第29話「巡察(後)」
「あれは?」
巡察官の問いに、俺の心臓は跳ねたが、口は準備どおりに動いた。
「古い土地神の祠と聞いています。由来は、村の誰も知らないそうで」
「無認可の祭祀は、教区への届け出義務がある」
「祭祀というほどのことは、何も。村の年寄りが、たまに掃除をするくらいです」
巡察官は祠へ歩いた。俺もついて行くしかなかった。フィオナさんが、少し遅れてついてきた。彼女の顔にも、わずかに緊張があった——この祠については、彼女自身、着任からずっと「祈りの気配が変」と言い続けているのだ。
巡察官が、傾いだ板戸を開けた。
夕陽が、祠の中に差し込んだ。
石の台座。供え物の椀。そして、膝丈の古い絡繰り人形が——頭に赤いリボンを結ばれ、隣に木彫りの兎人形(ミナ作)を並べられ、ちょこんと座っていた。
置物歴千年の実力は、伊達ではなかった。
そこにあるのは、どこからどう見ても「村の子供の遊び場になっている古い祠」だった。神威も、気配も、何もない。よく出来た古い人形が、埃っぽい夕陽の中で、ただの物として座っている。
「……人形?」
「子供が遊び場にしてまして。すみません、行儀が悪く」
「ふむ」
巡察官は身を屈め、人形に目を近づけた。俺の背中を、冷たいものが流れた。この男の目は照合の目だ。あの人形の造りの異常さ——聖認型のどこにもない、歌うような構造に、気づくか。
長い、三秒だった。
「……古いな。だが、よく出来ている」
「らしいですね。だから捨てられずに残ってるんだと」
「大事にすることだ。物を長く使う村に、悪い村はない」
巡察官は身を起こし、帳面に短く何かを記した。俺は肺の空気を、音を立てないように、ゆっくり入れ替えた。
*
去り際に、事件が起きた。
巡察官の馬車が、村の出口で、ごとりと嫌な音を立てて傾いだのだ。見れば、左の前輪。車軸の受けが割れていた。長旅のガタが、よりによってここで出た。
「……日暮れまでに麓へ戻れんな。修理の心当たりは」
あります、と言うしかなかった。というか、割れの形はとっくに視えていた。俺とガンツの爺さんは、工房から道具を運び、衆目の中で、修理を始めた。
例の力は、使わない。使えるわけがない。だから——手仕事で、型どおりに、二人がかりで直した。受け材を削り出し、焼きを入れ、輪金を締め直す。ごまかしも過剰品質もない、ただの、腕のいい職人の仕事を。
一刻半で、馬車は直った。
巡察官は車輪を検分し、軸を揺すり、それから初めて、帳面ではなく俺たちの顔を見た。
「……早いな。そして、確かだ」
「田舎は、直せないと暮らせないので」
「ふむ。——『リンデ村。特記なし。ただし修理の腕は良し』」
巡察官は、帳面に書き付けながら、声に出してそう言った。
「覚えておこう。この街道筋で車をやったら、リンデに寄れ、とな」
馬車が走り出す。教会の紋が、夕闇に遠ざかっていく。村の全員が、見えなくなるまで見送って——それから、誰からともなく、長い長い息を吐いた。
「……終わっ、た?」
「終わった、みたいだね」
「終わったぁ……!」
リエラがその場にへたり込み、ガンツの爺さんが無言で工房に戻っていき(今夜中に雨戸の砂を抜く気だ、あれは)、フィオナさんは礼拝堂に向かって深々と一礼した。
俺は、笑いを噛み殺していた。
「特記なし。ただし修理の腕は良し」——聞いたか。教会の公式記録が、俺たちに看板をくれたのだ。この村の異常な直りっぷりは、今日から「腕のいい修理屋がいる村」で説明がつく。堂々と、直せる。
隠れ蓑としては、上等すぎた。
*
——ただし。
俺たちがまだ知らないことが、一つだけあった。
巡察官の几帳面な帳面は、教区で清書され、写しが作られる。そして教区の記録の写しは、年に一度、すべて聖都ソリアの大書庫へ納められる。
「特記なし」の四文字も。
討伐報奨の、不自然な減少曲線も。
「回路なし」と記された、十二年前の、とある鑑定記録も。
全部、同じ棚に。




