↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
6/22

不毛な座標軸と固有値(2年B組・九条 尊)

 他人の足を引っ張る奴は三流だ。

 本物の秀才なら、正面から相手の頭を踏みつけて首位を奪い取るべきだ。


「……またかよ。クソが……!」


 1学期期末考査の最終日、放課後。

 俺――九条尊(くじょう・たける)は、細長く三つ折りに圧着された『個別成績度数分布票』を睨みつけ、紙が破れそうな勢いで握りしめていた。


 【総合得点:494点/500点】

 【学年順位:2位】


 2位。またしても2位。

 入学以来、一度たりとも破れない「学年2位」の壁。

 確認するまでもない。この学年で俺の上に立つ奴なんて、あいつしかいないのだ。


 俺は紙を乱暴にポケットに突っ込み、B組の教室を飛び出した。

 目指すは隣のA組。


 ガラッとドアを乱暴に開けると、放課後の静まり返った教室の中央、机の上の筆記用具をミリ単位で整列させている男がいた。

 ブレザーにシワひとつなく、ネクタイを直角に正した「四角四面のプリンス」、生徒会副会長・方正律。


「おい、方正!」


 俺が机をバンと叩くと、律は定規を動かす手を一切乱さず、銀縁メガネの奥から冷たい目をスッと上げてきた。


「九条くん。机の加振による固有振動で、並べ終えた消しゴムの位置が3ミリずれた。再配置のコストを請求したいところだが」

「知るかそんなもん! お前、現代文の最後の記述問題、なんて書いた!?」


 俺は自分の答案用紙を机の上に叩きつけた。


「問5の『筆者の意図する自由の定義』だ! 俺は本文の対比構造を拾って完璧にまとめたはずなのに、4点引かれて満点を逃した! お前はどうせ満点なんだろ!? 何を書けばあの偏屈な国語教師から満点をもぎ取れるのか教えろ!」


 一気にまくし立てる俺に対し、律は眉ひとつ動かさない。


「記述の解答なら、文末の因果関係を『ゆえに』で統一し、第3段落のキーワードを過不足なく網羅しただけだ。採点基準のガイドラインに忠実に従えば、満点以外の出力はあり得ない」

「くっ……! やっぱり満点かよ! たった6点差だぞ、たった6点! 次こそは……夏の実力テストこそは、俺がお前を必ず引きずり下ろして学年トップに立ってやる!」


 拳を握りしめ、剥き出しの闘争心をぶつける俺。

 中学時代から神童ともてはやされ、努力とプライドでトップを走り続けてきた俺にとって、こいつは絶対に倒さなければならない「壁」だった。


 だが――。

 律は心底不思議そうに、首を傾げた。


「どうして僕と君を比べる必要があるんだ?」


「……あ?」


「順位など、所詮は同じ試験問題という単一の物差しで切り取った、偶発的な相対評価に過ぎない。君が二位を取り、僕が一位を取ったという別々の事実が存在するだけだ。そこに上下や勝敗を見出すことに、何の意味がある?」


「何の意味がある、だと……!? 勝負だろうが! 俺とお前、どっちが優秀かっていう――」


「僕は僕にしかなれないし、君は君にしかなれない」


 律の口調は、あまりにも静かで、平坦だった。

 見下すような嘲笑も、勝ち誇る傲慢さもない。

 ただ、2本の平行線について語る数学者のように、揺るぎない事実だけを口にしている。


「僕というシステムは、僕の知識の欠損を埋めるために勉強している。君という個体が何点取ろうと、僕の学習の価値は1ミリも変動しない。同じように、君がどれほど努力して積み上げた知性も、僕の点数ごときで価値が損なわれる筋合いはないはずだ」


「…………っ」


「君の答案は、思考の解像度が非常に高い。僕に勝つだの負けるだのという不確定な他人の座標に囚われず、君自身の関数を極大化することにリソースを集中させればいい。……君のその無駄なエネルギーの浪費は、極めて非合理的だ」


 律は机の上の消しゴムを元の位置に直角に戻すと、カバンを手にスッと立ち上がった。


「では、生徒会の定例会議があるため失礼する。机の上の答案用紙は、縁から平行に直して持ち帰ることを推奨する」


 靴音ひとつ乱さず、律は教室を出ていった。

 タイルの目地を絶対に踏まない、いつも通りの奇妙な直進歩行で。


 夕日の差し込む教室に、俺は一人取り残された。


「……ふざけんなよ」


 奥歯をギリリと噛み締める。

 悔しくて、腹が立って、情けなくて仕方がなかった。

 あいつは俺をライバルとして見てすらいない。勝負の土俵にすら上がってくれない。


 だけど――。


『君がどれほど努力して積み上げた知性も、僕の点数ごときで価値が損なわれる筋合いはないはずだ』


 その言葉が、さっきまで俺を縛り付けていた「2位という劣等感」を、呆気ないほど綺麗に粉砕していた。


「……偉そうに説教しやがって」


 俺は机の上の答案用紙を乱暴に掴みカバンに突っ込んだ。


「勝手に一人で完結してろ、四角四面のバカ野郎。……お前が勝負してこないなら、俺が一方的にお前を追い抜くだけだ」


 夕暮れの廊下を、俺は力強く踏みしめて歩き出した。

 あいつの引いたまっすぐな線に負けないくらい、自分だけの直線を、どこまでも研ぎ澄ませていくために。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。