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境界調整室 ~その境界、どなたか動かしましたね?~  作者: 大神みや
第二案件 夢の島の境界

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10/10

閉園後

閉園まで、まだ十時間あった。


「どうするんですか」


俺が訊くと、山田さんはあっさり答えた。


「待つ」


「十時間?」


「嫌なら帰ってまた来い」


「帰ったら、もう来たくなくなります」


「じゃあ待て」


施設側が用意してくれた会議室に戻った。


窓はない。長机と椅子。壁には時計が一つ。


さっきまで城を眺めていたのが嘘みたいだった。


前田さんは古い資料を並べ、山田さんは埋立事業の図面を広げている。戸地さんはパソコンに測量結果を取り込んでいた。


俺だけ、手が空いている。


「何かやることありますか」


山田さんが顔も上げずに言った。


「寝てろ」


「仕事中ですよ」


「夜も働くんだろ」


「そうですけど」


「じゃあ寝とけ。あとで運ぶ物は山ほどある」


言い返す理由がなくなった。


俺は机に伏せた。


*


目を覚ますと、戸地さんが隣で弁当を食べていた。


「起きた?」


「今、何時?」


「一時」


「そんなに寝た?」


「よく寝てたよ」


俺も用意されていた弁当を開けた。


「何か分かった?」


「現地の点は、ちゃんと測れてる」


「じゃあ、八・二メートルは?」


「図面を重ねたときの差。まだ原因を確認してる」


「なるほど」


「分かってないでしょ」


「うん」


戸地さんが笑った。


向こうの席から山田さんが呼んだ。


「境ちゃん、ちょっと来い」


机の上には、古い地図と新しい図面があった。


「こっちが昔の境界資料。こっちが埋立工事の図面」


「はい」


「違い、分かるか」


俺は見比べた。


古い方には、海岸から沖へ延びる線と、方角や距離を示す数字がある。新しい方には、細かな座標が並んでいた。


「書き方が違いますね」


「それだけか?」


「それ以上は、まだ」


「正直でよろしい」


前田さんが古い資料を差し出し、線の出発点に指を置いた。


「古い線を今の地図に載せるとき、どこを基準にしたかが問題なんだよ」


「同じ地図に描けば、重なるんじゃないんですか」


「そう思うよね。でも、この線は、ある地点からどちらへ何メートル、という形で描かれてる。その出発点を今の図面のどこに置くか、確かめないといけないの」


前田さんは、指を少し横へずらした。


「例えば、出発点を右に置きすぎれば、同じ方角へ同じ長さの線を引いても、境界は右へずれる。建物はそのままでもね」


俺は、新しい図面にある建物を指で押さえた。


「建物を動かしてなくても、線の方が建物に近づくんですね」


「そう。その出発点や方角を、何の資料で合わせたのかを確認したいの」


戸地さんがこちらへ来た。


「しかも、新しい図面も、造成時の測量記録を確認しないと」


山田さんが頷く。


「つまり、八・二メートルずれたのは、現地の建物じゃなくて、資料の重ね方かもしれない」


「まだ、どちらとも言えないんですね」


「そういうこと」


俺は二枚の図面を見た。


「海だった頃は、そんな細かいところまで困らなかった?」


「困らなかったというより、問題が表に出にくかったんだろうな」


山田さんが言った。


「線を引いたときには、そこに建物なんかなかった。今はある」


「だから、どっちの市も確認したい」


前田さんが続けた。


俺はようやく、二つの市が同じ会議室に来た理由を少し理解した。


「じゃあ、正しい線を一つ見つければ終わりですか」


山田さんは首を振った。


「資料がはっきりしてればな。そうじゃなきゃ、両市で整理するしかない」


「うちが決めるんじゃないんですね」


「俺らは勝手に市境を引けねえよ」


言われてみれば、当たり前だった。


前の仕事では、動かされた境界標を元の位置へ戻した。


今回は、元の位置がどこなのか、そこから調べている。


*


夜十一時。


閉園後、清掃と設備点検の時間を避けて、ようやく現地へ戻れた。


昼間は人でいっぱいだったはずの通りに、誰もいない。


照明はところどころ点いているが、音楽は止まっていた。


「朝より静かですね」


俺が言うと、戸地さんが頷いた。


「ちょっと怖い」


「戸地さんでも?」


「私を何だと思ってるの」


「夜中でも測量できる人」


「それはできる」


「やっぱり」


戸地さんが小さく笑った。


前を歩く山田さんが振り返る。


「お前ら、置いてくぞ」


「はい」


俺は三脚を担ぎ直した。


昼間の地点に機器を据える。


戸地さんが観測し、俺は記録を照合した。


「同じ点だね」


「うん。もう一つ、向こう」


建物の裏手へ移動する。


二点目。三点目。


戸地さんが測るたびに、俺は記録を確認した。


「これも、昼間とほとんど同じだ」


「そう。現地の点が動いてるわけじゃない」


山田さんが図面を覗く。


「よし。今日はここまで取れればいい。残りは資料の確認だな」


俺は建物を見上げた。


「でも、線がどこを通るかで、何が変わるんです?」


「土地の扱い。税金。施設の管理。いろいろだ」


「境界って、ただの線じゃないんですね」


山田さんが笑った。


「やっと気づいたか」


そのとき、遠くで光が点いた。


城だった。


「何だ?」


施設の担当者が時計を見る。


「夜間ショーの試験運転です。短時間ですが」


城の壁に光が走った。


音楽が流れ、噴水が高く上がる。


客のいない広場で、光だけが踊っている。


戸地さんが見上げた。


「すごい……」


俺も足を止めた。


前田さんも空を見ている。


山田さんは時計を確かめた。


「五分だけな」


「仕事中ですよ」


俺が言うと、山田さんがこちらを見た。


「お前が言うな」


四人で黙って見た。


試験が終わると、音楽が途切れた。


また、夜の静けさが戻ってきた。


「得したね」


戸地さんが小さく言った。


「うん」


俺は三脚を持ち直した。


帰りかけたところで、前田さんが新しい建物の図面を開いた。


「ちょっと待って」


山田さんが振り返る。


「どうした」


「この線をそのまま採用したら、施設はどうなる?」


前田さんの指が、建物の中央を横切った。


「一つの建物の中に、市境が通ることになる」


俺は図面を見た。


入口は一つ。中では、たくさんの設備がつながっている。


「建物の途中で、市が変わるんですか」


「そういう扱いになる可能性があるね」


「困りますよね、それ」


施設の担当者が、少し困った顔で頷いた。


山田さんはしばらく図面を見ていた。


「面倒くせえな」


誰も否定しなかった。


八・二メートルの数字は、まだ解決していない。


でも、問題はそれだけじゃなかった。

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