第27話 ビーフシチュー城、有終の美
ビーフシチュー城の最上階、上田の部屋。
案の定、上田との戦いの火蓋が切られてしまった。
上田の放った灰色の魔粒子は、もはや空気に溶け込んでしまって、その色が見えなくなっている。
この空間全体を物理的に支配しようとしている感が半端ない。
上田テッペイが椅子から立ち上がり、魔粒子を放射した直後のことだった。
「お覚悟を——」
我がピスタチオ王国の、愛すべきメイド兼ボディガードのトワリが、例によって例のごとく、即座にドスを構えて飛び出した。
鞘からドスを完全に抜いており、峰打ちで済ませる気はなさそうだ。
瞳はいつも以上に紅々と輝いている。
トワリの奴、本気だ——
本気を出しても上田は死ぬことはない。
いやむしろ、本気を出さなければ勝てないと、本能で悟っているのだ。
「だよねぇ!」
上田はトワリが斬りかかる直前に、既に一言言葉を発していた。
「止まれ」でも、「当たらない」でも、「避ける」でもない。
「だよねぇ!」という言葉。
たったそれだけなのに——
ヒュンッ………………
トワリにあるまじき太刀筋。
彼女のドスは、間合いを完全に見誤り、上田の2m前の空気を、綺麗に切り裂いた。
「……っ……そんなはずは……ありません」
「でも、実際にそうなってるからねえ」
トワリは、困惑し、目を見開いて止まっている。
「信じられない」と言う言葉が、彼女の表情に、はっきりと書かれている。
そう。トワリほどの五感と技術を持ってして、この程度の間合いを見誤ることなど、絶対にありえない。
ありえないことが今まさに起きている。
「トワリ!! 無理するなっ!!」
トワリは、ドスを構え直す。
次の瞬間には、上田の背後に回っていた。
「ははっ! こいつぁ速えや!」
彼女は今度はドスを斜めに振り下ろした。
しかし、またしても彼女の刃は、上田の横の空気だけを切ってしまう。
「ぶぁはははは! 確か名前は、トワリ、だったよねぇ。君はさぁ、ちょっと良い子すぎんのよぉ」
トワリは攻撃を続ける。
だが、上田が必死に避けているわけでもないのに、トワリの攻撃は、まるで見当違いのところにばかり放たれる。
「俺の海砂利水魚の偽綸旨はさぁ。純粋で、暗示にかかりやすい子ほど——」
上田は右手首を左手で掴みながら、トワリに向けてデコピンをする仕草をした。
「よく効くんだよねえ——」
上田の中指に吸い込まれるように、トワリのおでこが近づいた。
ただのデコピンだった。
ただそれだけなのに——
トワリの身体は部屋の壁まで吹き飛ばされ、その衝撃で壁にヒビを作ってしまう。
彼女はそのまま床にずり落ちた。
「少しだけどね。ちょっとした『演出』くらいには、物理法則も脚本に味方すんだわ。性格が良くて物理ファイターな君との相性は、最悪ってことよ。あ。あくまでも、戦い方の話だからね。よろしくどうぞぉ」
「トワリ!!!」
「足が……動きません……なぜ……」
彼女は床に倒れたまま、起き上がれない。
トワリには効きやすいだって!?
そんなレベルの話じゃないだろ……っ!
完全にチートじゃねえかこんなもん……っ!!
「おっと新米! 他人の心配しとる場合かーい」
上田がいつの間にか近づいていた。
……え?
俺はなぜ、こんなに近づかれるまで気づかなかった……??
上田のパンチが飛んでくる。
ングディンとは全く異なる、至って普通のパンチ。
恐らくその辺のおじさんと変わらないか、ちょっと少ないくらいの筋肉量なのに——
メキッ
頬に伝わる衝撃——
それはングディンの打撃の威力よりもよっぽど重かった——!
ゴッ
俺はトワリと同じように、部屋の端までふっ飛ばされた。
「コトブキちゃん……っ!!」
俺は一度倒れたが、なんとかすぐに立ち上がる。確かに、トワリよりは、効果の受け方がましなようだ。
「いでぇっ……ペッ……口の中が結構切れてる……血の味がするぜ……」
上田は腰に手を当てて仁王立ちしている。
「おお〜! やっぱり普通に立てんのかあ〜。見込んだ通りだよ。めちゃくちゃいいぜ、触手チンチン丸、能都コトブキ!! 俺はねえ。お前が立てないようにって考えながらしゃべってんだぜ?? なのにお前は立ち上がって動ける!! お前さんそれ、無意識でやってんのかい!?」
「知るか……思い切りぶん殴っといて、何が『いいね』だ、ばか野郎」
「思い切り? 今のはまだ軽くだけどねえ」
「へっ……勘弁しろよほんとに……」
上田は俺の方を見たまま話を続ける。
「しかし、ピスタチオ陣営は、本当にいいねえ。『無言の連携』が取れていてさぁ」
「何の話だ」
「なあ、そうだろう?! ミシュリーちゃんよぉ!!」
何事かと思って周りを見ると、部屋の端でミシュリーが、上田に向かって杖を構えていた。杖の先には炎が渦巻いている。
「横槍なんぞ入れさせねえよぉ? きよっちゃん、やれぇ!!」
「螺旋炎禍槍——」
杖から炎が噴き出る。
ミシュリーさん、さっき、「魔力枯渇してる」って言ってませんでした……???
