静寂の宣戦
ローレンス辺境伯居城の大広間には、なおも重苦しい空気が漂っていた。
長年にわたって領政を支えてきたハーグリーヴスの不正と陰謀が暴かれ、家臣たちは動揺を隠せずにいる。その中で、リチャード・ローレンス辺境伯は、エドガーとヴィクトリアを救出するため、アシュクロフト家へ向かうことを四人に認めた。
リチャードは改めてレンたちを見渡すと、重々しく口を開いた。
「良いか…アシュクロフト家は広大な城だ。場当たり的に行っては見つかるものも見つからん」
レンは真剣な表情で父の言葉に耳を傾けた。
「まずは正門からセドリック卿を訪ねよ。後ろ暗いことがあれば、あちらから動くだろう。」
相手が何を隠し、どのような思惑でエドガーたちを留め置いているのか、現時点では分からない。だからこそ、まずは正式な訪問という形で相手の出方を見る。それがリチャードの考えだった。
「あとは…お前達に任せる。」
その言葉に、四人は互いに顔を見合わせた。
アシュクロフト家はローレンス家よりも格上の侯爵家である。だが、リチャードはそれを承知のうえで、四人に判断を委ねたのだった。
すると、ルシエラが静かに杖を掲げた。
「では、早速参りましょう」
「えっ?もう?」
カルミラが目を丸くする。
父から許可を得たばかりだというのに、ルシエラはまるで隣町へ出かけるかのような気軽さだった。
「こいつこう見えて過激派だからな…」
セヴランが呆れたように呟いた。
その間にも、ルシエラの掲げた杖が白銀色の光を帯び始める。
細い光の糸が空中へ伸び、複雑な紋様を描きながら次々と魔法陣を組み上げていく。幾重にも重なった魔法陣が静かに回転すると、その中心で空間がゆっくりと歪み始めた。
やがて、何もないはずの空間に一筋の裂け目が生まれた。
裂け目は音もなく広がり、向こう側へと続く異質な空間を露わにする。
「なっ……!?」
「空間が……!」
居並ぶ家臣たちが思わず声を上げた。
聖女の権能を目の当たりにした彼らは、驚きのあまり言葉を失っていた。
「ほら、行くぞ。口開けて見てると吸い込まれるからな」
セヴランはそんな家臣たちをからかうように言うと、次元の裂け目へと向かった。
レン、カルミラ、ルシエラもそれに続く。
四人が裂け目の向こうへ姿を消すと、白銀色の光は静かに収束し、空間は何事もなかったかのように元の姿へと戻った。
◇
アシュクロフト侯爵居城からほど近い森の中。
木々の間に、ひとすじの白銀色の光が生まれた。
細い糸のような光は次々と数を増やし、束となって集まると、空間に大きな裂け目を作り出した。
そこから四人が姿を現す。
裂け目が消えると、森には再び静けさが戻った。
レンは木々の向こうにそびえる巨大な城を見上げた。
「ここか…」
アシュクロフト侯爵家の居城は、ローレンス家の城とはまた異なる威容を誇っていた。広大な敷地に築かれた城は、遠目にもその規模の大きさが分かるほどだった。
「確かにでけえな…これはまともに探すのは厳しそうだ」
セヴランも城を見上げ、感心したように呟いた。
エドガーとヴィクトリアがこの城にいるという確証はない。まして、アシュクロフト家の所有する建物はここだけではないのだ。
手当たり次第に探したところで、二人を見つけられるとは限らなかった。
「ルシエラ、来たことあんの?」
カルミラが尋ねると、ルシエラは頷いた。
「一度豊穣祭に招かれたのが幸いでした。城門はあちらです。行きましょう」
ルシエラの案内に従い、四人は森を抜けて城門へと向かった。
◇
アシュクロフト侯爵居城の正門には、武装した衛兵たちが立っていた。
レンはその前まで進み出ると、背筋を伸ばし、貴族としての礼を取った。
「ローレンス辺境伯次男、レナード・ローレンスと申す者だが、セドリック卿にお目通り願いたい」
衛兵は突然の訪問者に一瞬驚いた様子を見せたものの、名乗りを聞くと態度を改めた。
ローレンス家の次男といえば、王国内でも名の知られた冒険者である。しかも、アシュクロフト家のヴィクトリアと婚約しているエドガーの弟でもあった。
衛兵は一度その場を離れ、城内へ確認を取りに向かった。
しばらくして戻ってくると、四人に向かって恭しく頭を下げた。
「只今迎えの者が参ります。中でお待ちください」
四人は衛兵に招かれ、城内へと入った。
ほどなくして迎えの執事が現れ、彼らを応接室へと案内した。
通された部屋は、侯爵家の財力を窺わせる豪勢な造りだった。調度品の一つ一つにまで贅が尽くされ、広々とした室内には上品な装飾が施されている。
「セドリック様は間もなく参ります。こちらでお待ちください。」
執事は丁寧に一礼すると、部屋を後にした。
四人はセドリックの到着を待つことになった。
「……さて、タヌキ親父の親玉はどう出るか」
セヴランが皮肉っぽく呟いた。
