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境界調整室 ~その境界、どなたか動かしましたね?~  作者: 大神みや
第二案件 夢の島の境界

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9/11

八・二メートル

噴水の横に三脚を立てた。


遠くに城が見える。足元はきれいな石畳だ。


「ここで測量するの、変な感じだね」


俺が言うと、戸地さんは機器のケースを開けた。


「前回は地下だったよ」


「そうだった」


「こっち持って」


戸地さんの声が変わった。


仕事を始めると、余計な言葉がなくなる。


俺は三脚を押さえた。


「違う。脚の方」


「はい」


「もういいよ。次、あそこ」


指された場所へ移動する。


「もう少し右」


右へ動いた。


「行きすぎ」


左へ戻る。


「そこ」


俺は止まった。


「ここ?」


「動かないで」


「はい」


戸地さんが画面を確認する。


足元には石畳の目地が一本、まっすぐ延びていた。


「今、右足が浦崎市で、左足が浜江市だったりして」


「まだ分からない」


「そうだよね」


「そもそも、その目地は市境じゃないよ」


「夢がないな」


「仕事だから」


少し離れたところで、山田さんと前田さんが図面を見比べている。


園内ではスタッフがベンチを拭き、花壇に水をやっていた。


「境くん」


「はい」


「次、行くよ」


俺は三脚を担ぎ直した。


*


二つ目の地点は、新しい建物の脇だった。


まだ一般公開されていないらしく、工事用の囲いが残っている。


施設の担当者が地面の金属標を示した。


「造成工事の際に設置した基準点です」


戸地さんがしゃがみ、表面の土を拭った。


「この点の成果表はありますか」


「はい。お渡しした資料に入っています」


戸地さんはノートを開いた。


「設置時の座標系と、測量した時期も確認したいです」


担当者が資料を探す。


俺は横から覗いた。


数字が何列も並んでいる。


この前の境界標の調査で少しは慣れたつもりだったが、まだ数字だけでは何も分からない。


山田さんがやってきた。


「どうだ」


「この点は資料と合います」


戸地さんが答えた。


「じゃ、次だな」


「山田さん、これ全部測るんですか」


「全部は無理。古い資料と新しい資料をつなげられる場所を選ぶ」


「何か所です?」


「今日は十二」


俺は返事をしなかった。


「夢の国だぞ。楽しめよ」


「測量機器持って十二か所回る夢は見たことないです」


前田さんが笑った。


*


六か所目を終えたころには、背中に汗が流れていた。


開園が近い。


入口の方から、人の声が聞こえ始めている。


次の地点は、新しいエリアの端だった。


大きな建物の裏側。通路を一本隔てたところに、工事用の壁が続いている。


戸地さんが機器を据え、俺は図面を広げた。


「ここが、古い資料の線に近い場所だよね」


「うん。でも、まず位置を確認する」


戸地さんが観測を始めた。


しばらくして、画面を見つめたまま動かなくなった。


「どうした?」


「もう一回」


機器の向きを変え、別の点を確認する。


もう一度、同じ点を測る。


「戸地さん?」


「待って」


短い返事だった。


山田さんが近づいてきた。


「何か出たか」


戸地さんが画面を見せる。


「現地の点は、測るたびに同じ位置になります。でも、こっちの図面と合いません」


「どっちの図面だ」


「埋立事業の資料です。古い境界資料と重ねたときの位置が、説明できません」


山田さんの顔から笑いが消えた。


「点そのものが動いたわけじゃないな」


「はい」


「座標の扱いか?」


「可能性はあります。でも、まだ断定できません」


俺は図面と画面を交互に見た。


「どのくらい違うの?」


戸地さんが指で数字を示した。


「埋立事業の図面に載っている境界線と、古い境界資料から重ねた線の間で、最大八・二メートル」


「八・二?」


「うん」


思わず建物を見上げた。


八メートルといえば、車が二台並んでもまだ余る。


「そんなにずれてたら、工事のとき分かるんじゃない?」


「工事が間違ってるとは限らないよ」


戸地さんは落ち着いていた。


「図面同士の位置の合わせ方が違えば、現地が正しくても、重ねた線はずれる」


「じゃあ、建物が八メートル間違った場所にある、と決まったわけじゃない?」


「それはまだ分からない。今言えるのは、資料をそのまま重ねて判断できないってこと」


山田さんが頷いた。


「そういうこと。八・二メートル動いたのが土地なのか、図面の上の線なのか。そこを調べる」


前田さんも来た。


「古い資料の作り方を確認した方がいいね」


「あと、造成時の測量記録も」


戸地さんが言った。


俺は二枚の図面を見た。


片方には建物がある。


もう片方には、昔の海岸線と一本の境界がある。


どちらも、紙の上ではもっともらしい。


「これ、どっちかの市が嘘をついてるわけじゃないんですね」


山田さんが俺を見る。


「今のところはな」


そのとき、園内の音楽が大きくなった。


遠くで歓声が上がる。


開園したらしい。


施設の担当者が時計を見た。


「間もなく、この通路にもお客様が入ります」


「撤収だ」


山田さんが言った。


「まだ確認したい点があります」


戸地さんが顔を上げる。


「夜にやろう。閉園後なら動ける」


「分かりました」


俺は三脚を畳んだ。


「夜って、今日の夜ですか」


「そうだよ」


「今、まだ朝ですよ」


「時計が読めて偉いな、境ちゃん」


山田さんは平然としている。


戸地さんが機器をケースにしまいながら、もう一度建物を見た。


「境くん」


「何?」


「八・二メートルって、結構大きいよね」


「大きいよ」


「でも、今はまだ、何が八・二メートル違うのか分からない」


俺は図面を畳む手を止めた。


数字が分かれば、答えが出ると思っていた。


そうでもないらしい。


工事用の壁の向こうから、楽しそうな音楽が聞こえていた。


ここでは今日も、何万人もの人が遊ぶのだろう。


その足元の線を、誰も気にしないまま。


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