しかし、まさにミシュリーが炎を放つタイミングで、部屋の入口の大きい扉から、デイこと、デイアフタートゥモロウ=きよしがひょっこりと顔を出し、室内に向かって手のひらを広げて大声を出した。
「あああもう! 人使いが荒いんですよお!! インディペンデンス・デーーーーーイッ!!!」
デイの呪文が部屋中に響く。
すると、俺と上田がいる場所と、ミシュリー、ナラハラ、バーグ師匠のいる場所の間を隔てるように、薄茶色で半透明の魔法障壁が形成されていく。
ビキビキビキビキビキビキッ!!!
六角形の小さなバリアが連なった、所謂ハニカム構造。
その壁は、ミシュリーの螺旋炎禍槍の炎をみごとに阻み、魔女ミシュリーは、跳ね返った自分の炎に包まれた。
「熱うぅっ!! バーグ師匠さん逃げてええ!!!」
「ヤバーーーーーーーーイ!! 焦げちゃう!! 焦げちゃうからっ!!」
ナラハラとバーグ師匠はバリアの向こう側で、間一髪、ミシュリーの炎から逃げ切ることができた。
……あぁ、ミシュリーとの理不尽な契約のせいで、勝手に魔法使えないから、防御ができないんだな。……不憫だ。
徐々に収まる炎の中からミシュリーが現れた。
火傷など全くしていない。
当然だ。ミシュリーの炎のコントロールは完璧に近い。自身を燃やしてしまうことなど、たとえ上田の能力が発動している中でもあり得ない。
「ちっ。今のミシュリーじゃ、このレベルの障壁は壊せないのよ……やってくれたわね、きよっちゃん」
「僕はデイですよ!!」
結果的に、俺と上田側、ミシュリー、トワリと賢者たち側の間が、魔法障壁によって完全に隔たれてしまった。
「すげえーな。まだそんな技が撃てるんかい!! 果ての魔女ってのは、格が違うわなぁ」
「……おい上田。きよっちゃんはなかなか良いことをしてくれたな」
「ああ?!」
「この魔法障壁のおかげで、オーディエンスを俺の不運に巻き込まずに済むってことさ!!」
これで、向こうを気にせずに「不運」を引き起こせる!
「オーディエンス??」
上田は首を傾げた。
「新米。この場合、聴衆を意味する『オーディエンス』より、観衆を意味する『スペクテイター』の方が近いと思うんだけど、どう思う??」
「うるせー!! やかましいっつの!! 雑学おじさんかよ!! 戦闘中に舐め腐りやがって!!」
俺は右手の触手を上田に向けてかざした。
「行くぜ。災厄と共に歩む者発動!!! 出し惜しみなしだあぁっ!!!」
◆◇◆
俺、コトブキが、災厄と共に歩む者により、カーペットで躓いて攻撃を避けたり、調度品で上田の打撃を防御したり、テーブルの上の水で上田の目眩ましを図ったりしている頃。
倒れたままで動けないトワリは、どうにかして俺を助太刀できないかと藻掻いていた。
そして、ナラハラとバーグ師匠とミシュリーに至っては、正直言ってとても暇してた。
「もうお手上げなのよ。ここまで魔力を削られた状態で、これだけ強固な魔法障壁。ミシュリー対策をよくわかってると言わざるを得ないわね」
「ねえ、ミシュリーさん、僕ら、完全に蚊帳の外じゃないですかぁ。朝起きたら虫刺されだらけになってるかも」
「いや、ナラハラくん、実際に蚊帳から出て寝てる訳じゃないから」
「もう暇すぎるんでー、王様たちの戦いを実況しててもいいですか?」
「やることなさすぎるんだよね」
「……」
両国の国王が、命懸けで戦っている真っ最中なのだ。
当然ミシュリーは「ダメに決まってるでしょ」と言おうとした。
が、彼女は、「ダ……」まで言葉にして、続きを言うのをやめてしまった。
なぜなら、ミシュリーがダメだと言った後に、もし万が一、ナラハラとバーグ師匠が目の前の戦いを実況してしまった場合、それはミシュリーの言うことを聞かなかったことになるので、契約違反となり、二人は5分後に死んでしまうことになるからだ。
あのミシュリーといえども、さすがにそれだけで二人が命を落とすのは、心が痛む。
「ダ?」
「ダメなのか??」
「…………ダ……………………大丈夫よ……」
「ぃヤッター!」
「意外と優しいんだな」
ナラハラとバーグ師匠は、ウッキウキで椅子とテーブルを用意し始めた。
(こ、こんなことになるなら……もう少し弱い縛りにしとけばよかったのよ……)
此度のビーフシチュー王国潜入の一連の出来事において、ミシュリー=ミシュリーヌ=トーレスプーシュが最も後悔した瞬間は、ここだったという。




