囚われの誓い
鈍い音を立てて扉が閉まり、続いて重い閂の掛かる音が室内に響いた。
エドガーは、呆然と扉を見つめるヴィクトリアの肩を抱いていた。
閉じ込められてしまった。外から閂を掛けられた以上、自分たちの意思でこの部屋を出ることはできない。だが、今のエドガーにとって、それは何よりも心配すべきことではなかった。
セドリックの豹変も、明らかになった陰謀も、もちろん恐ろしい。しかし、それ以上に気掛かりなのは、腕の中にいるヴィクトリアのことだった。
幼い頃から彼女を守り、誰よりも信頼されてきた叔父。その人が、自分を政治的な道具として利用しようとしていた。彼女が受けた衝撃は、どれほどのものだろう。
ヴィクトリアはしばらく扉を見つめていたが、やがてエドガーの腕の中で静かに目を伏せた。
「……ずっと…騙されていましたのね、わたくし……」
「ヴィカ…」
「アシュクロフトは、目的を遂げる為なら手段を選ばない家です…叔父様だって綺麗な仕事ばかりしている訳ではないのは存じていたつもりでしたわ…」
その声は、いつもの毅然とした彼女からは想像もつかないほど弱々しかった。
ヴィクトリアは叔父が清廉潔白な人物だと思っていたわけではない。アシュクロフト家がどのような家なのかも、十分に理解していたつもりだった。それでも、自分に向けられる愛情だけは疑ったことがなかったのだ。
その信頼が崩れ去った今、彼女は何を信じればよいのかさえ分からなくなっていた。
「わたくし…わたくしは愚かです。叔父様は、わたくしのことだけは、愛していると思い上がって…!結果、エドガー様をこんなことに巻き込んでしまった…」
大粒の涙がヴィクトリアの頬を伝った。
「違う…違うよヴィカ」
エドガーは思わず彼女を強く抱きしめた。
「君は僕がローレンスにいてはやられるばかりだと案じてくれただけだ…巻き込んでしまったのは僕の方だ…」
「いいえ、エドガー様は…アシュクロフトには行けないとおっしゃいましたわ…無理にお連れしたのはわたくしです…」
ヴィクトリアは小さく首を振った。
確かに、アシュクロフト家を頼ることを強く勧めたのは彼女だった。エドガーが乗り気でないことも知っていた。それでも、ローレンス家に留まれば彼がさらに追い詰められると思い、半ば強引に連れ出したのだ。
だが、エドガーには彼女を責める気持ちなど少しもなかった。
「……いや、僕が君にもっと早く話しておくべきだった。自信がなくて、どうしても話せなかった…」
その言葉に、ヴィクトリアが顔を上げる。
「……グレイヴスの件ですの?」
「ああ…さっきまでの話しが本当ならば、セドリック卿はハーグリーヴスと結託してグレンフォード地区の架空工事をでっち上げ、ローレンス領の公金をアシュクロフトに流している…最終的には…」
エドガーはそこで少し言い淀んだ。
目の前の彼女に、これ以上つらい事実を突きつけたくはなかった。しかし、もう隠しておくわけにはいかない。
「君をローレンスに送り込んで僕を操り、ローレンスの実権を獲るつもりだったようだ…」
「なんですって…?」
ヴィクトリアの声に、はっきりと怒りの色が滲んだ。
自分の婚約までが、叔父の企ての一部だったというのか。エドガーとの関係も、ローレンス家における自分の立場も、すべて利用するつもりだったというのか。
しかし、エドガーは彼女の怒りに気づきながらも、なお自分を責める言葉を続けた。
「…いや、これは僕のせいだ…帳簿の違和感を追っていっただけのつもりだったが、結局何もできないままハーグリーヴスにもセドリック卿にも良いようにされて…君を巻き込んでしまったのは僕の方だ…」
「だから、もう…どうしてすぐそういうおっしゃい方をなさいますの!?」
「えっ?」
突然声を強めたヴィクトリアに、エドガーは思わず目を丸くした。
彼女は涙の残る目で、至近距離からエドガーを睨みつけていた。
「じゃあエドガー様は、誰も何も気づかないままローレンス領民の公金が流れ続ければ良かったとお考えですの?」
「い、いや、そういうわけじゃ…」
「誰もあの狸の汚いやり口に気づかなかったところ、エドガー様だけは気づかれたのです。わたくしは誇らしく思いますわ。なのに、どうしてご自身でそれを否定なさるのかしら?」