ハーグリーヴスの口から語られた陰謀の数々。その背後にいたのが、これから会うセドリック・アシュクロフトだった。
領内の公金を不正に流用し、ローレンス家の実権を握ろうと画策していた男である。
しかも、エドガーとヴィクトリアを自由に帰すつもりがないという。
「アシュクロフト家…王都でも黒い噂の多い家です。油断は禁物ですよ、レン」
ルシエラが静かに注意を促した。
「…ああ…わかっている」
レンは短く答えた。
今すぐにでも兄を探しに行きたい気持ちはある。だが、父の指示は明確だった。
まずはセドリック本人に会い、相手の反応を確かめる。
兄の居場所を知るためにも、ここで軽率な行動を取るわけにはいかなかった。
やがて、廊下の奥から足音が聞こえてきた。
カツカツと硬い靴音を響かせながら、誰かが早足で近づいてくる。
ほどなくして応接室の扉が開いた。
現れたのは、金髪に青い瞳を持つ、すらりとした壮年の紳士だった。
セドリック・アシュクロフト。
現アシュクロフト侯爵の弟であり、ヴィクトリアの叔父にあたる人物である。
「これはこれは、レナード君。わざわざ訪ねてきてくれるとは珍しいね」
セドリックは親しげな笑みを浮かべた。
その様子は、突然訪ねてきた親戚の青年を歓迎する、ごく気さくな紳士そのものだった。
「突然の訪問をお許しください、セドリック卿」
レンは礼儀正しく頭を下げた。
「いやいや、構わないとも。エドガー君の弟なら、私にとっても身内のようなものだ」
セドリックは朗らかに笑った。
その態度からは、ハーグリーヴスが語ったような陰謀に関わっている人物だとは、到底思えなかった。
しかし、レンは表情を崩さなかった。
「…その兄上のことで、お伺いしたいことがあります」
「ああ、エドガー君かね?ああ、ヴィクトリアと一緒に、こちらでのんびり過ごしているよ」
セドリックは何でもないことのように答えた。
まるで、婚約者同士が親戚の家に滞在しているだけだと言わんばかりの口調だった。
レンは真剣な表情のまま、言葉を続けた。
「……では、兄上にお会いできますか」
「何だい、そんなに心配しなくても。兄君はもう子供ではないだろう?」
セドリックは軽く笑いながら、レンの心配をたしなめるように言った。
だが、レンの求めた面会については、何も答えていない。
その眼差しがわずかに鋭くなった。
「……会わせていただけない理由が、何かあるのでしょうか」
セドリックの笑みが薄れた。
「……困ったね。君も、案外聞き分けが悪い」
先ほどまでの親しげな口調に、冷たいものが混じり始める。
セドリックはソファの上でゆったりと脚を組んだ。
「………セドリック卿?」
レンは相手の顔を見据えた。
「こちらでも急に彼の力が必要になってね。君は大人しく実家に帰るといい」
その言葉には、エドガー本人の意思を確かめようとする気配すらなかった。
まるで、彼の能力を自分たちが自由に使うことは当然だと言っているかのようだった。
「ハーグリーヴスの話をよく聞いていれば問題ない」
セドリックは何気なくそう付け加えた。
レンは一瞬、目を細めた。
ハーグリーヴスはすでに陰謀を暴かれ、連行されている。
しかし、セドリックはそれを知らないらしい。
レンはその事実を口にしなかった。
「……兄上に会わせていただけないのですね」
あくまでも静かに、もう一度確認する。
セドリックは露骨に不快そうな表情を浮かべた。
「物分かりが悪いな、君は」
その声からは、もはや最初の気さくさが消えていた。
セドリックは片手を上げた。
それを合図に、応接室の扉が開く。
武装した騎士たちが次々と室内へ入ってきた。
「この方々をお連れしろ」
セドリックが冷ややかに命じる。
騎士たちは四人を取り囲み、一斉に剣を抜いた。
磨き上げられた刃が、豪奢な応接室の明かりを反射する。
しかし、レンたちは動かなかった。
カルミラも、セヴランも、ルシエラも、騎士たちに囲まれたまま静かに成り行きを見守っている。
レンは目の前のセドリックを真っ直ぐに見据えた。
「……これは、アシュクロフト家の正式なご意向と受け取ってよろしいのですか」
その問いに、セドリックはためらいもなく答えた。
「そう受け取ってもらって構わないよ」
レンの表情は変わらなかった。
セヴランが小さく口を開く。
「……聞いたな?」
「聞いたね」
カルミラが応じる。
「……ええ。残念ですが」
ルシエラも静かに頷いた。
アシュクロフト家は、エドガーとの面会を求めるレンの申し出を拒み、武装した騎士たちによって四人を取り囲んだ。
そしてセドリック自身が、それをアシュクロフト家の正式な意向だと認めたのである。
レンは一度、周囲の騎士たちへ視線を巡らせた。
抜き身の剣を構えた騎士たちは、四人が抵抗することなど考えてもいない様子だった。
レンは再びセドリックへと向き直った。
「……では、仕方ありません」




