表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
5/5

四話|禁書庫に眠るもの

 本の匂いが、フィオルは好きだった。


 紙の擦れる音も、静かな空気も、頁をめくるたびに知らない世界へ少しずつ触れていける感覚も。


 だから翌日の授業が『魔導文学』だと聞いた時だけは、フィオルの心もほんの少し軽くなった。


 加護がなくても、知識を得ることはできる。

 魔法を使えなくても、物語を読むことは許されている。


 それだけが、フィオルにとって救いみたいな時間だった。


「今日は蒼天の塔で屋外授業だってさ!」


 朝からロイは目を輝かせていた。


「塔の中って、めちゃくちゃ広いんだろー!? オレ、一回行ってみたかったんだよな!」

「うん。僕も楽しみだよ」

「な! 遠足みたいだよな!」


 けらけら笑うロイにつられて、フィオルも少しだけ笑った。


 やがて生徒たちは、王都セプティムの中央にそびえる巨大な尖塔――蒼天の塔へ向かった。


 青硝子で形作られた塔は、朝の陽光を受けて淡く輝いていた。見上げても頂上は遠く、今日も空を支えているように見える。 


 塔の内部へ足を踏み入れ、案内された部屋へ入った瞬間、生徒たちから小さなどよめきが漏れた。


「すげぇ……」

「なにここ……」


 フィオルも思わず息を呑んだ。


 蒼天の塔、大書庫――

 そこは、本で出来た迷宮だった。


 天井へ届きそうな本棚が幾重にも並び、古びた革表紙の本、銀箔で飾られた魔導書、青白い光を放つ記録結晶が静かに眠っている。細い空中回廊や梯子が複雑に入り組む様は、まるで巨大な樹の中を歩いているみたいだった。 


「うわぁ……! すげー!!」


 ロイが目をきらきらさせながら辺りを見回した。


「なあなあ、フィオル! これ全部読むのに何年かかるんだろーな!」

「多分、一生かかっても無理だと思う……」


 フィオルは小さく笑った。

 けれど、その視線はふと二階奥の『ある場所』へ吸い寄せられた。


 そこだけ、空気が違う。

 その中が、気になる。

 

 本棚の奥に、巨大な白銀の扉が静かに佇んでいる。扉の前には、白く発光する無数の文字列が浮かんでいた。まるで扉を開ける者を拒む鎖のように、幾重にも重なって揺れている。


「あれが、禁書庫よ」


 澄んだ声が響いた。

 

 振り返ると、一人の女性教官が立っていた。黒髪を後ろで束ね、無駄のない教官用スーツに身を包んでいる。落ち着いた黒い瞳には、厳しさよりも穏やかさがあった。 


 イリス教官だった。


「書庫の中では騒がないようにね。本が拗ねると面倒だから」


 軽い冗談に、生徒たちが小さく笑う。


 その一言だけで空気がやわらぐあたり、彼女が慕われている理由が分かる気がした。 


 イリスに連れられ、生徒たちは『禁書庫』の前へ歩み寄った。近づくほど、白銀の扉を囲む文字列が淡く明滅して見える。


「今日は、この封律文字(ワードグリフ)について学びます」


 その言葉に、周囲の空気が少しだけ引き締まった。

 イリスは扉の前に浮かぶ光文字へ指先を向ける。


封律文字(ワードグリフ)とは、結界魔法を文字として固定化する技術です。普通の魔法は発動と共に消えていくけれど、文字という形に変えることで、長く維持できるの」


 白い文字が、ゆっくりと揺れた。


「つまり、これは意味を書いた文字ではなくて、文字の形をした結界そのものなのよ」


 ロイがぽかんと口を開ける。


「文字なのに、結界……?」


 イリスは微笑んだ。


「そうよ。この禁書庫は、いくつもの封律文字(ワードグリフ)を重ねた『重複封律』で守られてる。簡単には、触れることもできません」

「ほんとに、文字だけで結界になるのかよー?」


 クロフトが疑わしそうに呟く。


「なんか弱そうだな」


 レオルルも少し笑った。


 イリスは怒らず、静かに振り返る。


「それなら、実際に触れてみましょうか」

「えぇっ!? いいの!?」


 生徒たちの間にざわめきが広がった。

 

 順番に呼ばれた生徒たちが、恐る恐る手を伸ばしていく。

 しかし、その指先は白い文字へ届く前に止められた。見えない壁に弾かれたように、空気そのものが手を押し返す。 


「うわっ、ほんとに触れねえ!」

「なにこれ、硬いど……」


 クロフトも、レオルルも、ミリオも同じだった。

 誰の手も、封律文字(ワードグリフ)の先の扉へは届かない。


「分かったかしら。封律文字(ワードグリフ)は『拒絶の意思』を込めた立派な結界だってことよ」


 イリスはそう説明し、それからフィオルの方を見た。


「さ、フィオルくん。次はあなたの番よ」


 その瞬間、周囲の空気がわずかに揺れた。

 後ろから、小さな笑い声が漏れる。


「加護なしが触ったらどうなるんだろうな」

「むしろ、すりぬけちゃったりする?」

「ぷぷっ。加護に反応できないもんな」


 フィオルは一度だけ息を飲み、ゆっくりと前へ出た。


 禁書庫の前に立つ。

 目の前の光文字は、静かに揺れていた。


 けれど、他の誰の時とも違うような、かすかな違和感がある。


 拒まれている感じがしない。


 むしろ。

 待たれているような気がした。


「大丈夫よ。怖がらないで」


 イリスの穏やかな声に、フィオルは小さく頷いた。


 震える指先を、そっと伸ばす。

 白い光へ触れた、その瞬間だった。

 

 封律文字(ワードグリフ)が、フィオルの指先に応えるように震えた。


 浮かび上がった文字列が、点滅する。

 消えて、灯る。

 消えて、また灯る。


 それはまるで、長い眠りの中から誰かが目を覚まそうとしているみたいだった。


「……え?」


 フィオルが息を呑む。


 イリスが、静かに目を細めた。

 その時、禁書庫の扉の奥で、何かが小さく鳴った気がした。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