聖女の審判
「お待ちなさい」
鈴を転がすような少女の声が、騒然となった大広間に細い針のように響いた。
ルシエラが静かに一歩前へ出る。
「辺境伯閣下。恐れながら、提案があります。」
「ルシエラ嬢。提案とは…?」
リチャードは険しい表情のまま、聖女へと視線を向けた。
「わたしの神より与えられた権能の一つに『審判』という魔法があります。これをかけられたものは、わたしの問に対し嘘をつくことが出来なくなります。これをハーグリーヴス様、レン様、またはセヴランに掛けて公平に話をきいてはどうでしょう。」
広間に集まった家臣たちが、互いの顔を見合わせた。
聖女の権能。それは、通常の魔術とは異なる、神より与えられた特別な力である。
その場にいる者たちの視線がルシエラへと集まる中、セヴランはニヤニヤしながら彼女の隣に立った。
「面白そうじゃん。俺でいいぜ」
あまりにも気軽な申し出だった。
一方、ハーグリーヴスの顔からは血の気が引いていた。小刻みに震える手を押さえながら、声を荒らげる。
「な、何を馬鹿なことを…!」
そして、すがるようにリチャードへ向き直った。
「閣下、このような者たちの言うことをお聞きになってはなりませぬ!」
リチャードは静かにハーグリーヴスを見下ろした。
「ハーグリーヴスよ。我が息子と朋輩、さらには聖女様だぞ。口を慎め。」
「…………」
厳しい声に、ハーグリーヴスは口をつぐんだ。
ルシエラは杖を掲げた。
その先から白銀色の光が細い糸のように伸び、幾重にも重なりながら空中に紋様を描き始める。光の糸は静かに交差し、やがて精緻な魔法陣を形作っていった。
「では、まずはセヴラン。証言なさい」
セヴランは肩をすくめ、何の気負いもなくルシエラの前に立った。
「セヴランに問います。『あなたの持つ証拠とはなんですか?』さあ答えなさい」
白銀色の光がセヴランを包む。
しかし、その顔には焦りも緊張もなく、普段と何ら変わった様子は見られなかった。
「…証拠?俺の持ってるのは、お忍びの調査で村にあったインチキ二重帳簿にあいつの判が押してあったとか、あいつに頼んだ書類だけ隠されたとかだけど、単なる状況証拠だからまあ弱いわな。ハッタリだよハッタリ!もっとちゃんとしたのはエドガーが持ってんじゃねえか?」
あまりにもあっけらかんとした告白だった。
レンは思わずセヴランを見た。
先ほどまであれほど堂々と証拠があると言い切っていたというのに、本人は悪びれる様子もない。むしろ、そんなことを気にする方がおかしいと言わんばかりの態度だった。
ハーグリーヴスは、ここぞとばかりに口を挟んだ。
「閣下、この者は領政も帳簿も知らずいい加減なことを申しておるだけです」
「審判の準備が出来ましたか?ハーグリーヴス様?」
ルシエラが穏やかに問い返す。
ハーグリーヴスは再び口をつぐんだ。
「ではセヴラン。『レンがエドガー様より当主に向いていると考えますか?』答えなさい」
「は?ないない!あんな天然ポンコツ体力ゴリラ野郎が人の面倒見るとかありえねえ」
「ぶっ!」
レンを押さえていたカルミラが、思わず吹き出した。
レンは何とも言えない表情でセヴランを見たが、当の本人は気にも留めずに続けた。
「そもそもエドガーの体が弱いってよ、そりゃレンに比べたら誰でも虚弱体質だわ。ブラックリッジの岩山を素手で頂上まで登るバケモンだぞこいつは。
エドガーにしたって、二日も三日も寝ない食わないしてたらそりゃ倒れるだろうが、体が弱いとは違うだろ。騒ぎすぎなんだよ。まあわざとやってんだろ?レンを持ち上げるためによ。」
セヴランの言葉に、広間の空気が少しずつ変わっていく。
エドガーの体が弱いことは、ローレンス家の者なら誰もが知っている話だった。だが、それがどの程度のものなのか、実際に彼がどれほどの仕事をこなしているのかを、正しく理解している者はどれだけいただろう。
レンは黙って聞いていた。
兄が人一倍努力していることは知っている。自分には到底真似のできないほど、細かなことにまで気を配り、領民のために働いていることも。
