忠臣の仮面
ハーグリーヴスに招き入れられたレンたち四人は、大広間へと足を踏み入れた。
そこには、ローレンス家に仕える大勢の家臣たちが集められていた。広間の中央には領主の席が設けられ、その奥にリチャード・ローレンス辺境伯が威厳ある姿で座っている。
先日、夕食を共にしたときの気さくな父親とは、まるで別人のようだった。
普段のリチャードは豪快でおおらか、細かなことにはあまり頓着しない人物だ。しかし、こうして家臣たちを前にすると、長く辺境の地を治めてきた領主としての風格が際立っていた。
レンはその姿を見据えると、三人を従えて広間の中央へ進み出た。
四人は横一列に並び、辺境伯の前にひざまずいた。
「…王政府より調査依頼のあった、北西にある洞窟における魔物の大量発生についてご報告申し上げます」
「うむ、申してみよ」
リチャードは重々しく頷いた。
「魔物大量発生の原因は何者かによって洞窟内に敷かれた魔法陣が原因であり、これについては即日封印、周囲の残党の殲滅を行いました」
レンの報告が終わると、居並ぶ家臣たちの間からどよめきが起こった。
魔物の大量発生は、領民の生活を脅かしかねない重大な問題である。その原因を突き止め、魔法陣を封印したという報告に、広間はたちまち拍手に包まれた。
レンは周囲の反応に構わず、淡々と報告を続けた。
「その後、洞窟の奥に続く扉が見つかり、何者かが潜んでいる可能性を鑑み、調査を行いました。些少の残党が潜んでいたためこれをまた殲滅し、安全を確認した上で探索を完了しました。」
今度は先ほどよりも大きな拍手が巻き起こった。
家臣たちは口々に四人の功績を称えている。だが、当の本人たちにとっては、さほど大騒ぎするような仕事でもなかった。
セヴランは周囲に聞こえないほどの小さな声でぼやいた。
「…大したこと話してもいねえのに、この茶番はなんだ?」
「いつものことでしょう。静かにお待ちなさい」
隣のルシエラが、前を向いたまま静かにたしなめた。
セヴランは面白くなさそうに口を閉じる。王政府からの報酬も安く、目ぼしい収穫もなかった今回の探索を、これほど仰々しく称えられても、どうにも実感が湧かないらしい。
一方、リチャードは満足そうに頷いていた。
「なるほど…奥の洞窟の安全確認に時間を要したと聞いている。ローレンス領の民の安全のため、よくぞ務めを果たした!誠にご苦労であった」
辺境伯の力強い言葉に、広間は一層大きな拍手に包まれた。
レンは深く頭を下げた。
これで報告は終わりのはずだった。
ところが、リチャードが労いの言葉を締めくくろうとしている最中、家臣たちに交じって拍手をしていた一人の男が、ゆっくりと歩み出た。
そのまま広間の中央へ進み、ひざまずくレンの脇に並ぶ。
「………!?」
レンが顔を上げる。
そこに立っていたのは、ハーグリーヴスだった。
「いやはや、レナード様、お仲間の皆様、このたびも非常に立派なご活躍でございました。」
ハーグリーヴスは満面の笑みを浮かべ、四人を称えるように胸の前で手を合わせた。
突然の登場に、広間の拍手が次第に止んでいく。
「皆様もご覧の通り、レナード様はまことに頼もしいお方でございます。」
その声は、居並ぶ家臣たちの一人一人に聞かせるように、ゆっくりと響いた。
レンは眉をひそめた。
ハーグリーヴスが何を言い出そうとしているのか、嫌な予感がした。
「実はこの度、領内の有力者の皆々様より、あるご意見とともにこの陳情書をお預かりしておりまして。この機会に、ローレンス辺境伯閣下にこれをお届けしたく、このハーグリーヴスが参りました」
「……陳情書?」
リチャードは怪訝そうに眉を寄せた。
ハーグリーヴスは恭しく一通の書面を差し出した。
リチャードはそれを受け取り、目を通し始める。
その傍らに控えたハーグリーヴスは、胸に手を当て、いかにも忠実な家臣らしい姿勢で静かに待っていた。
レンは黙ってその様子を見つめていた。
隣では、セヴランが小さく舌打ちした。
「あいつ、やりやがったな」
セヴランはすぐにカルミラへ顔を寄せ、何事かを耳打ちした。
カルミラは一瞬目を丸くしたが、セヴランの言葉を聞くと、ちらりとレンの方へ視線を向けた。
そのとき、書面を読んでいたリチャードが声を上げた。
「エドガーに代わり、レナードを次期当主に強く望む…だと?」
広間の空気が変わった。
