閉園後
閉園まで、まだ十時間あった。
「どうするんですか」
俺が訊くと、山田さんはあっさり答えた。
「待つ」
「十時間?」
「嫌なら帰ってまた来い」
「帰ったら、もう来たくなくなります」
「じゃあ待て」
施設側が用意してくれた会議室に戻った。
窓はない。長机と椅子。壁には時計が一つ。
さっきまで城を眺めていたのが嘘みたいだった。
前田さんは古い資料を並べ、山田さんは埋立事業の図面を広げている。戸地さんはパソコンに測量結果を取り込んでいた。
俺だけ、手が空いている。
「何かやることありますか」
山田さんが顔も上げずに言った。
「寝てろ」
「仕事中ですよ」
「夜も働くんだろ」
「そうですけど」
「じゃあ寝とけ。あとで運ぶ物は山ほどある」
言い返す理由がなくなった。
俺は机に伏せた。
*
目を覚ますと、戸地さんが隣で弁当を食べていた。
「起きた?」
「今、何時?」
「一時」
「そんなに寝た?」
「よく寝てたよ」
俺も用意されていた弁当を開けた。
「何か分かった?」
「現地の点は、ちゃんと測れてる」
「じゃあ、八・二メートルは?」
「図面を重ねたときの差。まだ原因を確認してる」
「なるほど」
「分かってないでしょ」
「うん」
戸地さんが笑った。
向こうの席から山田さんが呼んだ。
「境ちゃん、ちょっと来い」
机の上には、古い地図と新しい図面があった。
「こっちが昔の境界資料。こっちが埋立工事の図面」
「はい」
「違い、分かるか」
俺は見比べた。
古い方には、海岸から沖へ延びる線と、方角や距離を示す数字がある。新しい方には、細かな座標が並んでいた。
「書き方が違いますね」
「それだけか?」
「それ以上は、まだ」
「正直でよろしい」
前田さんが古い資料を差し出し、線の出発点に指を置いた。
「古い線を今の地図に載せるとき、どこを基準にしたかが問題なんだよ」
「同じ地図に描けば、重なるんじゃないんですか」
「そう思うよね。でも、この線は、ある地点からどちらへ何メートル、という形で描かれてる。その出発点を今の図面のどこに置くか、確かめないといけないの」
前田さんは、指を少し横へずらした。
「例えば、出発点を右に置きすぎれば、同じ方角へ同じ長さの線を引いても、境界は右へずれる。建物はそのままでもね」
俺は、新しい図面にある建物を指で押さえた。
「建物を動かしてなくても、線の方が建物に近づくんですね」
「そう。その出発点や方角を、何の資料で合わせたのかを確認したいの」
戸地さんがこちらへ来た。
「しかも、新しい図面も、造成時の測量記録を確認しないと」
山田さんが頷く。
「つまり、八・二メートルずれたのは、現地の建物じゃなくて、資料の重ね方かもしれない」
「まだ、どちらとも言えないんですね」
「そういうこと」
俺は二枚の図面を見た。
「海だった頃は、そんな細かいところまで困らなかった?」
「困らなかったというより、問題が表に出にくかったんだろうな」
山田さんが言った。
「線を引いたときには、そこに建物なんかなかった。今はある」
「だから、どっちの市も確認したい」
前田さんが続けた。
俺はようやく、二つの市が同じ会議室に来た理由を少し理解した。
「じゃあ、正しい線を一つ見つければ終わりですか」
山田さんは首を振った。
「資料がはっきりしてればな。そうじゃなきゃ、両市で整理するしかない」
「うちが決めるんじゃないんですね」
「俺らは勝手に市境を引けねえよ」
言われてみれば、当たり前だった。
前の仕事では、動かされた境界標を元の位置へ戻した。
今回は、元の位置がどこなのか、そこから調べている。
*
夜十一時。
閉園後、清掃と設備点検の時間を避けて、ようやく現地へ戻れた。
昼間は人でいっぱいだったはずの通りに、誰もいない。
照明はところどころ点いているが、音楽は止まっていた。
「朝より静かですね」
俺が言うと、戸地さんが頷いた。
「ちょっと怖い」
「戸地さんでも?」
「私を何だと思ってるの」
「夜中でも測量できる人」
「それはできる」
「やっぱり」
戸地さんが小さく笑った。
前を歩く山田さんが振り返る。
「お前ら、置いてくぞ」
「はい」
俺は三脚を担ぎ直した。
昼間の地点に機器を据える。
戸地さんが観測し、俺は記録を照合した。
「同じ点だね」
「うん。もう一つ、向こう」
建物の裏手へ移動する。
二点目。三点目。
戸地さんが測るたびに、俺は記録を確認した。
「これも、昼間とほとんど同じだ」
「そう。現地の点が動いてるわけじゃない」
山田さんが図面を覗く。
「よし。今日はここまで取れればいい。残りは資料の確認だな」
俺は建物を見上げた。
「でも、線がどこを通るかで、何が変わるんです?」
「土地の扱い。税金。施設の管理。いろいろだ」
「境界って、ただの線じゃないんですね」
山田さんが笑った。
「やっと気づいたか」
そのとき、遠くで光が点いた。
城だった。
「何だ?」
施設の担当者が時計を見る。
「夜間ショーの試験運転です。短時間ですが」
城の壁に光が走った。
音楽が流れ、噴水が高く上がる。
客のいない広場で、光だけが踊っている。
戸地さんが見上げた。
「すごい……」
俺も足を止めた。
前田さんも空を見ている。
山田さんは時計を確かめた。
「五分だけな」
「仕事中ですよ」
俺が言うと、山田さんがこちらを見た。
「お前が言うな」
四人で黙って見た。
試験が終わると、音楽が途切れた。
また、夜の静けさが戻ってきた。
「得したね」
戸地さんが小さく言った。
「うん」
俺は三脚を持ち直した。
帰りかけたところで、前田さんが新しい建物の図面を開いた。
「ちょっと待って」
山田さんが振り返る。
「どうした」
「この線をそのまま採用したら、施設はどうなる?」
前田さんの指が、建物の中央を横切った。
「一つの建物の中に、市境が通ることになる」
俺は図面を見た。
入口は一つ。中では、たくさんの設備がつながっている。
「建物の途中で、市が変わるんですか」
「そういう扱いになる可能性があるね」
「困りますよね、それ」
施設の担当者が、少し困った顔で頷いた。
山田さんはしばらく図面を見ていた。
「面倒くせえな」
誰も否定しなかった。
八・二メートルの数字は、まだ解決していない。
でも、問題はそれだけじゃなかった。




