境界の向こう側
車は施設の裏手で止まった。
表から見えていた城は、もう見えない。
灰色の壁。搬入口。台車に積まれた箱。作業着の人が忙しそうに行き来している。
「夢がないですね」
俺が言うと、戸地さんが首をかしげた。
「私はこういうところも好きだけど」
「そうなの?」
「どうやって動かしてるのか、気になる」
「戸地さんらしいな」
山田さんが車のドアを閉めた。
「お前ら、見学は後だ」
建物の中で、施設管理部の男性が待っていた。
「おはようございます。本日はよろしくお願いいたします」
差し出された名刺を山田さんが受け取る。
「まず資料を見せてください。現地はそのあとで」
「承知しました」
廊下を歩く途中、窓から園内が見えた。
誰もいない通りを清掃車が走っている。花壇では何人かが苗を植え替えていた。
開園前にも、ずいぶん人が働いている。
「境君、こっち」
前田さんに呼ばれ、俺は慌てて追いついた。
*
会議室には、すでに二人の男性が座っていた。
紺色のスーツの人と、作業着の人。
「浦崎市の担当者です」
スーツの男性が立ち上がる。
「よろしくお願いします」
「こちらが浜江市の担当者です」
作業着の男性も頭を下げた。
二人は隣同士に座っている。険悪な雰囲気はない。
もっと睨み合っているものだと思っていた。
施設の担当者が画面に航空写真を映した。
海へ突き出した埋立地。その一角に、新しい建物がある。
建物の近くを、細い線が通っていた。
「これが市境ですか」
俺が訊く。
「古い資料に描かれた境界です」
浜江市の担当者が答えた。
「昔は、ここが海だったんですよね」
「ええ。その後、何度かに分けて埋め立てられました」
次の図面には、造成された時期ごとに色が付いていた。
最初は小さかった陸地が、海へ向かって少しずつ広がっている。
「土地って、本当に増えるんですね」
俺が言うと、山田さんが笑った。
「昨日、室長にも同じこと言ってただろ」
「地図で見るのと違いますから」
戸地さんは図面に顔を近づけた。
「この線は、どの資料を基にしたんですか」
「古い境界資料です」
「新しい埋立地の図面とは、基準が揃ってますか」
浜江市の担当者が、古い境界資料へ目を落とした。
「そこを確認していただきたくて」
戸地さんは頷き、手元のノートに何か書いた。
俺には、もう少し説明が必要だった。
「つまり、どちらの市の土地か分からないんですか」
浦崎市の担当者が口を開いた。
「造成に関する手続きは、主にこちらで扱ってきました」
浜江市の担当者も続ける。
「一方、以前からの境界資料を基にすれば、こちらの市域と考えられる部分があります」
「どちらも根拠がある?」
山田さんが、両市の資料を並べた。
「そういうことです」
「で、今までは困らなかったの?」
施設の担当者が新しい建物を指した。
「これまでは、管理上の支障が少なかったんです。ただ、この区域に新しい施設ができまして」
「固定資産税か」
前田さんが訊いた。
「それもあります。施設の管理や、行政上の扱いも整理する必要があります」
浦崎市の担当者が言った。
「こちらとしても、先送りにはできません」
浜江市の担当者が頷く。
「うちも同じです」
二人の声は穏やかだった。
でも、どちらも譲るつもりはなさそうだ。
「喧嘩はしてないんですね」
俺がつい言うと、二人がこちらを見た。
「していません」
声が重なった。
「すみません」
俺は頭を下げた。
山田さんが笑いをこらえている。
「境ちゃん、余計なこと言うなよ」
「山田さんが先に聞きそうだったから」
「よく分かったな」
前田さんが資料を一枚めくった。
「行政界そのものを、この場で決められるわけではありません。まず資料の食い違いと現地の状況を整理します。その上で、両市に必要な手続きを検討してもらいます」
二人の担当者が頷いた。
第一案件では、動かされた境界標を元へ戻せばよかった。
今回は、元に戻す場所がはっきりしていない。
「それで、現地のどこを測るんですか」
俺が戸地さんに訊いた。
戸地さんが図面の中央を指す。
「まず、ここ」
「ここって、園内じゃない?」
「うん」
「お客さんが歩くところだよね」
「だから開園前にやるんだよ」
山田さんが時計を見た。
「あと二時間。行くぞ」
*
外へ出ると、朝日が建物の向こうから差していた。
戸地さんは機器のケースを持ち、俺は三脚を担いだ。
誰もいない広場を四人で歩く。
遠くで、何かが鳴った。
次の瞬間、園内に音楽が流れ始めた。
「おっ」
思わず足を止めた。
戸地さんも立ち止まっている。
建物の明かりが一つずつ点き、噴水から水が上がった。
さっきまで静かだった町が、目を覚ますようだった。
「すごいね」
戸地さんが小さく言った。
「うん」
山田さんが振り返った。
「お前ら」
「はい」
「仕事」
「分かってます」
また声が重なった。
前田さんが笑っている。
戸地さんは図面を広げた。
「境くん、三脚、あそこに置いて」
指された先は、噴水のすぐ横だった。
俺は三脚を担ぎ直した。
夢の国の真ん中で、市境を測る。
妙な仕事だ。
でも、少し面白くなってきた。




