第52話「ボルト一本」
翌朝、帝国の野営は、騒然となった。
俺は、村の畑で、素知らぬ顔をして土を起こしていた。起こしながら、街道の方角の悲鳴じみた歓声に、耳をそばだてていた。
「動いた!! 動いたぞ!!」
「昨日まで、うんともすんとも……なんで!」
「見ろ、駆動の芯が通ってる! 誰だ、いじったのは!」
一本だけ、のはずだった。
四分の一回転、締めただけ。だが、アルマの設計は、恐ろしく精緻だった。あの一本は、いわば、詰まっていた血管の栓だったらしい。栓が抜けたことで、止まっていた力が、全身を巡り始めた。半分も出ていなかった駆動が、七割方まで——素人目にも分かるほど、蘇っていた。
「三秒」の代償は、少々、大きすぎた。
*
技師たちの興奮は、その日、収まらなかった。
彼らは、アルマの全身を検分し、「昨夜、何者かが、たった一本のボルトを、完璧な角度で締め直した」ことを、突き止めた。職人は、職人の仕事を、見抜く。そして、見抜いた上で——畏怖した。
「このボルト、劣化の起点だ。ここが緩むと連鎖する、って、うちの工房長が十年言い続けてた場所だ」
「それを、一本だけ? 他は触らずに? ……分かっててやってる。この一本が『芯』だと、分かってる奴の仕事だ」
「そんな整備兵、帝国に何人いる。……いや、いない。工房長でも、こうは締められん」
噂は、その日のうちに、生まれた。
——北の辺境に、伝説の整備兵がいる。
一本のボルトで、死んだ神授の兵を蘇らせる、名も知らぬ達人が。
*
俺は、頭を抱えた。
「やっちまった……」
祠のヴェルクは、腹を抱えて笑っていた。
「ふぉっふぉっふぉ! 一本! たった一本で、伝説になりよったわ! ええか坊主、これが『祈り』の恐ろしさよ。お前が本気で物に向き合えば、一本のボルトすら、嘘をつけんのじゃ」
「笑い事じゃない」
「笑い事じゃよ。……まあ、直に、笑えんようになるがの」
その「直に」は、翌日、来た。
*
翌日の昼、街道を、一騎が引き返してきた。
ヘルガだった。しんがり隊のアルマ復活の報せを聞いて、引き返してきたのだ。彼女は、村の入り口で馬を降り、まっすぐ俺のところへ来た。
崖の目とも違う、あの、嘘と本気を見分ける目で、俺を見た。
「領主どの」
「……剣聖どの。お忘れ物ですか」
「探し物だ」
ヘルガは、単刀直入だった。
「昨夜、うちのアルマを、たった一本のボルトで蘇らせた、整備兵がいる。……帝国の工房長でも出来ん芸当だ。わたしは、その男を探してる」
「はあ。腕のいい方が、いるものですね」
「とぼけるな、と言いたいが」
彼女は、少し、笑った。今度は、目も、少しだけ笑っていた。
「あんたが『整備兵』だとは、言わん。魔物を鎮めたのも、アルマを直したのも、あんただと決まったわけじゃない。証拠はない。……だが、領主どの。この村には、そういう『名も知らぬ達人』が、多すぎる。魔物を散らす達人。型を極める職人。ボルト一本の整備兵。……全部、別人だと?」
俺は、答えなかった。
答えないことが、この村では、一番、無難な答えだった。




