第5話「井戸と屋根と」
翌朝から、俺は領主の仕事を始めた。といっても、徴税も裁判も、この村には存在しない。あるのは、壊れた物だけだ。
つまり、天職である。
「順番を決めるぞ」
領主館の埃を払った机に、板切れを並べた。前世の癖で、やることは全部書き出す。優先順位は、命に関わる順。
「一に水。二に屋根。三に塀。畑は土を見てから。……ヴェルク、あんたは」
「わしは監督じゃ」
人形は机の上にどっかり座った。働く気は一切ないらしい。神様なので。
ただし、この監督、口だけは出す。しかも的確に出す。
「井戸からやりたいのは分かるがの、坊主。やめとけ」
「なんで。水が最優先だ」
「村の真ん中じゃからよ。……お前のその力、村の連中の目の前で、どこまで見せるつもりじゃ?」
言葉に詰まった。
《万象修復》は便利すぎる。触れて、願って、終わり。継ぎ目も鑿の痕も残らない。つまり——手品にしか見えない。そして手品にしか見えない技は、この国では「物の声を聞く者」の技だ。密告一つで聖都送り。この村の連中がそういう手合いには見えないが、「見えない」で命を張るのは、設備屋のやることじゃない。
「……手仕事で直せる物は、手で直す。力は、見えない所の仕上げだけ」
「上出来じゃ」
というわけで、俺の修復ラッシュは、地味に始まった。
*
最初の三日は、屋根だった。
領主館ではなく、村で一番ひどい家から。独り暮らしの爺さんの家で、屋根板が三割方飛んでいて、雨の日は土間に椀を並べて寝ているという。梯子をかけ、使える板を選り分け、駄目な板は下ろして、骨組みの歪みは——手で押さえたふりをして、力で戻した。見えない所の仕上げだけ。約束通りだ。
三日目の昼に屋根が塞がると、爺さんは屋根と俺を三回ずつ見比べて、それから黙って、昼飯の芋を半分くれた。
四日目からは、次の家。五日目には、手伝いが現れた。あの大剣の女——ザラという名前だと、この時知った——の連れの、元兵士らしき男二人だ。無口だが、力仕事の段取りが骨身に沁みている。梯子の押さえ方ひとつで分かる。現場の人間だ。
「隊長が」と大柄な方が言った。「屋根から落ちて死なれると、村の縁起が悪いと」
「隊長?」
「ザラ隊長」
除隊しても隊長は隊長らしい。ありがたく押さえてもらった。
七日目。塀の崩れ目を積み直していたら、納屋の陰からずっと見ていたちびすけ——ミナというらしい——が、初めて口を利いた。
「ねえ。なんで直すの」
「壊れてるからだ」
「ふうん。……へたくそ」
「どこがだ」
「石。そこ、明日落ちる」
見ると、確かに、いま積んだ角の石の座りが甘い。図面で視れば分かるずれだが、俺は今、目視で積んでいた。恐るべし、十歳。俺は黙って積み直した。ミナは「ふん」と言って消えた。以後、彼女は俺の現場に、毎日「ふん」をしに来るようになった。
*
十日目に、井戸に手を付けた。
板を剥がし、中を検分する。石組みが二箇所崩れて、水脈の口を塞いでいた。崩れた石は井戸の底。つまり、誰かが降りて積み直すしかない。
「俺が行く。一番軽いのは俺だ」
ミナが「あたし」と手を挙げたのは全力で却下した。
縄で吊られて、暗い井戸を降りる。底は冷たくて、静かだった。崩れた石に触れる。図面が開く。あるべき組み方が、光の線みたいに視える。ここは深くて暗い。誰の目もない。
「——戻れ」
石が、鳴った。
組み直される石の、こつ、こつ、という音が井戸の筒に反響して、上まで届いたらしい。引き上げられた時、井戸の周りには村人が半分がた集まっていて、全員が井戸を覗き込んでいた。
底から、水音がしていた。塞がれていた水脈が、思い出したように湧き始めた音だった。
「まだ濁ってます。三日晒せば飲めるはず——」
言い終わる前に、隣の婆さんが俺の手を掴んだ。皺だらけの、小さい手だった。
「ありがとうねえ。ありがとうねえ、領主様」
「あ、いえ。その」
俺は、固まった。
礼を言われる側の作法を、俺は知らない。無録様は、礼を言われない。十二年間、一度も。だから、こういう時にどんな顔をすればいいのか、データがない。
「……井戸は、公共インフラ、なので」
いんふら、と婆さんは首を傾げた。当たり前だ。俺は婆さんの手を、握り返すこともできないまま、ぎこちなく引っこ抜いて、道具を片付けるふりをした。耳が熱かった。
その晩、祠でヴェルクに言われた。
「坊主。お前、直すのは天才じゃが、受け取るのは壊滅的じゃな」
「うるさい」
「なに、案ずるな。そういうのもな——おいおい、直るもんじゃ」
人形は笑った。俺は聞こえないふりをした。
*
夜半。
小便に立って、戻る途中で、足が止まった。
村の外周。崩れかけた塀の、向こう。
闇の中に、目がひとつ——いや、一対。金色の目が、じっと、こちらを見ていた。
犬、にしては高い。人の胸ほどの高さに、その目はあった。




