三話|おちこぼれコンビ
授業の終わりを告げる鐘が鳴ると、教室に張り詰めていた空気は一気にほどけた。
生徒たちは椅子を引き、鞄を抱え、わいわいと賑やかな声を響かせながら校舎の外へ流れていく。
今日の実習の出来を自慢する声。誰の加護が一番鮮やかだったかを語り合う声。回廊には、そんな楽しげな会話がいつまでも反響していた。
その中を、フィオルは俯きがちに歩いていた。
回廊を抜けると、夕焼けに染まる王都セプティムの街並みが広がっている。白い建物の壁は茜色に染まり、青硝子の窓は夕陽を宿して宝石のようにきらめいていた。
本当なら、フィオルはこの時間の王都が好きだった。
けれど今日は、胸の奥がずっと重たい。
『――論外だな』
マルクの声が、まだ耳の奥にこびりついている。あの短い一言は、教室を出ても消えてくれなかった。思い出すたび、胸の真ん中を細い針で刺されるように痛む。
隣を歩くロイは、そんなフィオルを何度も横目で見ていた。何か言おうとして、けれど上手く言葉が見つからないのか、すぐに唇を引き結ぶ。
いつものロイなら、くだらない冗談のひとつでも言って、無理やり空気を明るくしてくれるはずだった。
そのロイでさえ、今日は言葉を探しあぐねていた。
二人が校舎を抜け、石畳の大通りへ出たときだった。
「おーい!」
聞き覚えのある声が、夕暮れの空気を裂いた。
フィオルの肩がびくりと震える。
道の向こうで手を振っていたのは、クロフトだった。その隣にはレオルルが腕を組んで立っている。少し後ろには、不安そうに目を泳がせるミリオの姿もあった。
先に帰ったはずなのに。
――待っていたのだ。
そう気づいた瞬間、フィオルの胸の奥がすうっと冷えていった。
「……だいじょぶか?」
ロイが小さく聞いた。
フィオルは返事ができなかった。声を出したら、喉の奥から情けないものまで一緒にこぼれてしまいそうだった。
するとロイは、わざといつもの調子を作るみたいに、ニカっと笑った。
「気にすんなって。ほら、帰ろうぜ!」
そう言って、ロイは当然のようにフィオルの手を掴んだ。大丈夫だとか、平気だとか、そんな言葉より先に、温かい手がそばにあることを教えてくれる。
二人はそのまま、レオルルたちの横を通り過ぎようとした。
けれど。
「おーい! おちこぼれコンビー!」
背中に向かって、クロフトの大声が飛んできた。
「無視すんなよー! せっかく待っててやったのにさ!」
げらげらと笑う声が、夕暮れの通りに響く。人混みの中で、何人かがちらりとこちらを見た。
「なあフィオル!」
クロフトが、わざとらしく声を弾ませた。
「もう一回、俺たちの前で加護見せてくれよ。さっきはよく見えなかったんだよなー」
その瞬間、ロイの足が止まった。
繋いだ手に、ぐっと力がこもる。
「お前ら……いい加減にしろよ」
低く、押し殺した声だった。
フィオルは慌ててロイの袖を引っ張る。
「や、やめて……ロイ」
「でも!」
「……いいんだよ」
フィオルは俯いたまま、小さく呟いた。
「加護のない僕が……悪いんだから……」
自分で言った言葉なのに、胸が痛かった。
違う、と誰かに言ってほしかった。そんなことない、と言ってほしかった。けれど、その言葉を求めることさえ、今のフィオルにはひどくわがままなことに思えた。
少し後ろで、ミリオが泣きそうな顔をしている。何か言いたそうに唇を震わせていたが、レオルルの隣から動けずにいた。
そんな空気など気にも留めず、レオルルは鼻で笑った。
「お前はそれでいいかもしれないけど、こっちは迷惑なんだよ」
