直角の亡霊(2年C組 赤城 竜次)
俺の名前は赤城竜次。
髪は程よく脱色したミルクティー色、第二ボタンまでは開けるのがポリシー、遅刻とサボりの常習犯。いわゆる、教師が一番ため息をつくタイプの生徒だ。
そのはずだった。
「赤城くん。昨日の放課後、君が駐輪場裏で消費した紙パック入りいちごオレのストローの袋だが」
昼休みの教室。
カツ、カツ、と一定のテンポで響くローファーの足音とともに、そいつは現れた。
2年A組、生徒会副会長・方正律。
銀縁メガネの奥の瞳は冷徹そのもの。ブレザーにはシワひとつなく、ネクタイの結び目は幾何学模様のように完璧な正三角形を描いている。
校内でのあだ名は「四角四面のプリンス」。
女子からは「冷たく見下ろされたい」だの何だのキャーキャー言われているらしいが、俺からすればただのサイコパスである。
律は胸ポケットからピンセットを取り出し、透明なジップロックを掲げた。中には、くしゃくしゃになったプラスチックの切れ端。
「現場のゴミ箱から半径3メートル以内に落ちていた。風力、風向き、君の昨日の退室時刻、そしてこのストロー袋に残された筆圧レベルの噛み跡から推測するに、所有者は君で99.8%間違いない。校則第14条『校内の美化義務』違反だ」
「知らねえよ! なんでゴミ拾うのにピンセット使ってんだよ! 鑑識かよ!」
「ゴミではない、君の怠慢の残滓だ。直ちに受け取り、所定のプラスチックゴミ箱へ角度45度で投入しろ」
教室がざわつく。
周りの連中は「また赤城がプリンスに捕まってる……」と同情混じりに距離を取る。
こいつは毎日これだ。
シャツの裾が2センチ出ている、靴紐の結び目の左右の長さが揃っていない、置き勉した教科書の並び順が――。
ヤンキーだろうが優等生だろうが関係ない。こいつは視界に入ったすべての「乱れ」を許さないのだ。
「おい方正、いい加減にしろよ。お前、生徒会室でふんぞり返ってればいいだろ。なんで俺ばっか付け狙うんだよ」
「付け狙う? 心外だな」
律はすっと銀縁メガネを中指で押し上げた。その角度、きっかり指先に対して垂直。
「僕はただ、そこに存在する歪みが生理的に耐えられないだけだ。特に君は、歩幅、着こなし、生活態度、すべてが『雑』だ。見ているだけで僕の脳幹にノイズが走る」
「うるせえ! 俺の生き方にケチつけんな!」
「生き方などどうでもいい。僕が問題にしているのは、君という存在が校内のエントロピーを増大させているという事実だ」
理屈が難しすぎて頭が痛い。
こいつの頭脳は学年ダントツの1位だ。東大模試で全国トップクラスの男が、なぜ昼休みに俺のいちごオレのゴミを追跡しているのか。頭がいいのかバカなのか、本当にわからない。
「もうほっといてくれ! 俺は留年したって別にいいんだよ!」
思わず投げやりに怒鳴った。
どうせ誰も俺に期待なんかしていない。担任だって「赤城、また遅刻か」とため息をつくだけだし、親からも「好きにしろ」と見放されている。適当に高校をドロップアウトして、適当にフリーターでもやればいい。そう思っていた。
律は無表情のまま、ブレザーの内ポケットから一冊の手帳を取り出した。
皮カバーの端まで一切の擦り切れがない、異様なまでに新品同様の手帳。
パラリ、と精密機械のような手つきでページがめくられる。
「留年? 不可能だな」
「……あ?」
「君の1学期の欠課時数は現時点で、数学が上限まであと2コマ、現代文があと1コマ、体育が3コマ。だが、今日の6限の数学に出席し、来週月曜の補習を45分間受講、さらに僕が作成したこの『遅刻常習者更生タイムスケジュール表』に沿って今後3週間行動すれば、欠課オーバーは物理的に回避される」
律が机の上に叩きつけたのは、方眼紙に極細のペンでびっしりと書かれたタイムテーブルだった。
『7:12 起床』
『7:18 朝食(咀嚼回数30回を推奨)』
『7:34 玄関通過』
『7:41 駅の第3ドアから乗車(最も階段に近い車両)』
……
「な、なんだこれ……」
「君が進級するための最適解だ」
「なんでお前がこんなもん作ってんだよ!」
「言ったはずだ、歪みが許せないと」
律はまっすぐに俺を見据えた。
軽蔑でもない、哀れみでもない。ただの、澄み切った事実を述べるような声だった。
「この学校の2年生という直方体から、君というひとつの角が欠落するのは、構造力学的に美しくない。全員が進級し、全員が所定の位置に収まってこそ、完全な四角形が維持される。……君が落ちこぼれるなどという『イレギュラー』は、僕の美意識が断じて許可しない」
「……」
呆気にとられて、言葉が出なかった。
先生は「真面目にやれ」と怒るだけだった。
親は「勝手にしろ」と諦めた。
誰も、俺が進級するために「何時何分の電車に乗ればいいか」なんて、具体的に計算してくれたことなんてなかったのに。
こいつは、ただ自分が「気持ち悪いから」という理由だけで、俺のために電車のドアの位置まで調べ上げたのだ。
狂っている。完全に狂っている。
だけど――。
「……おい」
「なんだ」
「この表、朝飯食う時間が6分しかねえんだけど」
「トースト1枚と牛乳1杯なら、平均的咀嚼速度で4分32秒で摂取可能だ。1分28秒の猶予がある」
「バカか! カツ丼食いたい日はどうすんだよ!」
「朝から油物を摂取するな、胃腸の活動効率が落ちる」
律はジップロックに入ったストローの袋を、俺の掌にきっちり水平に押し付けた。
「では、6限の予鈴までに席に着くように。1秒でも遅れた場合、明日から毎朝7時12分に君の自宅のインターホンを連打する」
「やめろマジで! うちの親がビビるだろ!」
「では、失礼」
律は踵を返し、廊下のタイルの目地を一切踏まない完璧な直進歩行で去っていった。
手元に残された、シワひとつない方眼紙のスケジュール表。
それを見つめながら、俺は大きくため息をついた。
「……チッ。6限、行くしかねえじゃねえかよ……」
教室の隅で、女子たちが「きゃー! 今日もプリンス様、赤城くんを冷たく調教してたー!」と騒いでいるのが聞こえた。
調教じゃねえよ。あれはただの、歩く定規だ。
でも――その定規で引かれた線だけは、どうしようもなく真っ直ぐで、俺の歪んだ道を引っ張り上げようとしていた。