辺境伯の手にある陳情書には、確かに領内の有力者や貴族たちの名が連ねられていた。
いずれも、ローレンス領において無視できない立場の者たちである。
リチャードは以前から、次男のレンを後継者に望む声があることは耳にしていた。しかし、まさかハーグリーヴスが陳情書まで取りまとめ、このような場で提出してくるとは思ってもいなかった。
辺境伯が書面から顔を上げるより早く、レンがすっくと立ち上がった。
「ハーグリーヴス……貴様ぁっ!!」
怒声が大広間に響き渡った。
普段のレンからは想像もつかないほど激しい声だった。
ハーグリーヴスを睨みつける灰色の瞳には、隠しようもない怒りが燃えていた。
「わわっ、レン!落ち着いて…!」
今にもハーグリーヴスに飛びかかろうとするレンを、すかさず立ち上がったカルミラが背後から羽交い締めにした。
レンは構わず身を乗り出そうとする。
「以前にも言ったはずだ!次期当主になるのは兄上だ!これ以上兄上をたばかるようなら、俺が許さん!!」
その怒りには、明確な理由があった。
ハーグリーヴスから次期当主になるよう勧められたのは、これが初めてではない。
自分がローレンス家の当主になるつもりなどない。兄のエドガーこそが、次期当主にふさわしい人物だと信じていたからだ。
それにもかかわらず、ハーグリーヴスは本人の意思を無視し、領内の有力者を巻き込んで後継者変更を迫ろうとしている。
レンにとって、それは自分への推挙などではなかった。
尊敬する兄を貶めるために、自分の功績を利用されたことが、何よりも許せなかった。
「レン、ダメだよ…!セヴランに考えがあるって言うから!」
カルミラが羽交い締めにしたまま、レンの耳元で囁いた。
「………!?」
レンは思わず動きを止めた。
その背後で、セヴランがゆっくりと立ち上がった。
彼は慌てる様子もなく、辺境伯の前へと歩み出た。
「家臣の言うこともわかるけどさ、ご自分の育てた息子の言うことも聞いてみるもんだぜ?お父上様よ」
広間に、先ほどとは違う緊張が走った。
辺境伯を相手に、あまりにも気安い物言いだった。
「セヴラン殿……」
リチャードが戸惑ったように名を呼ぶ。
すると、傍らに控えていたハーグリーヴスがすかさず声を荒らげた。
「若造、辺境伯閣下の前で頭が高いぞ!」
「は?若造はてめえだよジジイ!」
セヴランは即座に言い返した。
三百年以上を生きるエルフである彼にとって、ハーグリーヴスなど文字通り若造に過ぎない。
相手の威圧など、まるで意に介していなかった。
セヴランは一度リチャードへ向けていた視線を、ゆっくりとハーグリーヴスへ移した。
その表情からは、先ほどまでの軽薄な笑みが消えていた。
「俺たちが気づいてないとでも思ってるのか?」
ハーグリーヴスの顔がわずかに強張った。
「な…なんの話だ」
「おまえはエドガーを陥れようとしている。こっちには証拠がある。」
セヴランはそう言って、にっと笑った。
あまりにも堂々とした告発だった。
一瞬の沈黙のあと、広間のあちこちから声が上がった。
「証拠だと?」
「ハーグリーヴス殿がそのようなことを?」
「いったい何の話だ!」
家臣たちは互いに顔を見合わせ、口々に疑問をぶつけ始めた。
つい先ほどまで、レンたちの功績を称える拍手に包まれていた大広間が、今や騒然となっている。
ハーグリーヴスは長くローレンス家の領政を支えてきた重臣だった。その人物が次期当主の変更を求める陳情書を提出しただけでも異例のことだというのに、今度はエドガーを陥れようとしていると告発されたのである。
リチャードもさすがに黙ってはいられなかった。
「ハーグリーヴス…一体どうなっている?」
厳しい視線が、傍らの家臣へ向けられる。
ハーグリーヴスは明らかに動揺していた。
「こ、これは何たる言いがかり!閣下、私は誓ってそのようなことは………」
必死に弁明しようとする声は、周囲のざわめきにかき消されそうになっていた。
家臣たちは騒ぎ、ハーグリーヴスは身の潔白を訴え、リチャードは険しい表情で事態を見守っている。
カルミラに制止されたレンも、なお怒りを抑えきれない様子でハーグリーヴスを睨みつけていた。
そんな混乱の中、それまで静かに成り行きを見守っていたルシエラが、ゆっくりと口を開いた。
「お待ちなさい」
鈴を転がすような少女の声が、騒然となった大広間に、細い針のように響いた。