エドガーは返す言葉を失った。
ヴィクトリアの言う通りだった。自分が不正を見つけたことまで間違いだったと思う必要はない。少なくとも、彼女はそう考えてくれている。
それが分かって、胸の奥に張り詰めていたものが少し緩んだ。
だが、それと同時に、エドガーは気づいてしまった。
「ヴィ、ヴィカ…セドリック卿の言い方が移ってるよ…」
「あら」
ヴィクトリアは思わず口元を押さえた。
その仕草があまりにも彼女らしく、エドガーはとうとう堪えきれなくなった。
「あはは…」
こんな状況で笑うべきではないのかもしれない。それでも、一度こぼれた笑いは止められなかった。
ヴィクトリアも最初は少し驚いたように彼を見ていたが、やがて釣られるように笑い始めた。
二人は抱き合ったまま、しばらく笑い合った。
何も解決したわけではない。扉は閉ざされたままで、セドリックの裏切りも消えはしない。それでも、互いの顔を見て笑うことができた。
エドガーは腕の中のヴィクトリアを見つめ、穏やかに微笑んだ。
「……そうだね、お互い謝るのはここまでにしようか」
「ええ…でも、エドガー様。わたくし、お願いがありますの」
「えっ?何だろう」
「これからは何かあったらお一人で抱え込まずに、わたくしにも話していただきたいのです」
ヴィクトリアは真剣な眼差しでエドガーを見上げた。
彼が一人で悩み、誰にも相談できずにいたことを思うと、胸が痛んだ。自分が彼の力になれたかどうかは分からない。それでも、せめて話を聞くことくらいはできたはずだ。
エドガーは少し考えるような顔をしたあと、遠慮がちに尋ねた。
「……怒らない?」
「……努力しますわ」
あまりにも真面目な返事に、エドガーはまた笑いそうになった。
「冗談だよ。うん。約束する」
ヴィクトリアも小さく微笑んだ。
これまでのエドガーは、何か問題が起これば自分一人で何とかしなければならないと思っていた。誰かに相談することは、自分の力不足を認めるようで怖かったのかもしれない。
だが、ヴィクトリアは違うと言ってくれた。
自分ができなかったことを責めるのではなく、できたことを認めてくれる。失敗を恐れて黙り込むのではなく、一緒に考えたいと言ってくれる。
その言葉を、今度こそ信じてみようと思った。
ヴィクトリアは再び扉を見上げた。
「二人で考えたら、この扉をどうにかする方法も見つかりますわよね…」
「そうだね…時間は掛かるかもしれないけど、僕らが生活する以上出入りはある…何かきっと切っ掛けがあるはずだ」
エドガーも扉へ目を向けた。
今すぐに脱出する方法が思いつくわけではない。無理に扉を破ろうとしても、今の自分には到底できないだろう。
それでも、二人がここで生活する以上、食事や身の回りの世話のために誰かが出入りする機会はあるはずだ。そのときに何ができるか、落ち着いて考える必要があった。
「レナード様たちが気づいてくださると良いのですが…」
「そうだね…レンが気づいてくれればきっと…」
エドガーはそこまで言って、言葉を止めた。
レンならば、このような状況でも何か手立てを見つけられるだろう。自分には思いもつかない方法で、あっという間に窮地を脱してしまうかもしれない。
幼い頃から、弟はそういう存在だった。
剣も魔法も、何もかもが自分とは違う。どれほど努力しても届かない強さを、レンは持っている。
自分には同じことはできない。
それは今も変わらない事実だった。
けれど、エドガーはふと腕の中のヴィクトリアに目を落とした。
彼女はもう泣いてはいなかったが、瞳にはまだ深い悲しみが残っていた。信じていた叔父に裏切られ、慣れ親しんだアシュクロフト家の屋敷で自由を奪われている。
そんな彼女を、これ以上傷つけたくなかった。
自分に何ができるのかは分からない。力もなく、体も弱く、頼りないところばかりの自分だ。それでも、彼女を守ることまで誰かに任せてしまいたくはなかった。
エドガーはヴィクトリアを抱く腕に、そっと力を込めた。
僕はレンのように強くない。
レンのようには出来ない。
でも、彼女だけは僕がこの手で守る。