その兄の能力を、セヴランがこうして認めている。
それは嬉しくもあったが、同時に、兄が置かれてきた状況への疑念を一層強くするものでもあった。
「そういやノースフェルの件でもジジイが裏でうごいてた、やられたって聞いたぞ。」
「なにっ?ハーグリーヴス、ノースフェルの視察はエドガーが是非にと申し出たのではなかったのか」
リチャードが驚いて身を乗り出した。
「そ、そのように記憶しておりますが」
「嘘だね。エドガーが俺たちと証拠をつかんできてすぐに視察入れられたってよ。はあ。もうこの茶番飽きたわ。帰って酒飲んでいい?」
セヴランはうんざりしたように肩を落とした。
ルシエラは小さくため息をつく。
「セヴランはもう下がっていいわ。さあ、ハーグリーヴス様。どうされますか?」
セヴランが下がると、広間の視線は再びハーグリーヴスへと集中した。
先ほどまで威勢よく反論していた彼は、今や顔色を失い、落ち着きなく視線を動かしている。
リチャードは長年仕えてきた家臣を見つめ、重い口を開いた。
「ハーグリーヴス…後暗いことは誰にでも一つや二つあるものだ…しかし、エドガーが嘘をつくとは私も思えぬのだ…多少のことは水に流す。本当のことを話してはくれぬか」
その声には、怒りよりも困惑と、長年の信頼を失いたくないという思いが滲んでいた。
ハーグリーヴスは唇を震わせた。
「む…」
ルシエラが柔らかな声で語りかける。
「ハーグリーヴス様、この術は心の底をすべてさらけ出すものではありません。答えたくない質問には声を出さないようにして、答えなくても良いのです。」
ハーグリーヴスはしばらく考え込んだ。
答えたくないことには答えなければよい。それならば、何とか切り抜けられるかもしれない。
やがて、彼は渋々といった様子で頷いた。
「それならば…致し方ありますまい」
ルシエラは再び杖を掲げた。
白銀色の光が幾筋も伸び、先ほどよりも複雑な魔法陣を組み上げていく。幾重にも重なった光の紋様がハーグリーヴスを取り囲み、静かに輝いた。
「うふふふ…では始めましょう。」
ルシエラはにっこりと微笑んだ。
「ハーグリーヴスよ。『何故レンを次期辺境伯に擁立するのか、その真意を』答えなさい」
ハーグリーヴスは胸の内でほくそ笑んだ。
――ふふん、そう来たか。
そんなことなら、答えはいくらでも用意できる。
――それは、レナード様の武勇と名声を持ってして我がローレンス領の安全を……
「はい、それはレナード様であれば領政にご興味が無く、このハーグリーヴスが実権を掌握するための傀儡として………はうあっ!!!」
ハーグリーヴスの顔が引きつった。
今、自分は何を言った。
頭の中では、レンの武勇と名声を称える言葉を組み立てていたはずだった。
ところが、口から出たのはまったく別の言葉だった。
慌てて口を閉じようとする。しかし、唇は彼の意思に反して動き続けた。
「エドガー様は、年若い頃からこのハーグリーヴスが面倒を見てまいりましたが、誰に似たのかとにかく細やかで先々の事まで考え、気が回りすぎる。あれが領主になったら、ひとたまりもありません。」
「……っ!」
レンが歯を食いしばった。
その体が動こうとするのを察し、カルミラがすぐに腕に力を込める。
「ダメだよ!レン!」
しかし、ハーグリーヴスの懺悔は止まらなかった。
「あの青二才が、私が何十年もかけて仕込んできたグレンフォードの利権をすべて見抜きよった…
こんな屈辱があってたまるか!あの土地は、いずれアシュクロフトがローレンスの実権を掌握した暁には我がハーグリーヴスに下賜されるはずだったのに!!」
「なん…だと…?」
リチャードの顔から血の気が引いた。
領内の利権を、他家に実権を握らせることと引き換えに手に入れようとしていた。
長年信頼してきた家臣の口から語られた事実に、辺境伯は言葉を失った。
「うおぉぉ、口が、口が止まらぬ…聖女様、答えたくない質問には答えなくても良いのではなかったのか」
ハーグリーヴスは必死に抗議した。
