第25話「釘の声」
その日、俺たちは古い納屋を片付けていた。
村の共有納屋。詰め所の物資が増えて手狭になったので、長年開かずだった奥の納屋を使えるようにしよう、という段取りだった。中は黴と埃の王国で、ザラの部下二人が奥の古材を運び出し、ハンナさんの旦那さんが棚を検分し、ミナとピンが小物を箱に集めていた。
異変は、一瞬だった。
「——出て!!」
ミナが、突然叫んだ。
「みんな出て! 今すぐ! 上、落ちる!!」
声の鋭さに、理屈より先に体が動いた。ザラの部下が古材を放り出して飛び退き、俺は棚の前の旦那さんの襟首を掴んで戸口へ突き飛ばした。ミナがピンの腕を引く。全員が敷居を越えた、その一拍あと。
めき、と音がして——納屋の奥の梁が、落ちた。
積んであった古材ごと、床が爆ぜたような音を立てた。埃が戸口から噴き出して、しばらく誰も、口をきけなかった。
「……全員、無事か」
数えた。六人。無事だった。あの梁の下には、さっきまで二人いた。
「ミナ、でかしたぞ! よく気づいたな、あの梁の傾き——」
ザラの部下が言いかけて、ふと、言葉を切った。
「……いや。あの梁、傾いて、たか?」
視線が、ミナに集まった。
梁は天井の暗がりの中だった。埃と黴で、木目も見えない高さだ。傾きなんて、下からは分からない。俺には視えていた——芯まで腐って、あるべき形が悲鳴を上げていたのが。だが俺は、黙っていたのだ。人がいる前で「視える」わけには、いかないから。
ミナの顔から、血の気が引いていった。しまった、という顔。あの顔を、俺は知っている。七歳の俺が、鳥籠の前でしていた顔だ。
「——俺が頼んでおいたんです」
口が、勝手に動いた。
「この納屋は古い。梁の木口に割れが出てたから、上で軋む音がしたらすぐ叫べと、ミナに言っておいた。……そうだったな?」
「……う、うん」
「そうかい」とマルタ婆さんが言った。「銀の坊が言うなら、そうなんだろうね」
婆さんの目は、それ以上、何も聞かなかった。この村の流儀が、今日ほどありがたい日はなかった。
*
夜。片付けの終わった納屋の前で、俺はミナと二人になった。
月と環の明かりの下、十歳の弟子はずっとうつむいていた。
「……ごめんなさい」
「なんで謝る」
「だって、あたし、また、へんなこと……音なんか、してなかった。聞こえたの。梁が、ずっと、悲鳴あげてて、我慢できなくて——」
「ミナ」
俺はしゃがんで、弟子と目の高さを合わせた。
十八年、言わずに来た言葉がある。七歳の俺が、誰かに言ってほしかった言葉だ。順番が回ってきたのだと思った。回ってきたなら、言うしかない。
「よく聞け。……俺も、聞こえる」
ミナの目が、見開かれた。
「俺にはあの梁が視えてた。芯まで腐って、今にも折れるのが。だが俺は、人前だから黙った。お前は叫んだ。——六人、生きてるのは、お前のおかげだ」
「アルト、も……?」
「ああ。六歳の時からだ。物のあるべき形が視える。壊れた物の、その、悲鳴みたいなものが分かる。誰にも言わずに生きてきた。俺と、同じだ」
ミナの目に、みるみる水の膜が張った。泣くのを堪える顔が、堪えきれずに歪んで、それでも声を出さずに、彼女は俺の袖を、ぎゅっと掴んだ。
一人じゃない、というのは。
言葉にすると、たったそれだけのことなのだ。たったそれだけのことを、この子は十年、俺は十八年——四十二年と十八年、知らずにいた。
「いいか、ミナ。これは俺とお前の——」
秘密だ、と言いかけた、その時だった。
かさ、と。
納屋の角で、砂を踏む音がした。
振り向く。月明かりの中に、人影がひとつ、立っていた。糊の効いた姿勢。司祭見習いの、夜の見回りの角灯が、揺れていた。
——フィオナさん。
いつから、そこに。




