第4話「工匠神ヴェルク」
人形が喋った場合の正しい対応手順は、どの作業標準書にも載っていない。
「……ええと」
「うむ」
「返品は、受け付けてません」
「直しておいて返品とは何じゃ」
人形は——喋る人形は、台座の上で器用に足を組んだ。造ってやった左腕の具合を、まだ嬉しそうに確かめながら。
「まず礼を言おう。よい腕じゃった。芯の油まで替えたのは近年……いや、千年で初めてじゃ」
「千年」
「うむ」
「あんた、何なんです」
人形は少し黙った。値踏みの目、というのはこの村で三度目だが、これはそのどれとも違った。深かった。真鍮の目の奥に、底の見えない何かがあった。
「——わしはヴェルク。忘れられた、工匠の神じゃ」
*
神。
前世の俺なら鼻で笑った。だが今世の俺は、六歳の鑑定で司祭が俺の中の「回路」を視るのを実際に見ているし、洗礼で加護とやらを授かった奴が素手で岩を割るのも見ている。この世界に神はいる。五柱。教会が祀る五大神。
「工匠の神なんて、聞いたことがない」
「じゃろうな。忘れられた、と言うたはずじゃ」
「五大神の親戚か何かで?」
「……まあ、遠からず、じゃな」
後から思えば、この時のヴェルクの言葉選びは、徹頭徹尾こうだった。嘘は、ひとつもない。ただ、全部でもない。当時の俺にそれを見抜けというのは無理な話である。
「工匠の神への祈りはな、坊主。礼拝ではない」
ヴェルクは自分の新しい左手を、ゆっくり開いてみせた。
「作ること。直すこと。それ自体が祈りよ。……お前さん、昨日から夜通し、わしを直しておった間、何か考えとったか」
「いえ。何も」
「じゃろう。あれが祈りじゃ。千年ぶりに捧げられた、極上のな」
だから少しだけ力が戻った、とヴェルクは言った。喋れる程度、動ける程度。神を名乗るには、我ながら情けない量じゃがの、と。
「そこでじゃ、坊主。契約せい」
「契約」
「お前はわしに祈りをよこす。どうせ黙っておっても直すのじゃろ、お前は。わしはその祈りで在り続ける。代わりに——お前のその眼に、手を貸そう」
「……眼?」
「視えておるんじゃろう。物の、あるべき形が」
心臓が、嫌な跳ね方をした。
十二年間、誰にも言っていない。母にすら、はっきりとは。物の声を聞く者は「不吉」だ。教会に通報される。俺は反射的に戸口を見て——それから、目の前の相手が人形であることを思い出した。通報も何も、こいつ自身が大概、教会的にアウトである。
「あれは《神匠の眼》と呼ばれたものじゃ」
「しんしょう……?」
「昔の言葉での、まあ、偉い職人の言い回しじゃな」
ヴェルクはさらりと流した。流されたことに、俺が気づくのはずっと後だ。
「眼は物のあるべき姿を教える。じゃが、お前の手は人の手じゃ。木を削り、油を差し、一日がかりで直す。……わしと契約すれば、そこに橋が架かる。眼が視た『あるべき形』へ、触れた物を、還せるようになる」
「還す?」
「やってみるのが早かろ。——ほれ、その椀」
台座の脇の、供え物の椀。縁が欠けて、罅が入っている。俺は言われるまま、それを手に取った。
「眼で視ろ。あるべき形を。……そうじゃ。ほんで、願え。『戻れ』と」
罅の入った椀。頭の中には、とっくに図面が開いている。欠ける前の、完全な形。いつも通りの、現実と図面のずれ。いつもなら、ここから漆を練って、金継ぎの段取りを組んで——
「戻れ」
——ずれが、消えた。
音もなかった。光もなかった。ただ、手の中の椀が、欠ける前の椀になっていた。罅の走っていた面を指でなぞる。何もない。継ぎ目も、直した痕も、何も。
「なん……」
膝から力が抜けて、俺はその場にへたり込んだ。椀は抱えたままだった。落として割ったら、また直せばいいのだが、それとこれとは話が別だった。
「《万象修復》。触れた物を、あるべき状態へ還す力じゃ」
ヴェルクの声は、静かだった。
「言うておくがの、坊主。それは椀を『新品にする』力ではない。あるべき姿に『還す』力じゃ。……この違いが分かるのは、直す側の人間だけじゃがな」
分かる。分かってしまった。だから多分、俺はこの時もう、契約とやらを受けていたのだと思う。手続きも署名もなかった。ヴェルクいわく「祈った時点で成立しておる」とのことで、後から考えるとかなりの押し売りである。
「対価は」
一応、聞いた。うまい話には裏がある。転生してまで痛感したくない教訓だ。
「祈り。つまり、お前が勝手にやることじゃ。……ああ、それと」
人形は台座から、よいしょ、と降りた。膝丈の神様は、傾いだ祠の戸口から、外を指差した。
崩れた石塀。穴の空いた屋根。死んだ井戸。草に還った畑。俺の領地。俺の、十七人の村。
「この村、直しがいがあるじゃろ」
神様は、実にいい性格をしていた。




