↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
境界調整室 ~その境界、どなたか動かしましたね?~  作者: 大神みや
第一案件 十七ミリの境界

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
4/10

地下

翌日。


また千葉にいた。


昨日と同じ白いワゴン。


昨日と同じ三人。


違うのは、山田さんが朝から機嫌がいいことだった。


「楽しそうですね」


「そう?」


「楽しそうです」


「現場好きだからね」


「地下施設ですよ」


「だから」


この人とは分かり合えない気がする。


後ろを見る。


戸地さんは窓の外を見ている。


今日はほとんど喋らない。


「緊張してる?」


「少し」


「僕も」


「境くんは昨日からずっと喋ってるね」


「緊張すると喋るんだよ」


「そうなんだ」


「戸地さんは?」


「私は黙っちゃう」


分かりやすい。


前から山田さんが言った。


「大丈夫だよ」


「昨日も聞きました」


「何かあったら俺がいるから」


「その言葉、信用していいんですか?」


「失礼だな」


戸地さんが小さく笑った。


*


施設は海から少し離れた場所にあった。


高いフェンス。


配管。


銀色のタンク。


二階建ての建物。


昨日、遠くから見た時より大きい。


入口で名前を書かされた。


会社の担当者が出てきた。


五十代くらいの男だった。


「昨日、市役所から連絡を受けています」


山田さんが頭を下げる。


「急ですみません」


「どちらをご覧になりますか」


「全部」


男が止まった。


「全部、ですか」


「境界に関係しそうなところを」


「地上設備だけでは?」


「地下もお願いします」


男の顔が少し固くなった。


昨日の市役所と同じだった。


「地下には特に何もありませんが」


「じゃあ、すぐ終わりますね」


山田さんが笑った。


この人、こういう時だけ仕事ができる。


*


最初は地上を見た。


配管。


井戸。


ポンプ。


処理設備。


説明を聞いても、俺には半分も分からない。


戸地さんは時々質問している。


「この位置は竣工図と同じですか」


「ええ」


「こちらの配管も?」


「そうです」


俺は黙ってついていく。


完全に役に立っていない。


建物の裏へ回った。


そこに、小さな扉があった。


山田さんが止まる。


「これは?」


「機械室です」


「見ても?」


担当者が少し迷った。


「危険物もありますので」


「入れない?」


「そういうわけではありませんが」


山田さんが扉を見る。


「お願いします」


担当者が鍵を開けた。


*


中は狭かった。


機械が並んでいる。


奥に階段がある。


下へ続いていた。


俺は山田さんを見る。


山田さんも俺を見る。


「地下、ありましたね」


「あるね」


担当者が言った。


「配管の点検通路です」


「昨日は特に何もないって」


「設備というほどのものではありません」


山田さんが階段を覗く。


「降りても?」


また担当者が黙った。


だんだん分かってきた。


この人が黙ると、何かある。


*


階段は思ったより深かった。


コンクリートの壁。


天井には配管。


照明は少ない。


地上よりひんやりしていて、湿ったコンクリートの匂いがした。足音が響く。


十メートルほど降りたところで、横へ通路が伸びていた。


「こんなのがあるんですね」


俺が言う。


「点検用です」


担当者が答える。


「どこまで続いてるんですか?」


「それほど先までは」


曖昧だ。


山田さんが戸地さんを見る。


「分かる?」


戸地さんがタブレットを見る。


「位置ですか?」


「うん」


戸地さんは、入口で確認した位置から図面の通路を指でたどった。


「図面上では、地上の境界にかなり近いです。正確な位置は、通路の測量記録も確かめたいです」


「どっち側?」


「今は東浜市側です」


今は。


その言葉が引っかかった。


「前の境界だったら?」


俺が聞く。


戸地さんが画面を見る。


指で拡大する。


「もう少し先で越えると思う」


担当者がこちらを見る。


山田さんは何も言わず歩き始めた。


*


通路の奥に、もう一枚扉があった。


新しい。


周囲のコンクリートと色が違う。


山田さんが触る。


「これ、いつ作ったんです?」


「私は詳しくは」


「二年前?」


担当者は答えなかった。


山田さんがこちらを見る。


昨日、戸地さんが見つけた建物。


境界が動き始めた時期。


二年前。


「開けてもらえます?」


「ここから先は管理区域です」


「さっきも管理区域でしたよね」


「ここは別です」


「何があるんです?」


「設備です」


「何の?」


沈黙。


山田さんがため息をついた。


「面倒だなあ」


担当者が顔を上げる。


「何がですか」


「一回東京戻って、書類作って、上に説明して、また来るの」


「規則ですので」


「そうですよね」


山田さんが引き下がった。


意外だった。


もっと揉めると思っていた。


階段へ戻る。


途中で山田さんが小さな声で言った。


「境ちゃん」


「はい」


「扉の位置、覚えた?」


「だいたい」


「戸地ちゃん」


「記録してます」


「さすが」


