第51話「動かない神兵」
「アルマ、というのじゃ」
夜、祠で、ヴェルクは、その名を口にした。いつもより、慎重な声だった。
「神授の兵、と教会は呼ぶ。……五国が、後生大事に抱えとる、戦利品よ。動く鎧の巨人じゃ」
「戦利品? 作ったんじゃなくて?」
「作れやせん、今の連中には。あれは、遥か昔に作られたもんじゃ。拾って、聖別して、『神様がくださった』ことにしとる。……新しく作ることも、まともに直すことも、誰にもできん。だから、千年かけて、少しずつ、壊れていっとる。あの、街道で止まった一体みたいにな」
俺は、昼間見た、あの巨人を思い出した。ひどい劣化。半分も出ていない力。そして、あの、懐かしい「手」の匂い。
「ヴェルク。あれ……あんたの、匠の?」
ヴェルクは、答えなかった。答えない、が答えだった。
*
問題は、俺の指が、疼いて仕方がないことだった。
翌日も、帝国のしんがり隊は、街道で立ち往生していた。アルマは、ぴくりとも動かない。技師たちが交代で潜り込んでは、油まみれになって出てきて、頭を抱えていた。村人は遠巻きに見物し、子供たちは「動く鎧」に大興奮していた。
俺は——見ないようにしていた。
見れば、視えてしまう。視えれば、直したくなる。あの劣化した図面が、頭の中で、悲鳴を上げている。摩耗した軸受け。ずれた噛み合わせ。抜けかけた——ああ、あのボルト。あそこの、一本。あれを、四分の一回転、締め直すだけで、駆動の芯が、通る。三秒だ。三秒で、済む。
「アルト様。顔が、こわい」
ミナが、俺の袖を引いた。
「よだれ、垂れそう」
「垂れてない」
「垂れそう。……直したいんでしょ、あれ」
十歳の弟子は、師匠のことを、よく分かっていた。
「直したい。死ぬほど直したい。……でも、駄目だ」
「なんで」
「あれを直したら、俺が『何者か』が、ばれる。剣聖も、技師も、みんな見てる前でだ。……我慢だ、ミナ。これは、我慢の稽古だ」
ミナは、しばらく考えて、それから、ぽつりと言った。
「アルト、いつも、我慢してるね」
刺さった。十歳の言葉は、時々、大人の百倍、刺さる。
*
その日は、我慢した。
一日じゅう、我慢した。技師たちが夕方、諦めて野営の支度を始めるのを、我慢して見送った。夜、村に帰って、飯を食って、我慢した。寝床に入って、目を閉じて——ボルト。あの、一本の。四分の一回転。三秒。
我慢、した。
寝返りを、七回、打った。
……我慢、した。
*
——気づいたら、俺は、月明かりの街道に、立っていた。
野営の焚き火は、とうに落ちている。技師たちは、天幕で眠りこけている。見張りの兵が一人、うつらうつらしている。そして、その傍らに、動かない鋼鉄の巨人が、月光を浴びて、佇んでいた。
我ながら、どうかしている。フラグの管理には定評があったはずの、俺が。
だが、体が、勝手に、動いていた。
音を立てず、巨人の足元に、しゃがむ。装甲の隙間に、手を差し込む。図面が、視える。あの、ボルト。抜けかけた、一本。指先が、それに、触れる。
「……一本だけ」
俺は、月に向かって、言い訳をした。
「一本だけ、だからな。全部は、直さない。ただ、一番、悲鳴を上げてる、この一本だけ。……四分の一回転。それで、この子は、少し、楽になる。それだけだ」
くり、と。
ボルトを、四分の一回転、締めた。