夕陽を背にしたレオルルの顔には、もう入学式の日に一緒に笑っていた頃の無邪気さは残っていなかった。
「せっかくの授業も、お前の番が来ると止まる。分かるか? お前一人のせいで、俺たちの時間が削られてるんだ」
レオルルは胸を張った。
「お前と違って、俺たちは未来の魔導士なんだからな」
その言葉を聞いた瞬間、ロイの顔にさっと血がのぼった。
「レオルル……っ! てめー!」
「……ロイ!」
フィオルが止めるより早く、ロイは飛び出していた。
けれど、次の瞬間。
「――おわっ!?」
欠けた石畳の縁に足を取られ、ロイの身体が大きく前のめりになった。止まろうとした腕が空を切り、ばたばたと足がもつれる。
そして。
「いっでぇ!」
ロイは派手な音を立てて、石畳の上に倒れ込んだ。
一拍の沈黙。
その後、クロフトが腹を抱えて吹き出した。
「ぷっ……あははははっ! だっせぇー!」
レオルルも額に手を当て、呆れたように笑う。
「肝心なところで転ぶなんて、さすがは『トロイ』だな」
「ロイ!」
「ロ、ロイくん!」
フィオルとミリオは、ほとんど同時に駆け出そうとした。けれどミリオの腕は、すぐにレオルルに掴まれる。
「お前は、どっちの味方なんだよ?」
「っ……ご、ごめん……だど……」
ミリオは小さく肩を縮こまらせた。大きな瞳が、罪悪感に揺れている。
一方、フィオルはロイのそばにしゃがみ込んだ。
「ロイ! 大丈夫!?」
ロイは擦りむいた鼻をぐしぐし擦り、涙目になりながらも、へへっと笑った。
「へーきへーき! これぐらい、なんともねーし!」
そう言う声は、いつも通り明るかった。
けれどフィオルには分かった。
ロイは、悔しいのだ。
笑われたことより、自分を守ろうとして失敗したことが。
「そんなんじゃ、人なんて守れねーぞ!」
クロフトが笑いながら言った。
「だっせー騎士! トロイ騎士!」
トロイ。
それは最近、レオルルたちがロイにつけたあだ名だった。
勢いだけで突っ込んで、肝心なところで転ぶロイ。
加護を持たず、何もできないフィオル。
『おちこぼれコンビ』
その言葉が、夕暮れの石畳にいやな音を立てて落ちた。
ロイは悔しそうに唇を噛んだ。それでも、フィオルの手を借りて立ち上がると、膝についた土を乱暴に払った。
「……ふん」
ロイは無理やり笑った。
「いこーぜ、フィオル」
「……うん」
二人は背を向けて歩き出す。
「じゃーなー! おちこぼれコンビー!」
クロフトの笑い声が、いつまでも後ろから追いかけてきた。
夕焼けの石畳を歩きながら、フィオルは胸の奥に広がる孤独を感じていた。
世界はこんなにも綺麗なのに。
自分たちの歩く道だけが、どこか薄暗い。
けれど。
隣には、ロイがいた。
鼻の頭を赤くして、膝を擦りむいて、悔しいくせに平気なふりをしているロイがいた。
決して、物語に出てくるような完璧な騎士ではない。
守ろうと前に出ても、すぐに転ぶし、怒ると周りが見えなくなる。きっとこれからも、何度だって失敗する。
それでも、フィオルにとってロイは、誰より立派な騎士だった。
笑われても。
馬鹿にされても。
転んでも。
ロイは必ず、自分のために立ち上がってくれる。
その背中だけは、昔も今もずっと変わらない。
フィオルは、繋いだ手に少しだけ力を込める。
ロイは何も言わなかった。
ただ、同じように握り返してくれた。
夕陽に伸びた二人の影は、細く頼りなく、石畳の上で揺れていた。
けれどその影は、決して離れることなく、王都の外れへ向かって並んで歩いていった。