ルシエラはその姿を見下ろし、微笑みを崩さないまま答えた。
「嘘吐きに嘘で対抗して何が悪いのですか?」
その笑顔に、ハーグリーヴスはぞっとした。
目の前にいるのは、まだ少女と呼べる年頃の聖女だった。
だが、彼女の笑みには、相手の懇願を受け入れる気配など微塵もなかった。
「さあ、まだ終わりではないわ。」
ルシエラは静かに杖を構え直した。
「ハーグリーヴスよ。『エドガー様のお体の弱さについて、どう考えているのか真意を』答えなさい」
ハーグリーヴスは口を固く結ぼうとした。
しかし、問いを受けた瞬間に頭に浮かんだ言葉が、そのまま声となってあふれ出した。
「エドガー様の体が強いか弱いかなど知らぬわ。ただ、執務室から追い払いたいときに『お疲れなのでは』『お休みなさっては』と大げさにしていただけだ。あの方は放っておけば夜半過ぎまで執務をなさるし、寝ずに問題の対応にあたることも多い。それでは普通に対応しているこちらが手抜きのように言われるではないか。目障りなのだ。
だから時々体のことを原因に追い出す。それだけのことだ。」
広間は静まり返っていた。
エドガーの健康を案じる言葉の裏に、そんな思惑があったとは。
家臣たちは誰もが、ハーグリーヴスの言葉を信じていた。長年仕えてきた重臣が、若き後継者の体を気遣っているのだと思っていた。
だが、その実態はまったく違っていた。
ハーグリーヴスはなおも、止まらない口で語り続ける。
「ははは、しかし此度はエドガー様のお体が弱いことにしておいたことが役に立ったな。おかげでレナード様擁立の陳情書はすぐに集まった。
お体のお弱いエドガー様には任せておけぬとな。」
「…ミラ、離せ…」
レンが低い声で呟いた。
カルミラはその声に、先ほどまでとは違う危うさを感じた。
レンの体は怒りで強張り、灰色の瞳はハーグリーヴスを真っ直ぐに捉えている。
カルミラ自身も、目の前の男を殴り飛ばしたい気持ちでいっぱいだった。
それでも、今はまだ動くわけにはいかない。
「レン、最後まで聞いたらあたしも一緒に殴ってやるから、今は辛抱だよ…!」
カルミラはレンの耳元でそう言い聞かせ、腕を緩めなかった。
リチャードは重苦しい沈黙の中、ハーグリーヴスへ問いかけた。
「では、ノースフェルの視察も……お前が仕組んだのか?」
ハーグリーヴスは必死に口を閉ざそうとした。
だが、問いかけられた瞬間、胸の内にある答えが次々と言葉になってあふれ出した。
「そうだ。エドガー様がグレンフォードの不正を嗅ぎ回り始めたのでな。しばらく城から遠ざけておきたかったのだ。」
リチャードは息を呑んだ。
「閣下には『若様がどうしても同行したいとおっしゃっている』と申し上げた。あの方は責任感がお強いからな。いったん決まった視察を、ご自分の都合で取りやめるようなお方ではない。」
「……私が許可したのは、エドガー自身の望みだと聞いていたからだぞ……!」
リチャードの声が震えた。
ノースフェルへの視察は、エドガー本人が強く望んだものだと信じていた。
だからこそ、体調への懸念がありながらも許可したのだ。
だが、その判断さえもハーグリーヴスに利用されていた。
エドガーの責任感の強さを知りながら、断れない状況を作り、城から遠ざけていたのである。
ハーグリーヴスは口元を押さえようとしたが、懺悔を止めることはできなかった。
ルシエラはその姿を、冷え切った目で見下ろしていた。
「…だからわたしはこの術が嫌いなのです。なんて汚い」
その声には、先ほどまでの柔らかな響きがなかった。
他人の心の奥底に隠された醜い思惑を、本人の意思に反して暴き出す。
それが聖女に与えられた権能の一つであっても、ルシエラにとって好ましいものではなかった。
「これで最後にしましょう。ハーグリーヴスよ。『アシュクロフト家とあなたの関係について真実を』答えなさい」
白銀色の魔法陣が静かに輝いた。
ハーグリーヴスはもはや抵抗することさえできず、胸の内に秘めていた事実を語り始めた。
