第36話「型の外」
その晩、工房の火床の前で、男二人と人形一体の会議が開かれた。
出席者、俺、ガンツの爺さん。そして棚の上に、置物のふりを完全に放棄したヴェルク。
爺さんは、ヴェルクが口をきいた瞬間、鎚を取り落としそうになり、それから十秒ほど目を閉じ、開けて、言った。
「……祠の御神体が喋るくらい、この村なら、もう驚かん」
適応が早い。この村の年寄りは肝が据わりすぎている。
「話を整理するぞ、坊主」爺さんは火床に炭を足した。「お前の腕は、今までも型の外じゃった。だが『直す』だけなら、言い逃れが立つ。元に戻しただけです、でな。……じゃが『元より良うなる』のは、別の話じゃ」
「修理と改良の間に、法の線が引いてある」
「そうじゃ。線のこっちは職人。向こうは——落とし子じゃ」
火が、爆ぜた。
「わしの師匠はな、線の向こうで死んだ。型にない継ぎをひとつ、使うただけでじゃ。……お前のそれは、継ぎどころの話じゃない。触った物が、勝手に良うなっていく。隠しきれるもんか」
「制御を覚えるしか、なかろうな」とヴェルク。「《改良》は出さん、《修復》で止める——器の力の、手加減の稽古じゃ。……じゃが坊主、先に言うとくぞ。完全には、止まらん」
「止まらない?」
「祈りとはそういうもんじゃ。お前が本気で物に向き合うたび、力は「もっと良く」へ届こうとする。手を抜く稽古は、もう十分しとるようじゃが——これからは、本気を隠す稽古になる。ずっと、辛いぞ」
俺は、手のひらを見た。
六歳から隠してきた。視えることを隠し、聞こえることを隠し、腕を隠し、この村に来てからは力を隠し——そして今度は、本気を隠す。隠し事の階段を、また一段、上るわけだ。
「……いつまで、隠せると思う」
聞くともなしに聞いた言葉に、答えたのは爺さんだった。
「隠しきれるもんじゃない。時間を稼ぐだけじゃ」
爺さんは、火床の火を見ていた。
「じゃがな、坊主。時間はただの時間じゃない。稼いだ時間で、味方を増やせ。ワシも、婆さんも、剣のねえちゃんも、行商の娘っこも——お前が思うとるより、この村は、お前の味方じゃ。ばれる日が来た時、隣に何人立っとるか。それが全部じゃよ」
職人の言葉は、いつも実務的で、だからいつも、深いところに刺さる。
「……分かった。稽古する。爺さん、付き合ってくれ」
「言われんでも。……ふん。弟子が二人に増えたわい」
弟子。ミナと、俺のことらしい。悪くない響きだった。
*
《改良》抑制の稽古は、それから毎晩続いた。
爺さんが見守る中、壊れた金物を直す。力が「その先」に届きそうになる、その手前で、止める。例えるなら、くしゃみを噛み殺し続けるような作業である。三日で頭痛がした。七日目にようやく、十回に八回は止められるようになった。
「残りの二回が、命取りになるんじゃがの」
「言うな。分かってる」
——そんな、ある日の昼だった。
畑で稽古の成果(十回に九回になった)を確かめていると、街道の方角から、ミナが全速力で駆けてきた。
「アルト!! 変なのが来る!!」
「変なの?」
「馬車! すっごい馬車! 旗立ってる! 白い旗に、麦の穂の——」
麦の穂の紋。
フィオナさんが、井戸端で水盤を取り落とした。陶器の割れる音より先に、彼女の声が裏返った。
「み——御子様の、巡遊?!」




