↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
27/57

第25話「釘の声」

その日、俺たちは古い納屋を片付けていた。


村の共有納屋。詰め所の物資が増えて手狭になったので、長年開かずだった奥の納屋を使えるようにしよう、という段取りだった。中は黴と埃の王国で、ザラの部下二人が奥の古材を運び出し、ハンナさんの旦那さんが棚を検分し、ミナとピンが小物を箱に集めていた。


異変は、一瞬だった。


「——出て!!」


ミナが、突然叫んだ。


「みんな出て! 今すぐ! 上、落ちる!!」


声の鋭さに、理屈より先に体が動いた。ザラの部下が古材を放り出して飛び退き、俺は棚の前の旦那さんの襟首を掴んで戸口へ突き飛ばした。ミナがピンの腕を引く。全員が敷居を越えた、その一拍あと。


めき、と音がして——納屋の奥の梁が、落ちた。


積んであった古材ごと、床が爆ぜたような音を立てた。埃が戸口から噴き出して、しばらく誰も、口をきけなかった。


「……全員、無事か」


数えた。六人。無事だった。あの梁の下には、さっきまで二人いた。


「ミナ、でかしたぞ! よく気づいたな、あの梁の傾き——」


ザラの部下が言いかけて、ふと、言葉を切った。


「……いや。あの梁、傾いて、たか?」


視線が、ミナに集まった。


梁は天井の暗がりの中だった。埃と黴で、木目も見えない高さだ。傾きなんて、下からは分からない。俺には視えていた——芯まで腐って、あるべき形が悲鳴を上げていたのが。だが俺は、黙っていたのだ。人がいる前で「視える」わけには、いかないから。


ミナの顔から、血の気が引いていった。しまった、という顔。あの顔を、俺は知っている。七歳の俺が、鳥籠の前でしていた顔だ。


「——俺が頼んでおいたんです」


口が、勝手に動いた。


「この納屋は古い。梁の木口に割れが出てたから、上で軋む音がしたらすぐ叫べと、ミナに言っておいた。……そうだったな?」


「……う、うん」


「そうかい」とマルタ婆さんが言った。「銀の坊が言うなら、そうなんだろうね」


婆さんの目は、それ以上、何も聞かなかった。この村の流儀が、今日ほどありがたい日はなかった。



夜。片付けの終わった納屋の前で、俺はミナと二人になった。


月と()の明かりの下、十歳の弟子はずっとうつむいていた。


「……ごめんなさい」


「なんで謝る」


「だって、あたし、また、へんなこと……音なんか、してなかった。聞こえたの。梁が、ずっと、悲鳴あげてて、我慢できなくて——」


「ミナ」


俺はしゃがんで、弟子と目の高さを合わせた。


十八年、言わずに来た言葉がある。七歳の俺が、誰かに言ってほしかった言葉だ。順番が回ってきたのだと思った。回ってきたなら、言うしかない。


「よく聞け。……俺も、聞こえる」


ミナの目が、見開かれた。


「俺にはあの梁が視えてた。芯まで腐って、今にも折れるのが。だが俺は、人前だから黙った。お前は叫んだ。——六人、生きてるのは、お前のおかげだ」


「アルト、も……?」


「ああ。六歳の時からだ。物のあるべき形が視える。壊れた物の、その、悲鳴みたいなものが分かる。誰にも言わずに生きてきた。俺と、同じだ」


ミナの目に、みるみる水の膜が張った。泣くのを堪える顔が、堪えきれずに歪んで、それでも声を出さずに、彼女は俺の袖を、ぎゅっと掴んだ。


一人じゃない、というのは。


言葉にすると、たったそれだけのことなのだ。たったそれだけのことを、この子は十年、俺は十八年——四十二年と十八年、知らずにいた。


「いいか、ミナ。これは俺とお前の——」


秘密だ、と言いかけた、その時だった。


かさ、と。


納屋の角で、砂を踏む音がした。


振り向く。月明かりの中に、人影がひとつ、立っていた。糊の効いた姿勢。司祭見習いの、夜の見回りの角灯が、揺れていた。


——フィオナさん。


いつから、そこに。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。