう爺の眼も厄介じゃ。……お前が、自分が『何者か』を知らんまま、あいつらと向き合うのは、もう危うい」
人形は、台座から降りた。
「見せたいものがある。……ずっと、見せずにきた。器が育つまで、待っておった。じゃが、もう待てん。ついてこい」
俺は、ついていった。ヴェルクが向かったのは、あの地下工房——ではなかった。工房のさらに奥。俺が、まだ足を踏み入れていなかった、闇のそのまた奥だった。
*
道は、下へ、下へと続いた。
地下工房の奥の壁にヴェルクが手を触れると、石が音もなく退いた。その先に下りの階段があった。工房のものより、ずっと古く、ずっと深い。角灯の火が、闇に呑まれそうになりながら俺たちは、降りていった。
静域。
村人が「禁足地」と呼ぶ、村の真下の一番深いところ。魔物すら、畏れて近づかない場所。そこへ俺は今、向かっている。俺の足で。
「ヴェルク。ここは」
「黙って、降りい」
ヴェルクの声は、緊張していた。千年、置物のふりを完璧にこなしてきた神様が初めて、声を震わせていた。
*
途中に、一つ扉があった。
巨大な両開きの、鋼鉄の扉。地下工房の石の扉とは、比べものにならない。人の三倍——いや、もっと高い。表面に、封印の幾重もの紋。そして、その封印は、明らかに「内側から何かが出ないように」施されていた。
俺の眼が、勝手に、開いた。
視ようとして——弾かれた。ヴェルクの器を視た時のような、白い光ではない。もっと、重い拒絶。この扉の向こうにあるものは、俺の眼を跳ね返した。ただ、扉越しに気配だけが、伝わってきた。
大きい。
一つじゃない。何十もの、巨大な鋼の気配。眠っている。息を潜めて。主を待つように。
「……ヴェルク。この扉の、向こうは」
ヴェルクは、答えなかった。
扉を一瞥しただけで、通り過ぎた。触れもせず、説明もせず。だが、その一瞬、人形の真鍮の目が、扉に向けた眼差しは——懐かしさと、痛みと、そして、静かな覚悟の混ざったものだった。
俺は、それ以上、聞かなかった。開かない扉には、開くべき時がある。あの夜、そう決めた。
「その先じゃ」とヴェルクが、扉のさらに奥を指した。「お前が、見るべきものは」
階段は、まだ、続いていた。
やがて、闇が開けた。広い、広い、空間だった。角灯の火では、天井も、奥も、見通せない。ただ、空間の中央に。
何か、巨大なものが、横たわっていた。




