一話|ようこそ、騎導アカデミーへ
入学式を終えた新入生たちは、多くが保護者に付き添われ、それぞれの教室へ案内された。
窓の外には、白い中庭と青い回廊が見えた。春の光が床に落ち、磨かれた板張りを淡く照らしている。期待と緊張でざわめく教室。やがて、その空気を断ち切るように扉が開いた。
「ようこそ、セプティム騎導アカデミーへ」
細身の男だった。黒い髪を後ろへ撫でつけ、整えられた口髭の下に薄い笑みを浮かべている。切れ長の目は冷たく、その姿には一切の隙がないように見えた。
「本日より諸君らの担任を務める、マルクだ」
「そして――まずは、お子息、お息女のご入学を祝福申し上げます」
淡々とした口調だった。
だが保護者たちは、安堵したように頷く。
「ご存知の通り、我らセプティム騎導アカデミーは、王国の未来を担う騎士、ならびに魔導士を育成するための学び舎です。ここに集った者たちは、いずれ国の礎となるでしょう」
マルクの視線が、子供たちの顔をひとりずつなぞっていく。
選ぶように。測るように。そして、何かを見定めるように。
「……私が責任を持って、導くことを約束しましょう」
そこで、マルクはわずかに口元を歪めた。
「ただし、それは――円環の内側にいる者に限りますがね」
教室が、一瞬だけ静まり返った。
静かな声だった。妙に冷たく、聞いた者の胸に薄い霜を残すような声だった。
保護者席の一角から、賛同を示す者たちの拍手。
一方で、眉をひそめる者もいれば、困惑したように顔を見合わせる者もいる。あからさまに不快感を浮かべる者さえいた。
「……えんかん?」
フィオルは小さく首を傾げた。
隣のロイも、よく分からないという顔をしている。
ただ、マルクの視線が一瞬だけ、フィオルへ向いた気がした。
***
その後、保護者たちは別室で説明会を受けることになり、生徒たちは校庭で自由に過ごすことになった。
春の日差しを浴びた校庭には、子供たちの笑い声が弾けていた。青いローブが風に踊る。誰も彼も、今日から始まる新しい生活に胸を膨らませている。
「お前らは、どっち選んだ?」
茶髪の少年――吊り目のレオルルが、木の枝を振り回しながら聞いた。
「俺は、『まほう』!」
隣の緑髪で細目の少年、クロフトが得意げに言う。
「ぼ、僕もだど……」
少し遅れて、赤髪の少年ミリオがおずおずと手を挙げた。大きな瞳が印象的で、言葉には少しだけ独特の訛りがあった。
「ふふん。じゃあ全員『まほう』だな!」
レオルルが笑うと、その視線がロイへ向いた。
「え、じゃあさ。ロイだけ『けん』なの?」
「そーだよ! 人をまもる方が、かっこいいだろー!?」
ロイは胸を張った。またぶんぶんと見えない剣を振る。
思わずクロフトが吹き出した。
「なんだあ、それ!」
レオルルも笑い、ミリオも頬を赤くしながら、ちらちらとロイを見て笑っていた。
フィオルは、そんな
ミリオの横顔をそっと見た。
少し控えめで、周りの顔色を気にしてしまうところが、自分と似ている気がした。だからだろうか。まだ少ししか話していないのに、なんとなく親しみを感じた。
けれど、楽しい時間はあっという間に過ぎていく。
「レオー!」
「クロフト!」
「ミリオ!」
保護者たちが、それぞれの子供を迎えに来ていた。
「じゃあな! フィオル達! また明日!」
レオルルが大きく手を振る。
「フィオル、また遊ぼうぜ!」
クロフトはフィオルへ笑いかけた。
「ロ、ロイくん……また、明日だど。バイバイ」
ミリオは少し照れくさそうにロイを見る。
「おう! じゃあなー!」
三人は親に手を引かれながら、夕暮れ色の校門へ消えていった。楽しそうな笑い声が、少しずつ遠ざかっていく。
やがて、広い校庭にはフィオルとロイだけが残された。
夕方の風が吹く。
白い校舎の影が、二人の足元まで長く伸びていた。
「……オレらも帰ろうぜ!」
ロイはいつも通りに笑った。
そして当然のように、フィオルの手を掴む。
その手は、温かかった。
フィオルは少しだけ驚いて、それから頷いた。
「うん!」
二人は並んで、夕暮れの王都へ歩き出した。
石畳は夕陽を映して黄金色に染まり、街には夕飯の香りが漂っている。
「おなかすいたなー! 今日のごはん、なんだろな?」
ロイが言った。
「やさいスープがいいなあ」
「ま、またかよー……」
ロイは露骨に嫌そうな顔をした。
「オレ、やさい苦手なんだよなぁ」
「あはは。いつもロイは、やさいをよけてウインナーばっかり食べて怒られてるもんね」
「帰ったら、『にくづめのまるやき』頼もー! うん。それがいいな!」
「それ言うと思ったあ! あははは!」
笑いながら歩く二人の影が、長く石畳へ伸びていく。
やがて、手を繋いだ二人の少年が辿り着いたのは、王都の外れにある小さな石造りの建物だった。
親を持たない子供たちが暮らす場所。
ここが、フィオルとロイにとっての家。
扉が開き、大柄な男が顔を覗かせる。
「お、帰ったか? 迎えに行けなくて悪かったな」
監督官ディルクだった。無精髭を生やした厳つい顔とは裏腹に、その笑みはどこか優しい。
「よし! 早く手洗ってこい! 飯、冷めちまうぞ」
「ディルクさん! 今日『にくづめのまるやき』作って!?」
「は? もう、飯の支度は終わってんだ。香草入りの野菜スープと、焼きチーズパンだぞ」
「うわあ……遅かったかあ……」
「お前は、特に野菜を食わないとダメなんだよ!」
「ふふ。あははは!」
笑い声が廊下に響く。木の床は少し軋み、食堂の奥では鍋の蓋がことこと鳴っている。
誰かの帰りを待つ灯りがあり、同じ食卓を囲む場所がある。
それは、どこにでもある平凡な夕暮れだった。
***
夜が訪れると、王都セプティムの灯りがひとつ、またひとつと星のように滲んでいった。
青硝子の塔には月光が降りそそぎ、白い街並みは静かに眠りへ沈んでいく。遠くで鐘が鳴った。昼間とは違う、柔らかく澄んだ音色。まるで街を眠らせるための聖歌のようだった。
フィオルは窓辺に立ち、夜の王都を見つめていた。
明日から、いよいよアカデミー生活が始まる。
魔法の授業。新しい友達。大きな図書室。青い塔。
そしていつか、アルセリアみたいな立派な魔導士になる未来。
「……えへへ」
想像するだけで、胸の奥がくすぐったくなる。
視界の隅でカーテンがふわりと踊り、同時に、夜の風がどこか遠くから鐘の音を運んできた。
けれど、それはさっきまでの音とは違っていた。高く澄んでいるのに、どこか遠い。懐かしいのに、ひどく寂しい。
誰かが、世界の底からフィオルの名を呼んだような――そんな音。
「……?」
フィオルは不思議そうに空を見上げる。
群青の夜空の向こう。王都セプティムの中心で、青白い光が一瞬だけ瞬いた。
「……流れ星かなあ」
それが何なのか、フィオルには分からなかった。
ただ、胸の奥で何かが小さく震えた。
まるで、長い眠りについていた世界が、そっと寝返りを打ったみたいに。




