外周のディフェンダー(生徒会長 天王寺 司)
俺は天王寺司。高校3年生、泣く子も黙る生徒会長――のはずなんだが、この生徒会室における実質的なヒエラルキーの最下層にいる自覚がある。
原因は、目の前のデスクで定規を使って書類の端をぴったり揃えている、副会長の2年生・方正律だ。
「会長。秋桜祭の『キャンプファイヤー企画』だが」
「……律よ。一応確認だけど、俺、お前より1年早く生まれてる先輩なんだけどな?」
「生徒会規約第2条において、会長および副会長は職務遂行上の対等な執行機関と定義されている。年齢による敬語使用の義務規定は存在しない。……それより、校庭での営火行為は近隣住宅との離隔距離の観点から即時却下だ」
「えー! 火ぃ囲んでフォークダンスしたら絶対青春じゃん!」
「青春の熱量は可燃性ガスではない。直ちにLEDキャンドルによる代替案に修正しろ」
全校生徒から「笑顔のカリスマ」と慕われる俺を、名前呼び捨て&完全タメ口で容赦なく切り捨てる後輩。
だが、俺の思いつきによる無茶振りを、文句を言いながらも完璧に形にしてくれる「歩く安全基準」こそがコイツだった。
事件が起きたのは、3年生である俺にとって最後の文化祭を2週間後に控えた日のことだ。
生徒会室のドアが勢いよく開き、文化祭実行委員長の女子が飛び込んできた。顔面蒼白で、目には涙がたまっている。
聞けば、学校の真裏にある新興住宅地の自治会長から、職員室に強烈な怒鳴り込みがあったという。
『夕方の軽音部のドラムがうるさい』
『受験生のいる家庭への配慮が足りない』
『今年の文化祭は一般公開を取りやめ、ステージ発表もすべて中止にしろ』
事なかれ主義で有名な教頭は、地域の顔役に怯えてあっさり白旗を上げたらしい。
生徒会長である俺に下された通達は、「生徒たちを説得し、今年の文化祭は縮小・外部非公開で丸く収めろ」というものだった。
「天王寺会長……うちのバンド、この文化祭がラストライブなのに……!」
泣きじゃくる女子を前に、俺は胃がキリキリと痛むのを覚えた。
相手は地域の自治会。味方であるはずの学校の上層部も敵に回っている。
高校生がどれだけ「やりたい」と叫んだところで、大人の力関係の前には無力だ。
「……わりぃ」
俺は努めて明るく笑い、女子の肩をポンと叩いた。
「俺がさ、教頭と自治会長のところに頭下げてくるよ。一般公開はナシになっちゃうけど、校内生だけで体育館でアンプ通さずにやるとか、なんとか代案通してみるから。な?」
悔しいが、これが現実だ。
最上級生として、生徒会長として、自分が泥をかぶって頭を下げれば、最小限の傷で場は収まる。
それが「大人の階段を登りかけた高校3年生」の導き出した、最も痛みの少ない妥協点だった。
その時だった。
バァン!!
生徒会室の空気を切り裂くような乾いた音が響いた。
見ると、律が立ち上がり、机の上に分厚い黒のキングファイルを叩きつけていた。
銀縁メガネの奥の双眸が、氷のように冷たく俺を射抜いている。
「会長。1年早く生まれたくらいで、勝手に全校生徒の責任を背負い込むな。老害の始まりだぞ」
「ろ、老害……!? まだ早くない?!」
「君のその『丸く収めようとする悪癖』、反吐が出るほど非効率的だ。相手の理不尽な感情論に屈して自分の輪郭を削り取ることが、生徒会長の仕事だと本気で思っているのか?」
律はスタスタと歩み寄り、俺の胸元にファイルを突きつけた。
背筋は180度垂直。アイロンの効いたブレザーには埃ひとつない。
「職員会議の報告を聞いてから12分間で作成した。過去3年分の音量測定データ、および環境省が定める住宅地環境基準値の照合結果だ」
「……は?」
「軽音部の練習音量は最大52デシベル。基準値(昼間55デシベル以下)を明確に下回っている。また、練習時間は日没前の17時30分までであり、騒音規制法上の制限時間外だ。自治会長の要求は受忍限度を超えた過剰な権利行使であり、教頭の指示は職務怠慢による不当な教育機会の剥奪に該当する」
息もつかせぬマシンガントーク。
俺と実行委員長は、完全に口をポカンと開けて固まった。
「お前……それ、12分で全部調べたのか……?」
「数字と法令を並べ替えただけだ。論理的に見て、我々がプログラムを1秒たりとも削る根拠は存在しない」
「でもよ、律。相手は大人の自治会長だぞ? 正論でぶん殴ったって、角が立って余計にこじれるだろ!」
「角が立つ? 結構なことだ」
律は眉ひとつ動かさず、至極当たり前のことのように言い放った。
「それの何が悪い。角があるからこそ、人は自分の領域を守り、理不尽な侵略を跳ね返すことができる。……会長。君の思いつきのキャンプファイヤーは愚行の極みだが、全校生徒が正規の手続きを踏んで準備してきた努力は、1ミリたりとも侵害させてはならない。それが生徒会規約第3条に定められた、我々の義務だ」
律はファイルを小脇に抱え、迷いのない足取りでドアに向かった。
「おい、律! どこ行く気だ!」
「職員室だ。教頭を論理的に解体したのち、自治会長宅へ『騒音データ付き運営ガイドライン(全32ページ)』を持参して直接交渉を行う」
「ちょ、待て待て待て! お前を1人で行かせられるかバカ!」
俺は慌ててブレザーを引っ掴み、律の背中を追って廊下へ飛び出した。
さっきまで胸を支配していた無力感と諦めは、跡形もなく消え去っていた。
誰の顔色もうかがわない。
先輩だろうが教頭だろうが地域の有力者だろうが、同じ「規約と事実」の物差しで測る。
敵に回せばこれほど可愛げのない後輩はいないが、同じ側に立った時のこいつは、どんな大人よりも分厚い盾だった。
「律! 俺も行く! 頭下げる練習しかしてなかったけど、お前のその資料、俺が一番いい声で自治会長にプレゼンしてやるよ!」
「不要だ。君の無駄に感情的なトーンはデータの客観性を損なう」
「つれないこと言うなよ、可愛い後輩!」
「可愛いなどという非論理的な形容詞で呼ぶな」
そう言って歩調を早めた律の横顔。
耳の先端がほんの少しだけ赤くなっていたのを、俺は見逃さなかった。
……まあ、「耳介部の温度上昇は早歩きによる血流増加だ」とか屁理屈で論破されるのがオチだから、先輩の優しさとして黙っておいてやったけどな。




