第33話「地下遺構」
「開けるぞ」
石の扉に手をかけると、ヴェルクが肩の上で(定位置である。人形サイズの利点だ)短く言った。
「——待て、坊主」
「?」
「……いや。開けい」
一瞬の、あの「間」。言いかけてやめる時の間だった。俺は気に留めないふりをして、扉を押した。千年分の重さが、意外なほど素直に、開いた。蝶番に油が残っている。千年前の油が、まだ生きている。その意味を、この時の俺はまだ深く考えなかった。
角灯の明かりが、中を照らした。
「————」
工房、だった。
一目で分かった。石壁に沿って並ぶ、造り付けの作業台。壁一面の道具掛け——鎚、鑿、見たこともない形の工具が、寸分の狂いもなく整列している。奥には炉。天井には、明かり取りらしき縦穴の痕。中央の大きな台の上には、作りかけの何か——歯車の連なりが、埃を被って、置いたままになっていた。
作業を、中断した部屋だった。
片付けて出て行ったのではない。「すぐ戻る」つもりで、道具を置いて、出て行った部屋。そのまま千年、誰も戻らなかった部屋。
「……すごいな」
声が、勝手に漏れた。
道具掛けの鑿を一本、手に取る。図面が開く——驚いた。刃は死んでいなかった。芯の鋼が、まだ「仕事がしたい」形を保っている。前世で言うなら、油を差せば明日から動く工作機械が、埃の下に一列、眠っているようなものだ。
「ヴェルク。ここは、旧王国の?」
「……街道番の工房じゃろな。道を保守する職人の詰め所じゃ。こういうのが、街道沿いに、いくつもあった」
ヴェルクの声は、静かだった。いつもの講釈の調子ではなかった。人形の真鍮の目が、作業台を、道具掛けを、炉を、ゆっくりと、なぞるように見ていた。
千年ぶりの、里帰りみたいに。
「……あんた、ここを知ってるのか」
「知っとる、とも言えるし、知らんとも言える。……わしが知っとるのは、もっと大きい工房じゃ。ここは、その、孫のような場所よ」
もっと大きい工房。聞き流せない言葉だったが、ヴェルクはそれきり口を閉じた。
*
奥の壁に、それはあった。
石壁を一段彫り込んで、磨き上げた碑文の区画。街道番の工房の、いわば銘板だ。古い文字がびっしりと刻まれ——俺は読めないなりに、角灯を近づけた。
そして、気づいた。
文字列の、ところどころが——削られている。
風化ではない。鑿の痕だ。誰かが、意図をもって、特定の言葉だけを、丁寧に、執拗に、削り取っている。文章の流れの中の、ちょうど「名前」が入るべき場所だけを。
一箇所ではなかった。二箇所、三箇所……この碑文は、穴だらけだった。名前という名前が、全部、抉り取られていた。
「ヴェルク。これ——」
振り向くと、人形は、碑文を見上げたまま、動かなくなっていた。
置物のふり、ではなかった。あれは千年やってきた芸だから、俺にはもう見分けがつく。これは、ふりじゃない。
ただ、言葉が、出てこないのだ。




