第35話「器の熱」
異変は、地下工房の発見から数日後に始まった。
最初は、微熱だと思った。体の芯に、灯がともったような温かさ。だが熱の場所が、おかしかった。額でも喉でもない。もっと深い、体の内側というより——内側のさらに内側が、温かい。
「ヴェルク。俺は病気か?」
「ふぉっふぉ。逆じゃよ、坊主」
祠の神様は、妙に機嫌が良かった。
「器が育っとるんじゃ」
「器?」
「魂の、容れ物の話じゃ。……お前がこの村で祈った量——直した屋根、井戸、塀、農具、獣ども。積もり積もった祈りが、お前の器を一回り、押し広げた。あの工房でお前が捧げた祈りが、仕上げの一押しになったの」
「祈った覚えはないが」
「布を掛けたじゃろうが。作りかけの仕事に」
……あれが、祈りに数えられるのか。この神様の帳簿は、たまによく分からない。
「器が育つと、どうなる」
「入る力が、増える。……ま、じきに分かるわい」
*
じきに、分かった。
分かり方が、最悪だった。
リエラへの納品用に、折れた鍬を直していた時だ。柄と刃の継ぎを組み、仕上げに、いつもの通り、見えない所だけ力を借りる——「戻れ」。
——ぞわり、と。
体の芯の熱が、腕を通って、鍬に流れ込んだ。いつもの倍の量が、一気に。
手の中の鍬が、微かに、鳴った。
「……おい。待て。待て待て待て」
図面を開いて、血の気が引いた。直っていた。直りすぎていた。元の鍬は、良くも悪くも聖認型の量産品だ。だが手の中のこれは——柄の木目が握りに沿って流れ、刃の鋼は粘りを増し、重心は振り下ろしの軌道に合わせて半寸ずれて、いた。
元の形じゃない。元より、良い形だ。
「ヴェルク!!」
「おお、出たか」
祠に駆け込んだ俺に、神様は他人事のように頷いた。
「《改良》じゃ。器が育った分、力の届く先が伸びた。『あるべき形に戻す』の、そのさらに先——『もっと、あるべき形』へ届くようになったんじゃよ」
「戻せ! 元に!」
「戻せるわけなかろ。育ったもんは育ったんじゃ。……坊主、お前、背が伸びたのを戻せるか?」
正論だった。正論だが、事態は深刻だった。俺の力は今まで「元に戻す」だけだった。修理は合法。どれだけ完璧でも、理屈の上では「直しただけ」で通る。だが「元より良くする」は——型を、超える。
聖認型を超える物を作る者。それはこの国で、はっきりと、罪の名前を持っている。
*
そして、隠し事というものは、隠したい相手から順に、ばれる。
翌日、例の鍬を工房の隅に仕舞い損ねていた俺は、戸口に立つガンツの爺さんと、目が合った。
爺さんの視線が、俺と、俺の手元の鍬とを、往復した。
無言で歩み寄り、爺さんは鍬を手に取った。柄を握る。重心を確かめる。刃を、親指の腹で、そっと撫でる。職人の点検が一巡りして——爺さんは、深く、深く、息を吐いた。
「……坊主」
「はい」
「それは、型を超えとる」
知っています、という言葉は、喉の奥で消えた。爺さんの顔が、怒りでも呆れでもない、もっとずっと重いもの——あの幕間の夜と同じ、師匠を見送った男の顔をしていたからだ。




