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第30話「見送りの後」

その晩は、自然発生的に、宴になった。


祭りのような派手さはない。ただ、詰め所に村の大人が集まって、ハンナさんが鍋を出し、誰かが酒瓶を持ち込んで、「終わったなあ」を肴に飲む。そういう宴だ。護衛の仕事帰りのドガの組も、途中から混ざった。


「しっかし、あんたらもよくやるぜ」


ドガは酒を呷りながら、にやにやしていた。


「巡察官サマの馬車を直して看板もらうたぁな。……とぼけた顔して、領主様よ、あんた相当の狸だよ」


「偶然です。車軸が割れたのは」


「そうかい。ま、そういうことにしとこう」


崖の目が、笑っていた。この男の前では、大抵のことは「そういうこと」にしてもらっている。借りが積み上がる一方である。



夜が更けて、酒が回って、話が怪談じみてきた頃。


「——哭原(なきはら)の話、してやろうか」


ドガが、ふいに言った。


座が、少しだけ静かになった。この土地の人間にとって、哭原の話は、怪談の中でも別格の棚にある。


「もう、ずっと昔の話だ。聖都の学者先生の隊が、哭原の奥に入った。護衛の狩人を山ほど雇って、記録を取りに行ったんだと。魔物の縄張りのど真ん中へな。……で、どうなったと思う」


「全滅、ですか」とピンが聞いた。少年は宴の隅で、果実水の椀を抱えて聞いていた。


「一人だけ、帰った」


ドガは指を一本、立てた。


「たった一人。装備も荷も全部捨てて、着の身着のままで、緩衝帯まで這って出てきた。狩人がその男を拾った時にゃ、もう、まともじゃなかった。目の焦点が合わねえ。誰の言葉も届かねえ。ただな——死ぬまで、同じ言葉だけ、繰り返してたんだと」


ドガは、酒をひとくち飲んで、間を置いた。狩人は、話の間の取り方を知っている。


「——『あれは、泣いている』」


火が、()ぜた。


「奥で何を見たのか、結局、誰にも分からずじまいだ。学者先生の記録も残っちゃいねえ。ただ、その話が広まってから、あの原は『哭原』と呼ばれるようになった……って話だ。眉唾だと思うだろ? だがな、うちの親父も、その親父も、夜の緩衝帯であの「声」を聞いてる。風の音だって言うやつは、あの原の近くで寝たことのねえやつだけだ」


座が、しんとした。


マルタ婆さんだけが、静かに酒を舐めて、それから、誰にともなく言った。


「……泣いとるんだよ。昔っから、そう言っとろうに」


俺は、膝の上の拳を、そっと握った。


魔物は、泣いている。守るように縄張りを作り、治してやれば礼をして、村を襲わず——そして、原の真ん中に向かって、通夜の声で鳴く。


あの原の真ん中に、何があるんだ。


視線を感じて顔を上げると、宴の隅で、ピンがじっと俺を見ていた。目が合うと、少年はいつもの屈託ない笑顔に戻って、果実水を掲げてみせた。



翌朝、次の隊商が来て、ピンは発つことになった。


「世話になりました。飯、おいしかったです。特に麦粥」


「達者でな。……次はどこへ」


「風の吹くまま。——あ、でも」


少年は、荷馬車に飛び乗りながら、振り返った。


「面白い村だね、ここ。……また来るよ」


敬語が、最後だけ、外れた。それが妙に、様になっていた。


隊商が動き出す。村の皆が手を振る。ミナだけが腕を組んで「ふん」をしていた——が、その足元でポポが跳ねて見送っていたから、実質見送りである。


と。


塀の外れに、銀色が見えた。


シルヴァだった。


まだ、俺は「済み」の合図を出していない。療治場は閉めたままだ。あの賢い銀狼が、それを破って縄張りの奥から出てくるなど、初めてのことだった。それなのに——シルヴァは、遠ざかる荷馬車を、正確には、荷台の上の小さな背中を、じっと見ていた。そして。


深々と、頭を垂れた。


あの晩、俺にしたのと、同じ礼を。


「……おい、シルヴァ。あれは、ただの」


旅の子供だろう、と言いかけた俺の言葉は、風に流れて、誰にも届かなかった。



——街道を、荷馬車は行く。


御者も、隊商の親方も、気づかない。荷台の隅に座った少年の周りだけ、風が、じゃれつく子犬のように渦を巻いていることに。


少年は目を閉じて、風に頬を撫でさせながら、小さく笑った。


「……うん。すっごく、面白い村」


風だけが、その呟きを聞いた。


——メルの御子は、今日も自由だった。


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