不良の因数分解と折り目正しい領収書(2年C組 赤城 竜次)
新学期が始まって早々、俺――赤城竜次は、ひどい頭痛に見舞われていた。
原因は秋の気圧のせいでも、二日酔い(飲んでない)のせいでもない。
隣でメンチを切りながら歩いている、中学からのツレ――黒木のせいだ。
「おい赤城ぃ。お前、1学期の終わり頃から妙に丸くなったと思ったらよぉ……生徒会の犬にでも成り下がったんか?」
黒木はだらしなくシャツの裾を出し、ポケットに手を突っ込んでツバを吐く。
「生徒会が『文化祭の模擬店規約に違反してるから看板のサイズ直せ』だと? 知るかボケ! 俺らC組のたこ焼き屋はド派手にいくって決めてんだよ。そのガリ勉プリンスだか何だか知らねえが、ビビらせて一発で許可ハンコ押させてやるわ」
「おい、やめとけ黒木」
俺は乾いた声で忠告した。
「あいつは……お前が思ってるような『殴れば怯むガリ勉』じゃねえ。関わらない方がいい。お前の脳みそが沸騰するぞ」
「ケッ、ビビりやがって!」
ガララッ!!
制止を聞かず、黒木が生徒会室のドアを蹴破らんばかりの勢いで開けた。
案の定、そこにいたのは「四角四面のプリンス」こと方正律だ。
シャツにシワひとつなく、定規と赤ペンを机の縁に平行に揃え、パソコン画面に向かって規則正しいリズムでキーボードを叩いている。
律は顔を上げず、0.5秒で口を開いた。
「ノックなしの入室、ならびに扉の開放角度が110度を超過している。ヒンジへの過負荷だ。退室してやり直しを要求する」
「ああん!? てめえが方正か! ガタガタぬかしてんじゃねえぞコラ!」
黒木が律のデスクにドカンと両手を叩きつけた。
「うちのクラスの看板、規定サイズより縦に50センチ長いからダメだと!? たかが50センチぐらいいいだろうがよ! 減るもんじゃねえだろ!」
俺はそっと胃のあたりを押さえた。
あーあ、言っちゃったよ。「たかが50センチ」なんて禁句中の禁句を。
律のキータッチがピタリと止まった。
ゆっくりと顔を上げ、銀縁メガネの奥の氷のような瞳で、黒木をスッと見据える。
「……赤城くん」
「あ? お、おう……」
なぜか真っ先に俺に話を振ってくる律。
「君が同伴しているこの不確定要素(黒木)の脳内パラメータは、極めて低次元な一次元思考に留まっているようだ。教育的指導が必要かい?」
「おいコラ方正! 喧嘩売ってんのかテメエ!」
黒木が胸ぐらを掴もうと身を乗り出した瞬間――
スッ。
律は机の引き出しから、金属製の30cm定規を滑らかに抜き放ち、黒木の喉元5センチ手前でピタリと静止させた。
切っ先が全くブレない。居合斬りのような神速。
「動くな。君の重心位置は前傾25度、足の接地面積が不十分だ。このまま前進すれば、慣性の法則に従って君の喉がこのステンレス鋼(SUS304)の角に激突し、気道損傷による呼吸困難を引き起こす確率が94%だ」
「なっ……!?」
「脅迫ではない。ただの力学的予言だ」
黒木が息を呑んで硬直する。
律は平然と定規を引っ込めると、手元のバインダーからC組の模擬店図面を取り出した。
「黒木くん。君たちの看板が規定(縦900mm×横1800mm)を超過した場合のシミュレーションだ」
律は赤ペンを鮮やかに走らせ、一瞬で立体見取り図を描き上げた。
「渡り廊下の天井高は2400mm。君の希望する1400mmの看板を設置した場合、床面からのクリアランス(空間)は1000mm――すなわち1メートルしか残らない。この高さを通過できるのは、高校において座高の低い小学生のみだ」
「ぐ……」
「全校生徒および来場者が腰を90度曲げて匍匐前進に近い姿勢で通行せねばならず、動線通過効率は通常の12%まで低下。結果として君たちのたこ焼き屋の前には異常な群衆密度が発生し、群衆雪崩による負傷者が出るリスクがある。……君は、たこ焼きの売上のために他者の頸椎を圧迫骨折させる覚悟があるのかい?」
