方正家の冷蔵庫テトリス(母・方正 志保)
「ただいま〜。ふぅ、今日特売だったから、ついつい買い込んじゃったわ〜」
スーパーの袋を両手に下げてキッチンに入ると、そこにはすでに先客がいた。
高校の制服のワイシャツの腕をきっちり二つ折りにして、眉間に深いシワを寄せている息子・律の姿。
「おかえり、母さん。ちょうどいいところに」
律は冷蔵庫の扉をパカッと全開にして、私を振り返った。
その手には、なぜかステンレスの巻き尺が握られている。
「この冷蔵庫のチルド室および第2段ポケットの空間充填率が、著しく低下している。特に、母さんが昨日買ってきた納豆のパックだが」
「ん? 3パックで78円だったのよ、安いでしょ〜」
「価格の話はしていない。なぜ縦3段のグリッドを無視して、斜め45度の角度で雑然と突っ込んであるんだ。背後のヨーグルトの賞味期限表示が完全に遮蔽され、先入れ先出し法(FIFO)のプロトコルが破綻している」
「あらまあ」
冷蔵庫の中を覗き込むと、思わず笑ってしまった。
卵はすべて尖った方を下にして格子状に整列。
ドレッシングのボトルは背の順に並び、麦茶のポットと牛乳パックは直角にピタリと密着。
余剰スペースには、タッパーがまるでテトリスのブロックのように寸分の隙間もなく美しくスタッキングされている。
「りっちゃん、これ、奥のポン酢取り出そうとしたら手前の小鉢を3つ外に出さなきゃいけないんじゃない?」
「取り出しやすさよりも、容積効率と冷気循環の最適化を優先した結果だ。取り出す際は、所定のトレイを一度水平に引き出せば済む話だ」
「はいはい、すごいのねぇ。パズルみたいで綺麗だわ〜」
私が買ってきた牛乳とキャベツをぽんと調理台に置くと、律の目がキランと光った。
スッと伸びる細い指。
律は牛乳パックを手に取ると、冷蔵庫の「定位置」へ垂直に差し込んだ。
「牛乳はここ。開け口は手前右側。母さん、飲んだ後はパックの底面をハサミで対角線上に切断し、完全な平面にしてから乾燥トレイへ移すように」
「はーい、忘れなかったらね〜」
「『忘れなかったら』ではない。努力義務ではなく絶対遵守だ」
ぶつぶつと文句を言いながらも、律は私が買ってきた大量の野菜や調味料を手際よく、まるで精密機械のように冷蔵庫へ格納していく。
重いキャベツは一番下。長ネギは野菜室の深さに合わせて正確に3等分にカットされ、ラップで四角く包まれる。
その真剣な横顔を見ていると、どうしても遠く離れた夫の顔が重なる。
「ふふっ。りっちゃん、ほんとお父さんにそっくりねぇ」
何気なくそう呟いた瞬間、律の作業の手がピタリと止まった。
メガネのブリッジを中指でクイと直角に押し上げ、ひどく不服そうに私を見る。
「非合理的です」
「あら、そう?」
「父親からの遺伝子継承率は約50%に過ぎません。思考様式や生活習慣などの後天的獲得形質が、単なる遺伝情報のみによって同一化するという主張には、統計的・生物学的な根拠が皆無です。僕は僕自身の美意識と論理に基づいて行動しているだけであり、父の模倣ではない」
早口でまくし立てる息子。
夫も、長期出張先から電話をかけてくるたびに、全く同じ口調で「志保、今月の光熱費の推移グラフだが」なんて言ってくるのだ。
「はいはい、そっくりそっくり。屁理屈の長さまで瓜二つだわ〜」
「母さん、僕の論理的展開を聞いていましたか。『瓜二つ』という比喩も植物学的に――」
「あ、りっちゃん、ついでにこの段ボールも畳んでおいてくれない? りっちゃんが畳むと、紐で縛ったときカチッとなって気持ちいいのよね〜」
「……やむを得ない。テープの剥がし跡に糊が残るとリサイクル効率が落ちるため、僕が処理する」
ブツブツと文句を言いながら、律はカッターを取り出して、段ボールの解体作業に入った。
文句は一人前、手際の良さは百人力。
「ありがとうねぇ、助かるわ〜」
「僕はただ、歪んだ直方体が視界にあるストレスを排除しているだけだ。感謝される筋合いはない」
背筋をピンと伸ばし、定規のようにまっすぐな背中で段ボールを切る息子。
学校では「プリンス」なんて呼ばれて気取っているらしいけれど、家ではこうして、私の大雑把な家事に付き合わされて毎日せっせと「世界の歪み」を直している。
角が立っていて、理屈っぽくて、ちょっと面倒くさい。
でも、その四角い枠組みの中に、家族への不器用な優しさがぎっしりと隙間なく詰まっているのを、私はちゃーんと知っているのだ。




