ハーグリーヴスの諫言
翌朝。
レン、カルミラ、ルシエラ、セヴランの四人は、異常発生した魔物の討伐のため近隣の洞窟へ向かった。
一方のエドガーは、いつも通りヴィクトリアと朝食をとった後、領地の仕事をするため執務室へ入る。
前夜の賑やかな晩餐とは打って変わって、いつもの一日の始まりだった。
「若様、今日もお早くから精が出ますな」
部屋へ入ると、すでに仕事に取りかかっていたハーグリーヴスが柔和な笑顔を向けてきた。
恰幅の良い体格をした中年の男――ハーグリーヴス子爵。代々ローレンス家に仕える古参の補佐官で、事務方を取り仕切る頼りになる存在だ。
「おはよう、ハーグリーヴス。いやあ、僕が要領が悪いからかなかなか上手く進まなくて」
「そのようなことはございませんが、数字を把握するのにもコツがいるものです。慣れれば自然と上手くいくこともございますよ」
「そうかな……頑張ってみるよ」
エドガーは早速机につき、積まれた書類の一番上を手に取った。
ある村から提出された護岸工事の依頼書だった。目を通していたエドガーは、その村の名前に見覚えがあることに気づく。
「この村は……今年も南岸の護岸工事を?」
「ええ。昨年の増水で一部に損傷が出たとの報告です」
「でも、ここは一昨年も補修しているよね?」
ハーグリーヴスは別の書類を手に取りながら答えた。
「あの辺りは昔から地盤が弱いのです。毎年のように増水しますから」
「そうか……。ただ、これだけ工事を続けて改善しないのは気になるな。一度、村へ行ってみるよ」
「若様」
ハーグリーヴスが書類を置き、エドガーへ視線を向けた。
「当主に些末な事まで負担をかけないために我々がいるのです。どうぞ我々をお使いください」
――あぁ、多分また要領が悪いと思われているだろうな。
でも、こればかりは性分と言うか、気になって仕方なくなってしまうのだ。
ハーグリーヴスの優しい言葉が、実は自分を諫めるものだということはエドガーにもわかっていた。
「ありがとう。でも、だからこそ一度は自分の目で見ておきたいんだ。書類だけでは分からないこともあるから」
ハーグリーヴスはしばらくエドガーを見つめた後、諦めたように笑った。
「……左様でございますか。では日程はこちらで調整いたしましょう」
「うん、頼むよ」
そして、次の書類へ移る。
「若様、こちらは獣による被害ですが」
「あれ? この村、去年は北側の畑が三割くらい使えなくなったよね」
「よく覚えておいでですな」
「陳情書を読んだ覚えがあるんだ。確か橋の補修も同じ時期にしていて、重なるものだなと思って覚えていたんだ」
「…………」
ハーグリーヴスは何も言わなかった。
◇
午後。
エドガーは、隣り合う二つの村の間で起きた問題の仲裁に入っていた。
陳情書によれば、同じ根菜類を生産する二つの村は、卸す商人や販路が重ならないよう取り決めをしていた。ところが今回、片方の村がこれまでとは異なる商人から増産を依頼されたことで商流が重なり、作物が市場でだぶついてしまったという。
エドガーが席につくなり、双方の代表者は堰を切ったように話し始めた。
「若様! 去年までうちが王都へ卸していたんです! おたくは別の街へ卸す約束だったでしょう?」
「こっちは王都の商人から増産してくれと言われただけだ!」
「ま、まあまあ……まず、順番に話してください。どちらが悪いかを決めたいわけじゃありません」
エドガーは時間をかけて双方の話に耳を傾けた。
時には手元の紙束へ要点を書き取り、時には熱くなりすぎた代表者を宥めながら、一つずつ事情を整理していく。
確かに東の村の言う通り、これまでの取引を無視して王都への流通量が突然増えれば、今後の取引量にも影響しかねない。何より、商人が事前の取り決めを無視して別の村にも増産を依頼していたのであれば、信用上の問題になる。
一方の西の村は、商人からの依頼を受けてすでに作物を増産している。今さら売り先を失えば、大量の作物が余ってしまう。
本来ならば、ここにいない商人に問題があるのだが――。
話を聞くうち、エドガーの脳裏にある名前が浮かんだ。
「……その商人って、グレゴリー商会?」
二人が揃って頷く。
「はい」
「やっぱり。去年から南部で穀物の買い付けを減らして、保存の利く根菜を集めているんだよ」
双方の事情と商人の動きを照らし合わせながら、エドガーはしばらく考え込んだ。
「うーん、やはりグレゴリーのやり方に問題があるように思うんだよね。これについては、きちんと筋を通すように僕から話をしよう」
「では、元の通りうちがグレゴリー商会へ卸せるということで?」
「少なくとも、今年すでに交わしていた約束を一方的に変えるのは筋が通らない。まずはグレゴリー商会に、当初の約束を守ってもらうよう話をするよ」
「それじゃ、うちの余った作物はどうなるんです?」
「あのー……東の宿場町で、今年新しく保存食の加工場ができただろう? そこに卸せないかどうか、こちらから話をしてみよう」
西の村の代表者の表情が、わずかに明るくなる。
だが、今年をどうにかするだけでは、また同じことが起こるかもしれない。
「それから、来年から作付けの前に、商人から各村への買付予定量をこちらにも提出してもらおう。同じことが起きないようにしたい」
「それはありがたい!」
「ありがとうございます! 若様!」
先ほどまで互いに声を荒らげていた二人は、今度は揃ってエドガーへ頭を下げた。
村人たちが引きあげた後、同席していた若い補佐官が感心したように声をかけた。
「いや、お見事でした。若様」
「いや……僕は話を聞いただけだよ。結局、今年余った分まで全部売れるかは分からないし……」
「ですが、来年は同じ問題が起こらないでしょう」
「そうなるといいけどね」
そう答えながら執務机へ戻ると、朝から積まれていた書類はまだまだ残っていた。
話し合いに随分と時間を使ってしまったのだ。
書類の山を見上げ、エドガーはため息をつく。
「また随分と時間をかけられましたな」
ハーグリーヴスが柔らかな笑みで迎えた。
「ごめん。待たせたね」
「責めているのではありません。若様は昔から、一人一人の話を聞こうとなさる。それが若様の美点なのでしょう」
「……そうかな」
自分では、もっと手際よく仕事を進められればと思っている。
けれど、自分の泥くさいやり方を「美点」などと言ってもらえることは、エドガーにとって僅かながら救いになった。
今頃、レンと彼らは洞窟で魔物討伐にあたっているのだろうか。
彼らのような華々しい活躍はできないけど。
今日のように喜んで帰ってくれる領民の姿を見ると、やり甲斐を感じるのも確かだった。
地味ながら、自分に出来ることを。
「よし。頑張ろう」
エドガーはもう一度机に向かい、次の書類を手に取った。




