2話『冷たい眼差しと、優しい手』
「──証拠は」
「え?」
カシウスが冷え冷えとした目で、己の弟を一瞥した。
「被害者の主観ではなく、誰もが納得する客観的な証拠を提示しろ」
その声は淡々として感情を感じない。
「状況は?それが起きた時間帯は?」
「ば、場所は東校舎の西階段だそうです。周りに人はおらず、目撃者はいないと……」
カシウスの眼差しが、また一段と冷えた。
セレスティーヌの表情も硬くなる。
(第三皇子殿下は……その言葉の結果を理解しておいでなのでしょうか……)
「ルナ付きの護衛騎士、及び傍付きの侍女は後ほど聴取を行う。拒否は許さぬ」
「はっ」
「かしこまりました」
セレスティーヌの背後に居た護衛騎士たちと、傍付きの侍女たちが頭を下げる。
セレスティーヌはキュッと手を握り締めた。
第二皇子の婚約者となってから、皇帝の命でずっとそばにいてくれた彼らは、今や信頼しているとても大切な存在だ。
「皇帝陛下の命に反し、ルナの傍を離れていた場合、厳罰が下されるだろう」
「っ……」
──地位の剥奪。
──宮廷での雇用停止。
──帝都からの永久追放
学んだ法律の知識から、起こりうる最悪の罰が浮かんだ。
セレスティーヌは目を伏せた。
(大丈夫)
彼らは誠心誠意仕えてくれている。
セレスティーヌたちに後ろめたいことは何もない。
そう、分かっていても……
(……怖い)
セレスティーヌ付きに選ばれてしまったばかりに、彼らを巻き込んでしまった。
指先が白くなるほど握り締めていた手が、ふと温かくなる。
見下ろすと大きく節くれ立った手が、セレスティーヌの手を覆っていた。
硬い掌が手の甲に触れ、少しだけかさついた指先が、整えられたセレスティーヌの指先を撫でる。
ヴィクトルは、今のやり取りで『目撃者がいない』という状況が成り立たないことに、ようやく気が付いたようだ。
混乱したように目を白黒させている。
「それで」
「あ、そ、その……じ、時刻は三日前の午前……です」
ようやく何かがおかしいと気が付いたヴィクトルの言葉は、非常に歯切れが悪い。
「女子生徒は……講義が、ありませんでしたが……男子生徒は、乗馬の講義があった時間で……」
「その時間は私も講義中だ」
淡々とした声が、事実を告げる。
「よって、ルナが踊り場に上がることは、不可能だ」
「……」
あ……という表情で、ヴィクトルが固まった。
足のケガの後遺症で、セレスティーヌは自力で階段を登ることはできない。
8年前に第四皇子を暗殺者から庇い、騎士たちが駆けつけるまで守り通した……その結果だった。
そんなセレスティーヌを抱き上げることができるのは、独占欲の証たる『契約の紋章』を刻んだカシウス本人と、カシウスが許している相手だけ。
かつて魔法の天才と言われていた皇族が生み出した『契約の紋章』。
婚約者に対する狂気じみた独占欲の果てに生まれた魔法は、使う人間が滅多にいない。
しかし、その効果は本物である。
実際にセレスティーヌに許可なく触れようとした他国の王子は、魔法に弾かれ吹っ飛んだ。
「で、ですが……っアイゼンハルト公爵やアイゼンハルト公子であれば!」
「彼らは皇帝陛下と皇太子殿下の側近だ。その時間帯にお二人の傍を離れていたと、確認は取ったか?」
「……」
「学園は部外者の立ち入りが禁じられている。立ち入り許可申請の有無は確認したか?」
「……い、いえ」
確実に主張が潰されていき、ヴィクトルの表情から血の気が引いていく。
「……ご、護衛騎士たちは」
「──この私が、許可を出したとでも?」
カシウスの声が一段下がる。
ヴィクトルの肩が跳ねた。
カシウスの婚約者への執着と独占欲は有名だ。
弟のヴィクトルは、噂以上にそれをよく知っている。
世話をする侍女ですら、いやいや、本当に仕方なく、手だけの接触を許した程なのだ。
護衛騎士といえど、抱き上げることどころか、触れることすら許すはずもない。
ヴィクトルの顔は真っ青になっていた。
(第三皇子殿下も決して悪いお方ではございませんが……)
彼は決して悪人ではない。
無実の人間に、冤罪をでっちあげる性格でもない。
むしろ、そういったことを嫌う、まっすぐな性格だった。
エミリアが証言した状況そのものが成立しないと突き付けられ……冤罪を作り出そうとしていたことに、ようやく気が付いたようだ。
「も、申し訳ございません……私の、思い込みでした……」
「え、ヴィクトル様……?」
しかし、ヴィクトルには自分の過ちを認められる素直さがある。
「アイゼンハルト公爵令嬢、申し訳ない」
ヴィクトルは頭を下げた。
皇族が臣下に頭を下げるなど、本来はそうあってはならないことだ。
しかし、ヴィクトルに限ってはそうでもない。
それなりに見慣れた姿だった。
「謝って許されることではないが、後ほど正式に謝罪を……」
「──ヴィクトル様!」
あちこちから息を呑む音と、絶句した気配がした。
皇子の言葉を一介の男爵令嬢が遮った。
決して、許されてはいけない光景だ。
「なんでですか!私は本当にあの女に突き落とされて!」
「──捕らえよ」
冷たいカシウスの命で騎士たちが動き出す。
その向かう先は、ヴィクトルに喰って掛かるエミリアだった。
女性騎士が容赦なくエミリアの腕をつかむ。
「きゃあ!!」
そのまま膝をつかせた。
「な、なんで!どうして私が!悪いのはその女でしょ!」
「皇族への虚偽報告疑惑、皇族を利用した皇族の婚約者への攻撃の意志、そして……」
──国家反逆罪。




