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エドガー・ローレンスの憂鬱  作者: ヒナツキスバル
第一章 英雄レナードの帰還
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英雄レナードの昔話

 その夜。


ローレンス辺境伯居城の食堂では、久しぶりに帰還した次男レンと、その仲間である三人のSランク冒険者を歓迎するため、家族全員が揃っての夕食会が開かれていた。


長旅を終えた一行も昼間までの旅装から着替え、食卓には領内の食材をふんだんに使った料理と酒が並んでいる。


「これ、なんだ? 王都じゃ見ない酒だな」


セヴランはグラスに注がれた薄黄色の酒を光に透かして眺め、香りを確かめた。


「領内北部で作っている木の実の酒ですよ。この辺りは冬が厳しいので、日中との寒暖差で実の締まった果実が成るんです。食用には硬いし甘みも乏しいのですが、長期熟成させると雑味がなく美味い酒になります」


エドガーの説明に、セヴランは興味深げに耳を傾ける。


「へえ。坊っちゃん、酒はわかるのか」

「僕はあまり強くないんですけどね。領内の産品ですから」

すると、隣で同じ酒を飲んでいたローレンス辺境伯が口を挟んだ。

「セヴラン殿、エドガーは領内の産物については私より詳しいぞ」

「いえ、そんなことは……」


「ふーん……あ、これイケるな」

一口飲んだセヴランが驚いたように眉を上げる。

「ははは、貴殿はいける口だな。エドガーはこの通り真面目なもので、酒の相手はしてくれんでな。どんどん飲みたまえ」



一方、夫人は向かいに座るルシエラへ丁寧に声をかけた。

「聖女様にはいつも息子がお世話になっております」


旅装から清楚で上品なドレスへ着替えたルシエラは、まさに聖女と呼ぶにふさわしい佇まいで席についている。


「いいえ。わたしの方こそ何度も助けられています。ただ……」

そこでルシエラは、ちらりと横目にレンを見た。

「無茶をして一人で先行する癖だけは、もう少しどうにかしていただきたいと思っています」


「まあ! 昔からそうなのよ」

「……ルシエラ」

困ったようなレンの声に、エドガーが笑う。

「やっぱり今もそうなんだね」


「この子ったら五歳の頃には、家庭教師の魔術を見ただけで真似してしまって」

「五歳!?」

ミラが目を丸くする。


「覚えていない」

「それだけじゃないのよ。六歳の時には剣術の先生を泣かせてしまったの」


「そ、それはどうして……?」

「勝ってしまったのよ」

「えぇぇ!?」

「母上、あれは子供相手だから手加減してくれていたのだろう」


「……レン、それ聞いたら先生また泣くよ?」

エドガーの言葉にも、レンは不思議そうな顔をするばかりだった。


「七歳の時には騎士団の訓練に勝手に混ざっていたな」

今度は父が懐かしそうに口を挟む。

「勝手にではありません。許可は取った」


エドガーがまた小さく笑う。

「訓練を見学する許可だっただろう?」

「……そうだったか?」


「あれは騎士たちも悪ノリしてレンを招き入れたんだよ。結局コテンパンにされたけどね」


母もレンの話が尽きず、ご機嫌で続ける。

「馬術を習わせた時も大変だったのよ。初日にいきなり走らせて」


「それで落ちたんだよな」

「一度だけだ」

「三回だよ」

「……?」


「ぶはははは!!」

とうとうミラが耐えきれず吹き出し、食卓に大きな笑い声が響いた。


エドガーもまた、久しぶりに弟の昔話をしながら心から笑っていた。



そんな中、隣に座っていたヴィクトリアが静かに口を開く。

「……ですが、レナード様にも苦手なものはございましたでしょう」


「?」

「蛙ですわ」

「…………」


「カエル? そうだっけ? レン?」

ミラが首を傾げると、ヴィクトリアはどこか懐かしそうに微笑んだ。


「幼い頃、庭園に大きな蛙が出まして。わたくしも蛙が大嫌いでしたので、レナード様と二人で動けなくなりましたの」


エドガーの目線が思い出を探るように宙を泳ぐ。

「……あったね」


「結局、ふたりで泣いてしまって、エドガー様が慌てて駆けつけてお庭の外へ逃がしてくださいました」


「ぷっ! カエルで? あははは!」

ミラが再び笑い出す中、レンは少し考え込んでから真顔で言った。


「……兄上は昔から蛙に強かった」

「蛙に強いって何だよ?」


今度はミラだけでなく、母もヴィクトリアも声を合わせたように笑った。



ひとしきり笑いが収まったところで、母が思い出したようにレンへ顔を向ける。

「そういえば、レン。ロザリー嬢には今回の帰還を報せてあるのかしら?」


「あ、いや……ただ任務で戻っただけだからな」

「出た! ロザリーちゃん! 婚約者だ!」

「何故知っている」


「あなたがミラに問い詰められて名前を白状したのですよ、レン」

ルシエラに指摘され、レンは黙った。


「まあ! それはいけないわ。さっそく明日報せを出しましょう」

「いや、母上……」

「うわぁ……♡ レンとロザリーちゃんが並んでるのを見れるのぉ?」


「とっても可愛らしい方よ。もう幼いころからレンのことが大好きでね……あの美しい刺繍入りのハンカチ、一体何枚頂いたのかしら」


「ああ、全部取ってある」

「キャー♡♡♡」

ミラが身を乗り出す。


「使うには勿体無いし、捨てる理由もないからな」

「おいおい! そこは使いなよ!」


エドガーはくすくすと笑った。

「レンはずっとこの調子だから、ロザリー嬢も苦労するね」


再び皆の笑い声が食卓に響く。


エドガーも笑った。

その笑顔に嘘はなかった。


弟が帰ってきたことも、こうして家族が揃って食卓を囲んでいることも、レンの仲間たちと話せたことも、心から嬉しかった。


こんな夜は、いつぶりだろう。

ふと、エドガーは食卓を見渡した。


楽しそうにレンの幼少期を語る母。

酒を片手にセヴランと話す父。

レンの婚約話に目を輝かせるミラ。

上品に微笑みながら会話を聞いているルシエラ。


そして隣を見れば、ヴィクトリアも珍しく柔らかな笑みを浮かべている。


自分と二人でいる時には、ほとんど見たことのない表情だった。


――レンがいるから、なのだろう。


そう思った瞬間、胸の奥に小さな影が落ちた。


振り返れば、今夜の話題の中心にはいつもレンがいた。

もちろん当然だ。今日は長旅から帰ってきた弟を歓迎するための夕食会なのだから。

両親がレンとの再会を喜ぶ気持ちもわかる。自分だって嬉しい。


それでも、考えてしまう。

――自分だけなら、こんなふうに皆を笑顔にすることが出来るだろうか。


楽しかったはずの時間が終わったあと、またいつもの日々に戻った食卓を想像してしまう。

楽しい晩餐のあとに訪れる空虚さに、早くもエドガーの心は囚われていた。


それでも食卓から笑い声が絶えることはなく、その夜の夕食会はいつもよりも長く続いた。

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