第3話「壊れた人形」
朝になってから、祠を検分に行った。
夜中に視線を感じた場所へ夜中に突っ込んでいくのは、ホラー映画で最初に死ぬやつの動線である。俺は死亡フラグの管理には前世から定評があった。何しろ一度しか死んでいない。
日の下で見る祠は、ただの朽ちかけた石積みだった。屋根石が割れて、隙間から蔦が入り込んでいる。扉代わりの板は蝶番が片方外れて、傾いだまま固まっていた。
「……開けますよ。俺、いちおう領主なので」
誰にともなく断って、板を持ち上げるように開ける。
中は、思ったより広かった。そして、思ったより整っていた。石の台座。供え物の椀——空だが、割れてはいない。誰かが、ごくたまにだが、ここを掃除している。
その台座の上に、人形が座っていた。
高さは俺の膝丈ほど。木と、真鍮と、革。指が五本ずつ、きちんと造り分けられた絡繰り人形だ。服は色褪せて元の色も分からないが、仕立ては丁寧だった。そして左腕が、肩の付け根からごっそり欠けている。膝の上には、外れたらしい部品がいくつか、几帳面に並べて置いてあった。
まるで「直してくれ」と言わんばかりの並べ方だった。
「…………」
見なかったことにしよう、とは思ったのだ。本当に思った。得体の知れない祠の、得体の知れない人形である。関わっていいことは何もない。俺は静かに板戸を閉め、三歩歩き、立ち止まり、戻って、もう一度開けた。
駄目だった。
壊れた物を前にすると、こうなる。六歳からずっとだ。目を逸らしても、頭の中に「あるべき形」が浮かんで、現実とのずれが、ずっと、ずっと、疼く。放置された虫歯みたいに。
しかも、この人形。
「……いい仕事、してるんだよなあ」
指の関節ひとつ取っても、今のギルドの聖認型なんかより数段上だ。誰が作ったのか知らないが、作った人間は、指がどう動くべきかを骨の髄から理解している。こんな物が、なぜこんな場所で、腕を欠いたまま座っているのか。
気づいたら、台座の前に工具袋を広げていた。
「失礼します」
人形に断って、両手でそっと持ち上げる。触れた瞬間——いつものあれが、来た。
頭の中に、図面が開く。
──設計図──
絡繰り人形/全高一尺四寸
主材:星梨の木、真鍮、革帯
可動:頸二軸、肩三軸、肘一軸、指各三節……
欠損:左肩関節受け(割損)、左上腕以下(部品散逸、うち小部品は膝上に保管)
劣化:駆動芯の油切れ、革帯の硬化
備考:構造に無駄が一切ない。設計者は天才か、変態か、その両方
──────
最後の一行は俺の感想である。図面は嘘をつかないが、感想くらいは言わせてほしい。それくらい、見事な設計だった。
そこからのことは、正直、あまり覚えていない。
膝の上の部品を並べ直し、足りない受けの部品は、持ってきた真鍮の端材から削り出した。革帯は油を含ませて揉み戻す。駆動芯に油を差し、欠けた左腕は——完全な複製は無理だが、図面が「こうあるべきだ」と教えてくれる形に、木を削って組んだ。
手を動かしている間だけ、世界は静かだ。
ずれていた物が、あるべき場所に、かちりと嵌まっていく。その音だけが積み重なっていく。前世で機械に囲まれていた時も、今世で納屋の裏に隠れていた時も、ここだけは同じだった。ここだけが、俺の場所だった。
顔を上げたら、祠の外が茜色だった。
西日の茜ではなかった。光は東から差していた。——朝焼けだ。
「……嘘だろ。夜通し?」
昼も、夜も、食べた記憶がない。持ってきた手燭の蝋が、根元まで溶け落ちている。夜の記憶すら、手の中の作業の記憶しかない。腰が軋む。指先は真鍮の粉で汚れて、けれど台座の上には——両腕の揃った人形が、座っていた。
我ながら、いい仕事だった。左腕だけ木の色が新しいのはご愛嬌だが、関節の渋みは全軸揃えた。これなら作った奴に見せても、まあ、殴られはしないだろう。
「勝手に直して、すみませんでした」
道具を仕舞い、人形にもう一度頭を下げて、俺は祠の板戸に手をかけた。
その時。
きり、と背後で音がした。
絹を裂くような、繊細な、歯車の音。振り向く。
人形が、自分の右手を持ち上げて、開いて、閉じて——それから新しい左腕を持ち上げて、同じように、開いて、閉じた。確かめるように。慈しむように。
俺は動けなかった。悲鳴を上げなかったのは、多分、職人としての意地だけだ。
人形は自分の両手をしばらく眺めたあと、顔を——真鍮の目を、こちらに向けた。
そして、しゃがれた、けれど確かに愉快そうな声で、言った。
「——千年ぶりに、まともな仕事を見た」




