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光源氏がうるさいので、既読スルーの葵上を応援します ~平安転生した国文学生が夫婦関係に巻き込まれた話~  作者: 春凪とおる


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第2話 和歌の返信は、既読スルーで。

 春の朝は、まだ少し冷たい。

 庭の梅がようやくほころび始めていた。


 白い花が、遠くから見ると雪みたいで、

 でも近づくと、ちゃんと春の匂いがする。


(こういうところだけは、平安すごい)


 空気まで、ちゃんと季節をやってくる。

 私は硯の水を替えながら、ぼんやりと、そんなことを思っていた。

 

 葵の上は、いつもの場所にいる。

 姿勢がよくて、衣の乱れがなくて、

 今日もちゃんとしている。

 

 昨日、少しだけ息がしやすいと言った。

 そんな人には見えないくらい、ちゃんとしている。


(戻るの、早いな)

(でも、こういうところが好き)


 そこへ、女房がひとり、文を持ってきた。


「北の方様」


 薄様の紙。

 その上に、白梅がひと枝。


 香が、やわらかく移っている。


(演出が強い)


 見なくてもわかる。


(来た)

(長文ポエム男)


「光る君よりのお文です」

 

(やっぱり!)


 女房たちの空気が、ほんの少し華やぐ。


「まあ」

「今朝もお早いこと」

「熱心でいらっしゃるのね」


 私は黙っていた。

 いや、熱心というか。


(返信がないからでは)


 たぶん、既読がつかない相手に、

 追い文をしている人の顔をしている。


 葵の上は、文を受け取った。

 白梅には目もくれず、紙を開く。


 流れるような筆跡。

 たしかに美しい。


 字はうまい。

 これは認める。


 しばらく見て、ぽつりと言った。


「字は綺麗ね」


 女房たちが、一瞬だけ静かになる。


 私は息を止めた。

 葵の上は続けた。


「それだけね」


(強い!)


 静かに強い。

 朝から強い。


 私は心の中で拍手した。


 女房のひとりが、おそるおそる言う。


「返歌は……」


 葵の上は、文から目を離した。


「必要?」

「え」


「返せば、また来るでしょう」

 その通りである。


 返信は餌。

 反応は燃料。


 光る君という男は、たぶん沈黙にすら意味を見出す。

 つれない君もまた美しい、とか言う。絶対!


 非常に面倒くさい。

 うん、面倒くさいよ。


「ですが」

 別の女房が、困ったように笑う。


「まったく返されぬのも……」

「角が立つ?」

「……はい」


 葵の上は、少しだけ考えた。

 そして。


「では」

 文を脇に置いた。


「返さないわ」

 即答だった。


(戦略的既読スルー)

(なんというか)


 しかも、完全に意志がある。

 尊厳保持型。

 防衛戦。


 私は、ちょっと彼女を好きになってきた。


(葵上、カッコイイな)


 昼を少し過ぎた頃。

 女房が、そっと知らせに来た。


「光る君が、渡殿においでです」


(来た)

 本人が。


 ただし、ちゃんと御簾の向こう。

 さすがに左大臣家の警備は生きていた。


(よかった)

(この時代、わりと防犯がザルで)


 御簾越しに、白い直衣が見える。

 朝の光を集めたみたいな色。


 梅の庭を背にすると、

 やたらと映える。


(うわ、まぶしい)

(そして、うさんくさい)


「ひどいな」


 軽い声。

 軽い気配。


 するりと、空気に入り込んでくる。


「せっかく心を込めたのに」

「そう」


 葵の上は、まったく動じない。


「返歌もない」

「必要?」


「冷たいな」

「返せば、また来るでしょう」

 

 少しだけ、間が落ちる。

 梅の香が静かに流れる。


「私は、君を思っているのに」

「存じております」


「ならば」

「だからこそ」


 葵の上は、静かに言った。


「少し、お静かに」


 春の風が簾を揺らした。

 光る君が、珍しく言葉を止めた。


「……私が、うるさいと?」

「ええ」


 即答。


「朝から、ご自分の気持ちばかり、お聞かせになるので」


(言った)


 女房たちが、見事に気配を消した。

 わかる。

 私も消えたい。


「私は、ちゃんと伝えたいだけだ」

「では」


 葵の上は、文を一枚持ち上げた。


「この歌の意味を、ご自分で説明なさいますか」


 沈黙。

 光る君の笑みが止まる。


 私は察した。

(たぶん雰囲気で書いたな)


 ある。たまにある。

 字が綺麗で、気持ちよさそうだけど、

 本人も、そんなに深く考えてないやつ。


「読む側に、解釈を任せるのはお上手ですね」


 強い。

 本日も強い。


 光る君は、少しだけ視線を逸らした。


「……君は、本当に手厳しい」

「ええ」


「兄上にも、勝った顔をするなと言われたよ」

 一瞬だけ、葵の上の目が動く。


(……葵ちゃん)


 ほんの少しの揺れ。

 ちゃんとしている人ほど、

 小さなことが痛い。


 頭中将。

 兄であり、光る君の親友であり、

 面倒な意味でのライバルでもある人。


「私はそんなつもりはないのだけれど」

(困ってない顔)


 この人、 たぶん半分くらいは、無自覚でやっている。

 それが一番タチが悪い。


「そう」


 葵の上は、それ以上は何も言わなかった。

 ただ、少しだけ声が冷えた気がした。


「昔から?」

 光る君は、少し笑った。


「あなたに対しては」

 完璧だった。


 梅の花が、一枚落ちた。


 春の朝。

 白い光。

 白い直衣。


 顔だけは、本当にきれいな男。

 でも。


(だいぶ、うるさい)


 光る君は、最後にひとつ息をついて、

「また来る」

 と言った。


(来るんだ)


「返歌は?」

「考えておきます」


「期待しても?」

「しないでください」

 きっぱり。


 それでも彼は、

 少し楽しそうに笑って去っていった。


 たぶん、ああいうところだ。

 断られても、自分に都合よく解釈する。


 強い。

 違う意味で強い。


 静かになった部屋で、私はそっと息を吐いた。


「北の方様」

「何」

「……あの方は、めげませんね」


 葵の上は、文を見下ろしたまま言う。

「めげる方なら、もっと静かでしょう」


 たしかに。その通りだった。


 私は硯に水を足しながら、

 小さくうなずく。


(なるほど)


(この人を相手にするには)

(返歌ではなく、防犯)


 平安でも現代でも、大事なことは案外変わらない。

 恋って、やっぱりめんどくさい。

 

 梅の香だけが、静かに春をしていた。



光「浅茅生に ひそめる梅の 一枝を 手折らぬ人の あらじとぞ思う」

葵「手折らるる 花の数々 思い知れ 一枝ならぬ 宿の主は」


理子「あー、ダメダメ。わかってないし」

理子「なんで、あの男、上から目線なわけ?」


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