ハルモニア・カンティクム
――ハルモニア・カンティクム
世界は、五つの音でできている――
炎は命を燃やし、水は記憶を歌い、風は祈りを空へ返し、土は歴史を抱き、雷は未来を照らす。
五つの音が乱れず響き合うとき、世界は美しい調べを奏でる。
その完全なる調和を、人はいつしか――【ハルモニア】と呼ぶようになった。
けれど、その調べが永遠に続くとは限らない。
***
春の王都セプティムには、今日も青と白の旗が揺れていた。
石畳の大通りを、淡い風が渡っていく。通りに並ぶ街灯には青硝子の飾りがはめ込まれ、陽光を受けるたび、小さな空のかけらを閉じ込めたように光った。白壁の建物は清らかに連なり、尖塔の屋根は深い青をまとっている。まるで空にあるはずの都が、そのまま地上へ降ろされたかのようだった。
セレスタニア大陸の中心地にして、騎士と魔導士の都。
それが、王都セプティムである。
白亜の大門の前には、真新しい制服に身を包んだ子供たちが列を成していた。青いローブに青い胴着、白いワイシャツ。黒の半ズボンから覗く白いスパッツ。革靴の音は落ち着かず、笑い声と緊張した息遣いが、春の空気の中で混ざり合っていた。
小さな手を引く父親がいた。襟元を直す母親がいた。誇らしげに子供の背を押す家族が、そこかしこにいた。
その光景を、フィオル・ストラティは少し離れた場所から眺めていた。
細い肩。柔らかな金色の髪。空の色を閉じ込めたような青い瞳。彼はふと、自分の手を見下ろす。
誰にも握られていない、小さな手だった。
「なあなあ、フィオル!」
寂しさが胸の奥へ沈みかけた、その瞬間。
隣から、太陽みたいな声が飛んできた。
振り向くと、黒髪を跳ねさせた少年が、満面の笑みでこちらを覗き込んでいた。
ロイ・ロックヘヴン。フィオルの幼馴染で、同じ家で暮らす親友だ。
鼻をこすりながら上機嫌に笑っているが、ロイの右手もまた、誰にも握られていない。
「フィオルはさ、『まほう』と『けん』どっち選ぶ?」
その問いを聞いた瞬間、フィオルの瞳がぱっと輝いた。
「もちろん、『まほう』だよ!」
迷いはなかった。
フィオルは、青いローブの袖をぎゅっと握りしめる。
「僕は、アルセリアみたいなすごい魔導士になるんだ!」
えっへん、と胸を張ったフィオルもまた、ロイに負けない笑顔を浮かべている。
絵本の中のアルセリアは、いつも蒼い杖を掲げていた。泣いている誰かの前に立ち、崩れそうな空の下で、それでも笑っていた。
しかしフィオルにとって、アルセリアはただの英雄ではない。
『いつか自分も、誰かを守れる強い人になりたい』
後にそう願うようになっていくのは、何度も何度も、読んだ絵本の中にアルセリアという存在があったからだった。
「へへ! オレは『けん』だぜ!」
ロイはその場で見えない剣を、ぶん、と振った。
「みんなを守る、かっこいい騎士になる!」
「あはは、なんか、すごくロイっぽいね」
「だろ!? だろー!?」
二人の笑い声が白門の前に弾けると同時に、鐘が鳴り響いた。
澄み切った音色が春空へ広がっていく。高く、遠く、王都の青い尖塔を震わせながら。
それは、新しい始まりを告げる音だった。
少なくとも、そのときのフィオルには、そう聞こえていた。




