第41話「眠り丘が動いた」
報せは、リエラが運んできた。
定期の商いの日、彼女は荷下ろしもそこそこに、村の皆を井戸端に集めた。行商人が商売より先に噂を売るのは、よほどの大事である。
「——眠り丘が、動いた」
「……丘が、動く?」
「動いたの! 王都グラナの近くの、眠り丘! 知らない? 苔むした、こんもりした、大きな丘! あれがね、あれが——首を上げたのよ!!」
リエラの話は、こうだった。
五日前の夕暮れ、王都近郊の街道を行く者たちが、一斉にそれを見た。丘の一部が、盛り上がった。苔と土を纏った巨大な「頭」が、ゆっくりと持ち上がり——緑柱石の色の目が、開いた。
丘ではなかったのだ。誰も、丘だと思っていたものは。
「竜よ。守護竜ユグド様。テラ王国の……おとぎ話だと思ってた人も多かったのに、本物がいたの。千年、あそこで寝てたの!」
竜は、暴れもせず、吠えもしなかったという。
ただ、首を上げて——北を、向いた。
そして、そのまま、動かない。今も。五日間ずっと、北の空を見つめたまま、微動だにしない。王都は上を下への大騒ぎ。国王が急ぎ拝礼の使者を立てたが、竜は一瞥もしない。教会は「五大神の遣いが北の異変を案じておられる」と声明を出し、占い師たちは「北に何かが現れた」と騒ぎ、北方への物見遊山まで出始めているという。
「……北って」とハンナさんが呟いた。
「北よねえ」とマルタ婆さん。
村人たちの視線が、なんとなく、示し合わせたように、北の空へ向いた。哭原の方角。つまり——うちの、方角である。
「ま、まあ! 北は広いから!」リエラが慌てて手を振った。「帝国だって北だし! 大防壁も北だし! うちだけが北じゃないし!」
そうだ。北は広い。俺も声に出してそう相槌を打ちながら、内心では、あまり上等でない汗をかいていた。
心当たり、というほどのものはない。ない、が——ここ最近のわが村の「変」の蓄積を思うと、「北は広い」に全額を賭ける気には、なれなかった。
*
夜、祠に行った。
ヴェルクは、台座の上にいなかった。祠の屋根の上——環の夜と同じ場所に、ちょこんと座って、南の空を見ていた。
王都の方角を。眠り丘の、方角を。
「……聞いたか」
「聞いた」
人形は、振り向かなかった。
「竜が起きた。千年寝てた竜が、首だけ起こして、北を向いてるらしい。……こっちを、向いてるらしい」
「じゃろうな」
「じゃろうな、って、あんた」
「坊主」
ヴェルクの声は、静かだった。怒っているのでも、慌てているのでもない。ただ、深いところで、何かの覚悟の帳尻を合わせている声だった。
「あれはな、目がええんじゃ。誰よりも。……千年前から、そうじゃった」
千年前から。
その一言が、含む意味の大きさに、俺は口を噤んだ。こいつは、あの竜を知っている。名前ではなく、気性を。目の良さを。千年前から、と言った。つまり、あの竜が丘になる前を、知っている。
ヴェルクは屋根の上で、小さな木の膝を抱えた。
そして、誰に言うでもなく、呟いた。
「——……気づかれたか」




