第15話「ミナと人形」
事件は、俺が畑の測量をしている隙に起きた。
昼に祠へ寄ると、ヴェルクがいなかった。台座の上は空。荒らされた形跡はなく、供え物の椀だけが律儀に残っている。神様の誘拐事件である。心当たりを探して村を半周した俺は、ハンナさんの家の裏で、犯人と被害者を発見した。
ミナが、ヴェルクを膝に乗せて、髪を結っていた。
正確には、ヴェルクの頭にはめ込まれた古い植毛——ほとんど残っていない——に、どこかから拾ってきた赤い端布を、リボンよろしく結び付けていた。
ヴェルクは、完璧な人形のふりをしていた。
完璧な人形のふりをしながら、真鍮の目だけが、俺に向かって全力の信号を送っていた。助けろ。今すぐ。何をしておる早くしろ。
「……ミナ。それ、どこから」
「祠。置きっぱなしだったから」
「置きっぱなしじゃなくて、祀られてるんだ、それは」
「ふうん。でも汚れてた。だから拭いた。あと、服がぼろかったから、繕う」
見れば、ヴェルクの色褪せた服の破れ目に、小さな継ぎが当たっていた。俺は思わず、まじまじと見た。細かい針目だった。十歳の手習いの域を、明らかに超えている。運針が揃っているだけじゃない。破れの形に合わせて、当て布の木目——布目を、ちゃんと揃えてある。
「これ、お前が?」
「ばあちゃんに習った。……へん?」
「いや。うまい」
ミナは「ふん」と言った。だが耳が少し赤かった。この村の人間は、褒め言葉の受け取り方が全員下手だ。俺が言えた義理ではない。
*
その日から、ヴェルクはたびたび拉致されるようになった。
ミナは人形を気に入ったのだ。膝に乗せて話しかけ、服を繕い、髪に端布を結び、時には俺の作業現場の見物に連れてきた(ヴェルクは終始、白目——のニュアンス——だった)。
夜、祠に返却された神様は、当然のように荒れた。
「坊主! 何とかせい! わしは神じゃぞ! 千年を生きた工匠の神じゃぞ! それがなんじゃあの小娘、わしの頭にリボンを! リボンをじゃぞ!」
「似合ってたぞ、赤」
「似合っとらんわ!! ……いや似合う似合わんの話ではない! 神威の問題じゃ!」
「じゃあ本人に言えばいい。喋れるんだから」
「〜〜〜っ、それが、できれば、苦労はせんわい!」
ヴェルクは膝丈の体で地団駄を踏んだ。喋る人形だとバレるわけにはいかない。バレれば俺の秘密まで芋づるだ。それが分かっているから、この神様は小娘の着せ替え人形に甘んじている。神威の問題は、とっくに敗北していた。
「……まあ、あれじゃ」
ひとしきり荒れたあと、ヴェルクはぽつりと言った。
「あの小娘の針は、悪うない」
「だろうな」
「話しかけてくる声も……悪う、ない。千年ぶりじゃからな、ああして誰ぞに構われるのは」
「……素直か」
「うるさいわ。忘れい」
*
異変に気づいたのは、その数日後だった。
夕方、ハンナさんの家の裏を通りかかると、ミナがヴェルクを膝に乗せたまま、板壁の前でじっとしていた。壁の継ぎ目の、一本の古釘を見つめている。
「ミナ?」
「……ねえ」
彼女は釘から目を離さずに、言った。
「この釘、泣いてる」
背筋を、冷たいものが走った。
俺はその釘を視た。図面が開く。——曲がって打たれた釘だ。板の木目に逆らって、無理な角度でねじ込まれ、周りの繊維を裂いたまま、何十年も。あるべき形とのずれが、ぎしぎしと軋んでいる釘。
俺には「ずれ」に視える、それを。
この子は今、「泣いてる」と言った。
「……そうか」と俺は言った。声が、上ずらないように。「なら、抜いて、打ち直してやろうな」
「うん」
ミナは頷いて、それから俺を見上げた。
「アルトも、聞こえるの?」
膝の上で、人形が、ぴくりと動いた気がした。




