6話『あなたの傍に居られて、幸せです』
「……──」
カシウスがゆっくりと吐息をこぼす。
その息は微かに震えていた。
「……魔力を感じる」
低く、静かな声だった。
「守護と癒しの魔術をかけております」
満足に社交もこなせない代わりに、誰にも劣らぬ能力を欲して必死で磨いた、セレスティーヌが最も得意とする魔術。
カシウスが強いことを知っている。
その魔術の腕も、剣の腕も優れていることを知っている。
それでも、祈りを込めて、セレスティーヌにできる最高の魔術をかけた。
カシウスが、ハンカチをそっと額に当てた。
「……何か隠していると思っていたが」
セレスティーヌは肩を揺らした。
(先生に預けていて良かった……)
「それが、私への贈り物だったとは」
ハンカチを下ろし、青い瞳が、じっとこちらを見つめていた。
いつもの甘くとろけるような眼差しとは、少し違う。
もっと深く、静かに、揺れている。
「……嬉しい」
たった一言だった。
それでも、その声に混じる熱が、セレスティーヌの胸を強く打った。
「胸に満ちるこの幸福を……どのように言葉にすれば良いか」
カシウスは、ハンカチをそっと胸元に引き寄せる。
まるで、大切な誓いの品を預かるかのように。
「汚れても、破けても、何度でもお贈りいたします」
セレスティーヌはその言葉だけで、十分だ。
それでも、願うとするならば……
「ですから、どうか肌身離さずお持ちください」
カシウスは目を伏せる。
「……これほど、心強いものはないな」
そして、小さく笑った。
「ルナが贈ってくれたものが、汚れるのも破損するのも考えたくはないが……」
カシウスはハンカチを丁寧に畳み直し、箱ではなく、自分の胸元の内側へ収めた。
心臓に近い場所だ。
「ルナがそう望むのなら、肌身離さず持っていよう」
大きな手が、セレスティーヌの頬を包む。
固く、少し乾燥した親指が、目元を撫でた。
「今日は、少し腹立たしい一日だった」
「……はい」
「だが、たった今……すべてがどうでもよくなった」
カシウスの額が、こつりとセレスティーヌの額に触れた。
「っ……」
息のかかる距離にある深い青の瞳が……真っすぐとセレスティーヌを見つめる。
頬がじわじわと熱を持った。
「ルナを婚約者にもつ私は、この世でもっとも果報者だ」
「わ、私の方こそ……」
声が詰まる。
言いたいことは、たくさんあるはずだった。
それなのに、胸がいっぱいで、うまく言葉にならない。
「っ……」
代わりに、セレスティーヌはそっと手を伸ばし、カシウスの胸元に触れた。
布越しにハンカチの感触と、トクッ、トクッと穏やかな鼓動が伝わってくる。
「……あなた様のおそばにいられて……幸せです」
青い瞳が、ゆるゆると愛おしげに細められた。
カシウスの唇が、ゆっくりと、セレスティーヌの額に触れる。
一瞬だけ、あたたかな熱が残る。
「ずっと、持っている」
囁くような誓いだった。
セレスティーヌは、ふわりと笑った。
「はい……お願いいたします」
庭園を、穏やかな風が吹き抜けた。
花々のこすれ合う音が聞こえる。
花の香りが、二人の間をくすぐっていった。
──くぅ
「っ……!」
「……」
カシウスがセレスティーヌを静かに見下ろした。
セレスティーヌは羞恥で真っ赤になった顔を、カシウスの胸元に埋めた。
(気、気が抜けて……お腹が……っ)
「……帰りに、ルナの好きな店に寄って帰ろう」
聞こえていた筈の音には何も言わず、カシウスはセレスティーヌの頭を優しく撫でる。
「何が食べたい?」
その声はいつも通り、とろとろに甘い。
「……苺の」
「うん」
セレスティーヌは、そろそろと顔を上げ、上目でカシウスの顔を覗く。
「苺の、タルトが……食べたいです」
深い青の瞳が、とろりと蕩けた。
「承知した。では、そうしよう」
カシウスは、軽々とセレスティーヌを抱き上げ立ち上がる。
胸元には、深い青のハンカチ。
そこに刻まれた二つの紋章が、彼の心臓の傍で、静かに寄り添っていた。




