第43話「黒煙」
黒煙は、昼になっても消えなかった。
三筋あった煙は、風に流れて一本の帯になり、北の空を灰色に汚していた。距離からして、緩衝帯の、奥。狩人の足で、一日半ほどの、北の巣の、あたりだ。
「山焼き、じゃないですよね」
「この時期に、あの規模の火を入れる馬鹿はいない」
ザラは、大剣を背負ったまま、じっと北を見ていた。その横顔が、俺の知らない顔だった。村に来てからのザラは、姉御肌の防衛隊長で、年寄りに早朝訓練を課しては総スカンを食っている。だが今、北を見ている女は——兵隊だった。現役の、戦場を知っている兵隊の目だ。
「アルト様。俺の勘だが」
彼女が「俺」と言うのは、兵隊の顔の時だけだと、俺はこの時、知った。
「あれは、討伐だ」
*
昼過ぎに、避難民が来た。
三家族ほど。北の緩衝帯の、名も知らぬ小集落の者たちだった。荷車に家財を積み、子供を抱え、疲れ果てた顔で街道を南へ下ってきた一行を、村総出で迎えた。ハンナさんが鍋を火にかけ、フィオナさんが礼拝堂を開けて寝床を作った。
事情は、彼らの震える口から、切れ切れに聞けた。
「討伐隊が……帝国の、駐留軍の討伐隊が、来たんだ」
「北の巣を、焼いた。ずっと大人しかった巣を、わざわざ」
「けど、しくじった。魔物が、怒って、あふれ出した。うちの村は、逃げるので精一杯で……」
俺は、ザラを見た。ザラは、動かなかった。避難民の話を聞く間、彼女は一言も口をきかず、ただ、拳を握っていた。指の関節が、白くなるほど。
「なぜ、大人しい巣を焼くんです」
俺の問いに、避難民たちは、力なく首を振った。彼らには分からない。ただ災難として、降ってきた火事なのだ。
だが、ザラには分かっているようだった。分かっていて、言わない。それが、彼女の握った拳の意味だった。
*
その晩、リエラが定期の商いで村に着いて、状況を聞くと、青ざめた。
「まずいわよ、アルト。避難民が来たってことは、街道が乱れてるってこと。乱れた街道は、次の何かを連れてくる」
「次の何か?」
「魔物か、兵隊か。……どっちも、ろくなものじゃない」
商人の勘は、当たる。俺はこの村に来てから、それを何度も思い知らされている。
夜半、俺は祠に寄って、ヴェルクに聞いた。
「なあ。北の巣が焼かれた。魔物があふれた。……あいつら、どっちへ行くと思う」
ヴェルクは、しばらく黙っていた。それから、静かに言った。
「怯えた獣は、二つに分かれる。逃げる者と、寄る者じゃ」
「寄る?」
「怖い時ほど、拠り所へ寄るもんよ。……この哭原の獣にとって、拠り所は、一つしかない」
俺は、言葉の意味を、ゆっくり噛んだ。この村の魔物たちが「寄る」場所。療治場。シルヴァの線。つまり——
翌朝、シルヴァが、線を越えて村の中まで走り込んできた。
初めてのことだった。あの賢い銀狼が、掟を破って。全身の毛を逆立てて、俺の前で、北を向いて、低く、長く、吠えた。
警告だ、と体で分かった。
その背後、北の地平に、土煙が上がっていた。
「群れが」
ザラが、大剣を抜いた。
「群れが、こっちに来る」




