第58話「沈黙の理由」
その夜、俺は、フィオナさんと二人で話した。
礼拝堂の祭壇の前だった。彼女が選んだ場所だった。破った報告書の、その責任を神の前で背負うつもりなのだと、俺には分かった。
「……礼を、言わせてください」
「やめてください」と彼女は、首を振った。「私は、教会を裏切りました。褒められることではありません」
「裏切ってない。あなたは、見たものを信じただけだ」
「同じことです。……教会にとっては」
彼女は、祭壇を見上げた。五大神の祭具が、並んでいる。そして、その端——古い祭壇に、なぜか、一つだけ空いた場所。何も置かれていない、六つ目の窪み。着任の日から、彼女がずっと気にしていたあの空席。
「領主様。一つだけ、聞かせてください」
「はい」
「あなたが直しているもの。魔物も、人も、物も。……あれは、悪いもの、ですか」
俺は、答えを探した。探して、正直に言った。
「分かりません。俺自身、自分が何なのか、まだ分かっていない。……ただ」
母の言葉が、口を、ついて出た。
「壊すためじゃなく、直すための手だ、と。昔、そう言われたことがあります。それだけは、信じてます」
フィオナさんは、長いこと俺を見て——それから、初めて、笑った。生真面目な、あの人のぎこちないけれど、あたたかい笑みだった。
「……なら、十分です」
*
翌朝、コルヴォが発つことになった。
数日の監察で、彼は、決定的な証拠を何一つ掴めなかった。村人の口の堅さ。フィオナさんの破られた報告書。オルフェの「帳簿に載っていない」という、証拠にならない証言。全部が、闇の中に沈んだ。
だが、コルヴォは落胆していなかった。むしろ、満足そうですらあった。
「実り多い、監察でした」
鞄を背負いながら、彼は言った。
「証拠は、ありません。ですが、確信は、深まりました。……この村には、何かがある。それも、教会が千年、探し続けてきた『何か』に、繋がる何かが」
心臓が、跳ねた。千年。この男は、今、千年、と言った。
「審問官どの。あなたは、いったい、何を探している」
コルヴォは、微笑んだ。柔らかく、そして、初めて、少しだけ寂しそうに。
「……さて。それは、私にも半分しか、分かりません。内陣は、記録を代々受け継ぎます。ですが、一番古い記録の一番大事な部分は——理由が、抜け落ちている。『これを見張れ』とだけ書いてある。『なぜ』が、ない」
彼は、村の北——静域の方角を見た。まっすぐに。何かを知っているように。
「私は、その『なぜ』を知りたいのです。千年、誰も問わなかった『なぜ』を。……それが、私という因果な男でしてね」
そして、彼は、馬に乗った。
去り際、肩越しにあの柔らかい声で。
「領主どの。今日のところは、引きます。……ですが」
崖の目とも、剣聖の目とも違う。もっと静かで、もっと、諦めの悪い目だった。
「また来ます。必ず。……私は、答えの出ていない帳簿を、閉じられない性分なので」