「アシュクロフト家のセドリック卿とは、グレンフォード地区の災害対策工事の件で『握っている』関係だ。各村に工事詳細が空欄の二重帳簿を提出させ、工事の水増し、時には架空工事をさも行われているかのように見せ、公金をベルフォードに流す。
ベルフォードではアシュクロフトの息のかかった会社が利益をアシュクロフトに集約させるしくみだ。
私が長年掛けて作り上げた、私の芸術作品だ!!あの青二才がすべてぶち壊しにしてくれた!」
広間に、驚愕の空気が広がった。
災害対策工事という、領民の暮らしを守るための事業。その名目で公金を流用し、他家と結託して私腹を肥やしていたというのである。
しかも、それを長年かけて作り上げた芸術作品だと、ハーグリーヴスは自ら誇っていた。
リチャードは言葉もなく、かつて信頼していた家臣を見つめていた。
しかし、懺悔はそれだけでは終わらなかった。
「いずれは気の弱いエドガー様を、アシュクロフト家でも気が強く持て余されていたヴィクトリア嬢をあてがいセドリック卿が実権を握る予定だったのだ…だがしかし、レナード様がローレンスの家督を継いでも、エドガー様には利用価値がある。今度はアシュクロフト家に於いてな」
「どういう事だ…」
リチャードの問いに、ハーグリーヴスはなおも口を動かし続けた。
「セドリック卿にとっても、エドガー様がげに優秀だったことは誤算であった。しかし、あの方はそれ以上に食えない男だと言うことだよ。今度はアシュクロフト家の跡取り問題にヴィクトリア嬢とエドガー様を食い込ませるおつもりのようだ。レナード様が家督を継ぐお気持ちが有ろうと無かろうと、お二方はおそらく、もうローレンスにはお帰りになれんでしょうな。」
レンの表情が凍りついた。
兄がアシュクロフト家で静養しているという説明。
詳しい容体も、帰還予定も分からないという執事の言葉。
城に戻ってから感じていた違和感が、今になって恐ろしい意味を帯び始めていた。
兄は、ただ療養しているだけではないのかもしれない。
ハーグリーヴスは、そんなレンの心情など知る由もなく、さらに言葉を続けた。
「あては外れたが、大層お喜びであったよ。『頭のいい犬を一匹手元に置いておくのも悪くない』とな。くっくっく」
その瞬間だった。
「………貴っ様ぁぁぁ!!!」
レンの怒声が大広間を震わせた。
カルミラが押さえていた腕を、レンは一瞬の動きですり抜けた。
剣が鞘から抜き放たれる。
次の瞬間、鋭い刃がハーグリーヴスの右腕を斬り上げた。
切断された腕が宙を舞った。
「ああああああ!!」
ハーグリーヴスの絶叫が響き渡る。
広間にいた家臣たちは、突然の出来事に息を呑んだ。
レンはなおも怒りに燃える瞳でハーグリーヴスを睨みつけていた。
だが、その直後。
「もう!バカ!」
カルミラの拳が、レンの後頭部を強かに打った。
レンの意識が途切れる。
カルミラは力を失ったその体を支え、床に横たえた。
普段ならば、どれほどの魔物を相手にしても怯むことのないレンだったが、今は完全に意識を失っていた。
カルミラはそんな彼を見下ろし、困ったように眉を寄せた。
一方、ハーグリーヴスは右腕を失った激痛にのたうち回っていた。
床に落ちた腕をセヴランが拾い上げ、ルシエラへと視線を向ける。
ルシエラは忌々しそうに顔をしかめた。
そして、ハーグリーヴスの隣にひざまずくと、静かに回復魔法を立ち上げた。
柔らかな光が傷口を包み、セヴランが拾った腕が元の位置へと繋がれていく。
しかし、その治癒は完全なものではなかった。
「……嘘を吐いた代わりに、この腕は繋げてあげましょう。ただ、繋げるだけです。すぐに腕のいい魔術師に診てもらうことね。運が良ければ、スプーンくらいは握れるようになるのではないかしら」
ルシエラは冷ややかに告げた。
ハーグリーヴスの右腕は、確かに元の位置へと戻っていた。
だが、その手が以前のように動くことは、もはや望めない。
長年にわたり帳簿を操り、書類を利用して不正を重ねてきた男は、これから先、自らの手で帳簿を書くことさえできなくなるのだった。




