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エドガー・ローレンスの憂鬱  作者: ヒナツキスバル
第一章 英雄レナードの帰還
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8/40

無茶をする兄と弟

 午後。


エドガーはいつものように執務室の机に向かい、領内各地から上がってきた書類に目を通していた。


「……あれ……」

ふと、小さく声が漏れる。


「いかがいたしましたか、若様」

向かいで書類を整理していたハーグリーヴスが顔を上げた。


エドガーが手にしていたのは、ある村から提出された農作物収穫高報告書だった。

『夏の増水により根菜・麦等に被害。平年比四割減』


記された数字をもう一度確認してから、エドガーは首を傾げる。

「……ハーグリーヴス。この村、今年は水害で収穫がかなり落ちたんだよね」

「左様でございます」

「でも、確かグレゴリー商会とは別の商会だったと思うけど……この辺りからの買付量は、それほど減っていなかったような」

「保存していた前年の作物を出したのではございませんか」

「ああ……そういうこともあるか」


説明としてはおかしくない。

エドガーは納得しかけ、そのまま確認の印をつけようとした。

だが、筆先が紙に触れる寸前で一度止まる。


少し考えた末、報告書の端へ小さく書き込んだ。

『前年在庫?』

それから確認の印をつけ、事務官へ回す。



その後もエドガーは次々と書類を処理していった。


ところが、一度気になり始めると、どういうわけか水害に関係する報告ばかりが目についた。

「……あれ。この南隣の村も、また排水路の工事をしている」


さらに別の書類を手に取る。

「川を挟んで反対側の村も……去年、橋を直していたのに、また申請が来ている」


そこで、以前ハーグリーヴスが口にしていた言葉を思い出した。

『あの辺りは昔から地盤が弱いのです。毎年のように増水しますから』

エドガーは席を立つと領内の地図を取り出し、机の上へ大きく広げた。


報告書に記された村を、一つずつ地図の上で確認していく。

「確かに、この川の中流域……川が曲がっているこの地区に集中しているんだな……」

地形を見れば説明はつく。


川が大きく曲がる中流域で、もともと水害の多い土地だ。護岸、排水路、橋、農道。増水のたびにあちこちへ被害が出ても不思議ではない。


それでも、エドガーの中には小さな引っかかりが残った。


実際の被害報告の件数と照らし合わせてみたらどうだろう。

同じ地域の農作物生産には、同じように影響が出ているのか。

各商会の取扱高は。

補修や工事の詳しい報告書は。


過去数年分まで遡れば、何か分かるかもしれない。

地図と書類を見比べながらあれこれ考えていると、不意にハーグリーヴスから声をかけられた。


「若様」

「ん?」

「レナード様もせっかくお帰りなのです。少しくらいお休みになってはいかがですかな」


「でも、まだこれが……」

「書類は逃げませんよ。弟君と過ごせる時間の方が、今は貴重でしょう」


エドガーは机に広げた地図へ、もう一度目を落とした。

「……そうだね。レンも任務が終わればまた王都へ戻ってしまうし」



それに、考えてみればおかしなことでもない。

もともと水害の多い土地なのだから、同じ地域に水害関連の工事が集中するのは当然だ。

収穫高と買付量の違いについても、前年から保存していた作物を出したと考えれば説明できる。


――きっと疲れて、疑り深くなっているだけだ。

エドガーは地図を閉じた。


調べようとしていた書類の束も、元の場所へ戻していく。


今日はもう休んで、せっかく帰ってきたレンたちと時間を過ごすことにしよう。

そう決めると、エドガーは席を立った。


◇


 夕刻。


レンたち四人とエドガー、ヴィクトリアは揃って食堂で夕食をとっていた。


「昨日もお母さんの話聞いてて思ったけどさあ、ホンットにレンって無茶するよねえ」


「あれは子供の時の話だ」

「違う違う! この前もさあ、遺跡調査に行ったときに中で遺跡の入り口が崩れて、レンったら『俺が支えるから先に行け』とか言い出してさあ」


「えっ」

エドガーが思わず声を上げる。


「で、見たら一人だけで柱抱えて、崩れないように支えようとしてんの! あははは!」

ミラが楽しそうに笑う横で、グラスを傾けていたセヴランが口を挟んだ。

「笑い事じゃねえ。柱が崩れたら自分が代わりになるつもりだったぞ、こいつ。イカれてんだよ」


「……レン」

兄から向けられた視線に、レンはわずかに目を逸らす。

「……他に方法が思いつかなかった」

「俺が爆薬仕込んで別の壁を発破してる最中だったろうが」

「間に合わなかった場合の話だ」

「もしもの場合に毎回身を呈されても、こっちもたまったもんじゃねえよ」


「ですがセヴラン、あなたも大概でしたよ」