何をする気だろう。


*


地上へ戻った。


山田さんが建物の裏で煙草を取り出した。


「ここ禁煙じゃないですか?」


俺が言う。


「外だよ」


「施設内ですよ」


「一本だけ」


担当者は事務所へ戻っている。


山田さんがライターを出した。


戸地さんが言った。


「山田さん、やめた方がいいですよ」


「大丈夫、大丈夫」


「天然ガスの施設ですよ」


「ここ屋外だよ」


カチッ。


火がついた。


その瞬間だった。


地面の近くで、


ボッ。


音がした。


青白い火が走った。


「え?」


次の瞬間、山田さんが俺の肩をつかんだ。


「走れ!」


何が起きたのか分からない。


戸地さんが振り返る。


「戸地ちゃん!」


山田さんが叫んだ。


火が地面を這った。


戸地さんのすぐ横だった。


俺は腕をつかんだ。


「こっち!」


三人で離れる。


後ろで警報が鳴った。


けたたましい音。


施設の中から人が飛び出してくる。


「火気!」


誰かが叫んでいる。


「火消せ!」


「バルブ閉めろ!」


山田さんを見る。


煙草はない。


ライターもない。


「山田さん」


「後で」


「何したんですか!」


「後で!」


俺たちはフェンスの外まで出された。


*


幸い、大きな火災にはならなかった。


施設の人間が設備を止めた。


消防も来た。


俺たちは駐車場の端に並んで座っていた。


誰も喋らない。


山田さんが言った。


「いやあ」


俺は見る。


「いやあ、じゃないですよ」


「そうだね」


「死ぬかと思ったんですけど」


「俺も」


「原因、山田さんですよね?」


「たぶん」


「たぶんじゃないですよ!」


戸地さんは黙っていた。


「戸地さん、大丈夫?」


返事がない。


「戸地さん?」


振り向いた。


眼鏡が少しずれている。


顔は煤で汚れていた。


怪我はなさそうだ。


でも。


「髪」


「え?」


右側の毛先が縮れていた。


戸地さんが触る。


指先を見る。


もう一度触る。


「……燃えた?」


山田さんが目をそらした。


「少し」


戸地さんが山田さんを見る。


「少し?」


「ほんの少し」


「山田さん」


「はい」


声が低い。


「……どうしてくれるんですか、これ」


「申し訳ない」


「昨日までこの長さだったんですよ」


「はい」


「伸ばしてたんです」


「はい」


「二年」


「はい」


山田さんが完全に小さくなっている。


俺は笑いそうになった。


笑ったらまずい。


絶対にまずい。


戸地さんが俺を見る。


「境くん」


「はい」


「今、笑った?」


「笑ってない」


「絶対笑った」


「笑ってないって」


「顔が笑ってる」


「無事でよかったなって」


「そういう顔じゃない」


怒っている。


でも、本当に無事でよかった。


山田さんが立ち上がった。


「とりあえず病院行こう」


「山田さんもです」


「俺?」


「頭」


「俺は大丈夫」


「そういう意味じゃないです」


俺はとうとう笑った。


戸地さんも少しだけ笑った。


*


消防の確認が終わるまで、施設には戻れなかった。


夕方近くになって、山田さんの電話が鳴った。


室長だった。


「はい」


山田さんの背筋が伸びる。


「はい」


少し離れていても声が聞こえる。


「いえ、怪我人は」


間。


「はい」


さらに間。


「申し訳ありません」


長い。


室長が何を言っているのかは聞こえない。


山田さんは何度も頭を下げていた。


電話なのに。


やがて切れた。


「何て?」


俺が聞いた。


山田さんが携帯をしまう。


「帰ったら話があるって」


「でしょうね」


戸地さんが言った。


「あと」


山田さんが施設を見る。


「明日、前田さん来るって」


「前田さん?」


「うん」


少し嬉しくなった。


「なんで?」


「正式に調査入れることになった」


山田さんがさっきの扉がある建物を見る。


「事故のおかげで、ガス漏れの場所を調べることになったから」


「まさか」


「地下」


俺は黙った。


山田さんが笑う。


「入れるね」


この人は反省しているのだろうか。


「山田さん」


戸地さんが言った。


「何?」


「次、煙草吸ったら殺します」


「はい」


今度は即答だった。


*


帰りの車。


戸地さんは後部座席でずっと毛先を触っていた。


「切るの?」


俺が聞いた。


「これじゃ無理でしょ」


「どれくらい?」


「短くする」


少し想像した。


今は肩まである。


「似合うんじゃない?」


「まだ切ってないのに?」


「なんとなく」


戸地さんが眼鏡越しに俺を見る。


「変だったら境くんのせいにする」


「なんで僕?」


「似合うって言ったから」


「山田さんのせいでしょ」


前から声がした。


「俺?」


俺と戸地さんが同時に言った。


「山田さんは黙っててください」


「はい」


今日はよく返事をする。


窓の外を見る。


田んぼが流れていく。


その下に天然ガスがある。


その下を、知らない地下通路が走っている。


そして、その近くで境界が少しずつ動いている。


十七ミリ。


昨日まで、笑える数字だった。


今はもう、笑えなかった。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。