第42話「気づかれた」
「気づかれた、って——何にだ」
俺は、祠の屋根を見上げて聞いた。
「あの竜にか。竜が気づいたのは、何にだ。この村にか。……それとも、あんたにか」
ヴェルクは、答えなかった。
南の空を見たまま、小さな人形の背中は、動かない。いつもなら軽口の一つも返ってくる間が、過ぎて、過ぎて、過ぎていった。
「なあ、ヴェルク」
「…………」
「あんた、何を知ってる」
聞いてから、自分でも驚いた。この質問だけは、しないと決めていたのだ。契約の夜から今日まで。嘘は言わないが全部は言わない神様との付き合い方として、それが一番うまく回ると知っていたから。
だが今夜は、聞いてしまった。碑文の「神匠」。地下の工房。エレン様の中の楔。北を向いた千年の竜。分からないものが、道具箱の底に、もう入りきらなくなっていた。
ヴェルクは、ゆっくりと、こちらを向いた。
真鍮の目が、月明かりの下で、俺を見下ろした。
「……坊主。ひとつだけ、教えてやろう」
「ああ」
「わしはな——お前の敵になることだけは、天地がひっくり返っても、ない。それだけは、今、言い切れる。残りはまだ言えん。言えん理由も、言えん。……それでも、わしと組んでいられるか」
ずるい聞き方だった。
そして多分、精一杯の、誠実な聞き方だった。
俺は答える代わりに、一つ、試したいことを試した。ずっと、やらずにきたことだ。目の前の人形を——ヴェルクを、《神匠の眼》で、視る。
契約相手の図面くらい、見せてもらってもいいだろう。そう思って、意識を向けて。
「————っ」
眩しかった。
図面が、開かなかった。開く前に、視界が白く灼けた。物の図面はいつも、線と形で視える。生き物のは、熱と流れで。だがヴェルクのそれは——光だった。ただ、まっしろな光。近すぎる太陽を直視したときのように、意味のある形が、何ひとつ、読み取れない。
この世の何もかもが視えてきた俺の眼が、初めて、何も視えなかった。
「……ほう」
ヴェルクが、静かに言った。
「視たか」
「……視えなかった」
「じゃろうな」
それきり、だった。説明はない。俺は白く灼けた視界を瞬きで戻しながら、考えた。世界でただ一つ、俺の眼が読めないもの。それが何を意味するのか、俺には分からない。分からないが——一つだけ、確かなことがある。
読めないものの正体を、藪をつついて確かめる方法も、あるだろう。問い詰めて、揺さぶって、こじ開ける方法も。
だが俺は、修理屋だ。
無理にこじ開けた蓋は、必ず、歪む。開かない蓋には、開かない理由と、開くべき時がある。それを待てるのが、いい職人だ。
「……ヴェルク」
「なんじゃ」
「組んでるよ、この先も。敵にならないんだろ。なら、それでいい」
「————」
「その代わり、開くべき時が来たら、全部話せ。約束しろ」
人形は、長いこと黙って、それから、笑った。いつものふぉっふぉ、ではなかった。もっと小さくて、もっと古い、笑い方だった。
「……約束じゃ」
*
その、翌朝だった。
夜明け前の見回りに出ていたザラが、村の鐘——先月、俺が直したばかりの——を、三度、打ち鳴らした。
飛び起きて外に出ると、彼女は北を指していた。
夜明けの薄明かりの中、北の地平。緩衝帯の、奥のほうに。
黒い煙が、三筋、立ち上っていた。




