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第56話「台帳の男」

コルヴォの帳面には、俺の人生が、数字で書いてあった。


「聖暦一〇一二年、六歳。ハーヴェル男爵家三男、アルト。鑑定結果——回路なし。……無録(むろく)、というやつですな」


心臓が、跳ねた。俺のあの鑑定記録が、聖都の書庫を経て、この男の手にある。


「回路なしの子供は、大陸に珍しくありません。年に何百人と出る。……ですが」


コルヴォは、頁をめくった。


「回路なしと記録された者が、辺境に流れ、半年で廃村を蘇らせ、魔物の大群を鎮め、神授の兵を一夜で直す。……これは、年に何百人も出ません。というより——歴史上、一人もいない」


数字だった。この男は、剣も術も使わない。ただ、数字を並べる。並べられた数字は、どんな尋問より、逃げ場がなかった。


「討伐報奨、ゼロ。産品の質、規格外。被害、ゼロ。……この村の帳簿は、一行ごとに、常識を外れている。一行なら、偶然。二行なら、幸運。だが、全部の行が外れているなら——」


コルヴォは、帳面を閉じた。


「それは、もう、意志です。誰かの意志が、働いている」



俺は、領主の顔で応じた。数字には、数字で。


「恐れ入りますが、審問官どの。数字が『常識を外れている』ことは、罪ですか」


「いいえ」


「では、私は、何を疑われているんです」


「何も」


コルヴォは、微笑んだ。柔らかく。


「まだ、何も。私は、疑いを証拠なしに口にしない主義でしてね。……ただ、『気になる』のです。気になったものを、放っておけない。それだけの、因果な性分です」


話が通じてしまう。それが、この男の、一番の恐ろしさだった。怒鳴られたほうが、まだ、楽だった。理を尽くして、静かに外堀を埋めてくる。反論すればするほど、こちらの輪郭が、はっきりしていく。



コルヴォは、村に数日、滞在した。


その間、彼は、フィオナさんを呼んだ。


「司祭見習い殿。あなたは、教会の目として、この村に遣わされている。……この村で、教義に反することが、起きていないか。魔物との不適切な関わりはないか。定期の報告を、私に上げていただきたい」


命令だった。断れる、立場ではなかった。フィオナさんは、青い顔で、頷くしかなかった。教会が、彼女を村を見張る「目」にした。彼女自身の、意志とは、関わりなく。



コルヴォが、村を検分して回る間。


俺は、マルタ婆さんと二人になった。婆さんは、渋い茶を啜りながら、ぽつりと言った。


「……銀の坊。あの審問官な、あたしゃ、初めて見る顔じゃない」


「え?」


「いや、あの男は初めてさ。だが、ああいう連中は、昔っから、来るんだよ。この村に」


婆さんの目が、遠くを見た。この村の記憶そのものの目だった。


「あたしが子供の頃も、その前も、その前も。……この村の領主はね、銀の坊。どれだけ逃げても、死んでも、必ず、次が補充されたのさ。誰も欲しがらん、税も穫れん、こんな辺境にだよ。おかしいと思わんかい」


「……補充、された」


「巡察もだ。飢饉の年で、他の村が見捨てられても、この村の巡察だけは、絶えなかった。……まるで、誰かが、この村を無人にしたくないみたいに、ね」


俺は、背筋に冷たいものを感じた。


捨てられた村。誰も欲しがらない土地。俺が「捨てられた」と思っていた、この場所。それが——千年、誰かに、見張られ続けてきた。無人にならないように。領主を絶やさないように。巡察を絶やさないように。


「……マルタさん。それって」


「知らないよ。婆の勘さ」


婆さんは、渋い茶を飲み干した。


「ただね。あの審問官が、その『誰か』の、正体に一番近いとこにいる。……あたしの勘は、そう言ってる」

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