「ほぉ?」

ルシエラが涼しい顔で続ける。


「『どうせ崩落するなら先に全部吹き飛ばしちまえばいいんだよ』などと言って、皆がまだ中にいるのに爆薬を増やそうとしましたね」


「ああいうときは派手にやるのが信条なもんでね」

セヴランはグラスを煽り、悪びれもせずニヤリと笑う。


「あたし止めたもんね!」

「あなたは『面白そう』と言っていました」

「……言ったっけ?」


「言っていた」

「レンは黙ってて!」


レンは少し考えたあと、今度はルシエラを見る。

「……ルシエラも魔力が尽きるまで物理結界で崩落を防ごうとして倒れただろう」

「……今はあなたの話です」


「あはは……君たちって、本当に豪快だね」

エドガーが笑う。



その隣で静かに食事をしていたヴィクトリアが、ふと口を開いた。

「……ですが、その点でしたらエドガー様もあまり人のことは仰れませんわ」


「え? 僕?」

「……昨年の大雨のときの話です」


「ああ、街道が土砂崩れで塞がれて、孤立した村が出たときの話かな。よく覚えているね」


「エドガー様はご自身で夜通し復旧の手配をなさって、翌朝その足で現地へ向かわれました。避難してきた領民の対応をして、戻ったらそのまま執務室へお籠りになって」

ヴィクトリアは淡々と続ける。


「そのままお休みにならず、遅れたぶんのお仕事をされて……次の朝、食堂で倒れましたでしょう」

「あれは……ちょっと立ちくらみがしただけで」

「床に倒れることを『立ちくらみ』とは申しませんわ」


「ぶはっ! お兄ちゃんもレンと同じじゃん!」

「いやいや、レンとは全然違うよ。僕は別に大したことは……」


「そういう無茶をされるところが、似ていると申し上げているのです」


「兄上、それはよくない」

「お前には言われたくないよ」


また笑い声が上がる。


食堂には、遅くまで賑やかな声が絶えなかった。


◇


 夕食を終えたエドガーは、一人で執務室へ戻っていた。


机のランプに火を灯す。


つい先ほどヴィクトリアに釘を刺されたばかりではあったが、この夜はどうしても気になることがあったのだ。


エドガーは昼間閉じた地図を、もう一度机の上へ広げた。


まず、水害の被害報告が多い村に印をつけていく。

……確かに、同じ河川の流域一帯に被害が集中している。


次に年次のまとめ資料を取り出し、実際の被害報告の件数を書き取った。


さらに同じ地域から無作為に三つの村を抽出する。


同じ農作物について、それぞれの村の生産高と、水害によって減少したと報告されている量を書き出す。それに対応する各商会の取扱高も調べていった。


一年だけではない。

二年、三年と遡り、過去五年分の数字を並べていく。


しばらく数字を追っていたエドガーの手が止まった。


――やはり、おかしい。


平年の三割減、四割減という大きな被害が毎年のように報告されているにもかかわらず、各商会の取扱高には、それに見合うほどの大きな減少が見られない。


これでは昼間ハーグリーヴスが説明した、「前年に保存していた作物を出した」という可能性だけでは説明がつかない。



エドガーはさらに調査を続けた。


今度は補修や工事に関する詳しい報告書を、同じ地域から無作為に二十件ほど抽出する。


被害の程度を書き出し、それぞれに対応する工事の発注書を探した。


被害規模。

補修内容。

工事費。

施工時期。

請け負った資材問屋と施工業者。


それらを一つずつ並べ、気づいたことを書き留めていく。


「……これは、どういうことだ」

エドガーは息を飲んだ。


被害の大小と補修内容、工事金額が比例していない。

中には、被害報告と工事内容がほとんど一致していないものまである。


さらに酷いものでは、一度補修を終えたはずの場所に、わずか二か月後、ほとんど同じ内容の補修工事が発注されていた。


そして、工事を請け負っている業者にも偏りがある。


そのほとんどが、同じ流域にある街の特定の資材問屋と施工業者だった。


収穫高。

商会の取扱高。

水害の被害報告。

工事の内容と金額。

工事の時期。

請負業者。


一つ一つなら説明できるかもしれない。


しかし、これだけの食い違いが、同じ地域で何年にもわたって重なっている。


エドガーは机の上に並んだ資料を見つめた。


――これは、僕の勘違いではないのかもしれない。


「明日、ハーグリーヴスにも相談してみよう……」


この時点でも、エドガーにはハーグリーヴスを疑うという発想はなかった。


むしろ、自分より長くローレンス家の領政に携わってきた彼なら、この数字の意味について何か知っているかもしれない。


そう考えて、ようやく資料を閉じる。


ふと窓の外を見る。

調査を始めた頃にはとうに日が暮れていたはずなのに、窓の向こうの空は、すでにうっすらと白み始めていた。

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