「な、なんでたこ焼きで骨折すんだよ……!」
「論理的帰結だ」
律はメガネを中指でクイと押し上げ、追い打ちをかけるように書類を差し出した。
「さらに、君たちが申請した買い出しの領収書だが」
「えっ、領収書……?」
「内訳に『油性マジック・極太(黒)』が8本計上されている。看板の表面積から算出して、必要なインク量は3本分で十分だ。残りの5本はどこへ消えた? 私的流用、あるいは備品管理の怠慢による紛失か。生徒会費からの助成金申請において、このような杜撰な使途不明金は1円たりとも認可できない」
「う、うぐっ……! あ、あれは、その……試し書きしてたら床に落としてペン先が潰れて……」
「ペン先の損壊率は筆圧の過剰によるものだ。過失による損失を公金で補填する論理的妥当性はない」
黒木の額から、滝のような汗が吹き出していた。
さっきまでのヤンキーの威圧感はどこへやら、完全に「脱税を暴かれた中小企業の社長」の顔になっている。
「黒木ぃ……だから言ったろ、やめとけって……」
俺がため息混じりに肩を叩くと、黒木はプルプルと震えながら俺の服の裾を掴んできた。
「あ、赤城ぃ……助けてくれ……! こいつ人間じゃねえ……! 言葉のナイフで刺されまくって血が出そうだ……!」
見かねた俺は、一歩前に出た。
1学期の経験から、俺はこの「四角四面のモンスター」の倒し方――いや、正しい取り扱い方を学んでいる。
「……おい、方正」
「なんだい、赤城くん」
俺は制服の内ポケットから、きっちり四つ折りにした領収書を取り出し、律のデスクにトン、と置いた。
「マジックの余計な5本分、俺が弁償してC組の会計に戻した。これがその領収書だ。看板のサイズも、横幅を広げて縦を縮める。面積は変えねえから、これなら天井のクリアランスも動線も邪魔しねえだろ」
律は領収書を指先でつまみ、日付と金額をスッと検分した。
それから、俺が修正した図面を定規で測る。
「……なるほど。アスペクト比を1対2から1対3へ変更し、横方向の余白を活用したわけか。風圧抵抗の分散という観点からも、初期案より20%安全マージンが向上している」
律の眉間のシワが、すっと消えた。
「認可しよう。赤城くん、君の修正プロトコルは極めて合理的で美しい」
カシャン。
綺麗な直角の角度で、認可の承認印が書類に押された。
「……よっしゃ、通ったぞ黒木。行くぞ」
「お、おう……」
腰が抜けかけた黒木を抱えるようにして、俺たちは生徒会室を出た。
廊下に出た瞬間、黒木はその場にへたり込んだ。
「あいつ何なんだよマジで! サツの取り調べより怖いんじゃねえか……?!」
「だから言ったろ。あいつに感情論や気合は1ミリも通用しねえんだよ」
「でもよ、赤城……お前、あいつと普通に交渉して話通したじゃねえか。すげえな」
黒木の尊敬の眼差しに、俺は苦笑いしながら頭をボリボリと掻いた。
「慣れだよ、慣れ。……あいつ、めちゃくちゃムカつくし面倒くせえけど、嘘はつかねえし、筋が通ってりゃちゃんと認めてくれるからな」
ポケットを探ると、1学期にあいつから無理やり渡された「タイムテーブル」。
もう今ではほとんど必要ない。
「ほら立てよ黒木。たこ焼きの看板、作り直すぞ。角が1ミリでも歪んでたら、またあいつに定規で喉元突かれるからな」
「う、嘘だろ……!? おい赤城、分度器貸してくれ……!」
怯えるツレの背中を叩きながら、俺は秋晴れの空を見上げた。
文化祭当日、あの偏屈なプリンスが俺たちのたこ焼きを食いに来たら――爪楊枝をきっちり直角に2本刺して、突き出してやるつもりだ。




