5話『あなたの歩む道の、お傍に』
「──ルナ、右手を」
「はい」
庭園の奥にある四阿は、午後の陽が柔らかく差し込んでいた。
その前には段差の低い階段が、数段ある。
カシウスが腰に回していた手を、手のひらだけ上に向ける。
セレスティーヌはその手をしっかりと握った。
普通の階段は登るのが難しいが、低い段差なら支えがあれば自力で登ることができる。
カシウスの手にぐっと体重をかける。腰に回る腕が、更にセレスティーヌを抱き寄せた。
ゆっくりと階段を登っていく。
きっとカシウスが抱き上げた方が早いだろう。
それでも、カシウスは「できる限り自分の足で歩きたい」という、セレスティーヌの願いを叶えてくれる。
カシウスは腰を下ろすと、セレスティーヌの膝に負担をかけず器用に膝の上に座らせた。
人目がない今は、いつもの定位置以外眼中に無いらしい。
周囲に人の気配はなく、風が花を揺らす音だけが聞こえる。
セレスティーヌは、手提げ鞄から取り出した小箱を、そっと両手で差し出した。
青い目が、その箱をじっと見つめる。
「刺繍の講義で、作っていたものでございます。……持ち帰ればきっと気づかれてしまうと思いましたので、先生にお預かりいただいておりました」
「あぁ……」
カシウスが納得したように小さく呟く。
「午後の講義に、あれほどこだわっていたのは、そのためか」
「明日から、遠征でございましょう?ですから……どうしても、今日、お渡ししたくて」
未だ学生の身でありながら、カシウスは既に聖騎士団に正式に身を置いている。
学生であることを考慮し、日中の訓練は免除されている。
しかし、普段から学園が終われば夜間訓練に参加し、明日からは半月にも及ぶ遠征に赴くのだ。
カシウスは無表情で箱を見下ろしている。
しかし、それは無反応とは違う。
彼は感情が昂りすぎると、表情が消えてしまうのだ。
静かに歓喜が満ちていく青い瞳が、それを雄弁に物語っていた。
大きな手がゆっくりと伸びてきて、慎重すぎるほど慎重に受け取る。
「……開けても?」
「はい」
カシウスの指先がリボンを摘み、シュルッとほどく。
蓋を開けると、畳まれた深い青の布が現れた。
カシウスが、そっとその端をつまんだ。
広げられたハンカチを見て……
──カシウスが微かに目を見開いた。
「……これは」
「リューク様が、卒業後に背負われるものを刺しました」
カシウスの親指が、刺繍の縁をゆっくりと辿っていく。
「リューク様が、皇族として、騎士として、どれほどの責任を背負おうとされていらっしゃるのか……ずっと、お傍で見てまいりました」
五歳の頃に婚約してから、十三年。
初めて会った時は常に無表情だったのに、言動だけは今と変わらなかった。
無表情だった顔に徐々に感情が浮かび、セレスティーヌの言葉で表情を変えてくれることが嬉しかった。
八年前、皇子を庇った名誉の勲章といえど、制約のある体になってしまった。
足を引っ張るくらいなら、清く身を引こうと覚悟を決め……カシウスに引き止められた。
『──私はルナでなければならないのだ!』
あれほどまでに感情を顕にしたカシウスをみたのは、後にも先にも、あの時だけだった。
だから、セレスティーヌも……
「私は剣を取ることも、戦場でお傍に立つこともできません。ですから、せめて……リューク様が歩まれる道の、お傍に在りたいと思っております」
──決して、離れないと誓ったのだ。
「家紋と、騎士団の紋章を並べたのは……リューク様が、そのどちらも大切にしていらっしゃると、存じておりますから……」
どちらも、彼の誇りだ。
皇子として生まれた責任と、騎士として自ら選んだ誓い。
そのどちらも、セレスティーヌは尊敬している。
「お守りになれば、と」




