嘲笑と毒舌
翌朝、ヴィクトリアはエドガーと向かい合って朝食をとっていた。
もっとも、彼女の意識は目の前の食事よりも、正面に座る婚約者のほうに向いていた。
エドガーは先ほどから、どこを見るともなく宙に視線を漂わせている。食事の手も止まったままで、皿の上の料理はほとんど減っていなかった。
「……エドガー様」
ヴィクトリアは努めて静かに声をかけた。
それなのに、エドガーの身体がびくりと跳ね上がった。
「……っ! なんだい?」
「先程から、お食事の手が止まっていらしてよ」
「えっ、ああ……ごめん……」
ヴィクトリアは眉をひそめた。
……どうしてまた、あやまるのかしら。
その言葉が喉まで出かかったが、ぐっと飲み込む。
別に、食事の手が止まっていることを責めたつもりはない。ただ、心配だっただけなのだ。
ヴィクトリアはついと視線を逸らした。
しかし、やはり気になって、またエドガーを見てしまう。
ノースフェルから帰ったばかりのエドガーは、昨日も夕食をろくにとらず、早々に席を立ってしまった。
そして今朝も、せっかく並べられた朝食にはほとんど手をつけず、ぼんやりとしている。
「そんなにお食事が召し上がれないのは、体調が優れないからではありませんの? あとでお医者様を呼んではいかがかしら」
そう勧めても、エドガーは弱々しく笑うだけだった。
「ノースフェルから帰ったばかりで、少々疲れているのかもな。ありがとう」
「本当にそれだけですの?」
ヴィクトリアは、まっすぐにエドガーの目を見つめた。
途端に、彼の表情が固まった。
「ヴィカ」
その呼びかけに、ヴィクトリアの胸が小さく揺れる。
「本当だよ……大丈夫だから」
エドガーはそう言って、また頼りない笑みを浮かべた。
ヴィクトリアは唇を引き結んだ。
本当は、このまま問い詰めてしまいたかった。
何を悩んでいるのか。何を隠しているのか。なぜそんなに苦しそうな顔をしているのか。
全部、話してほしかった。
けれど、今ここで強く問い詰めたら、エドガーがそのまま溶けて消えてしまいそうな気がした。
だから、言葉を飲み込んだ。
いつもそうだった。
ヴィクトリアは、自分の言葉が時に厳しく、相手に強い印象を与えることを知っている。
社交界では、それが役に立つことも多かった。無礼な相手に遠慮する必要などないし、曖昧な態度を見せれば付け込まれるだけだ。
けれど、エドガーに対しては違う。
自分の本音をそのままぶつければ、彼はますます萎縮してしまう。言えば言うほど、彼の心が遠ざかってしまう。
そんな気がしていた。
ヴィクトリアはそれ以上追及せず、静かにティーカップへ視線を落とした。
朝食を終えると、エドガーは先に席を立った。
その姿を見送ってから、ヴィクトリアは付きの侍女を呼び寄せた。
彼女は、ヴィクトリアが幼い頃からアシュクロフト侯爵家で仕えてきた侍女だった。
母を亡くした後も、後妻や異母姉妹との折り合いが悪かった時期も、ずっと側にいてくれた。ローレンス家へ移り住む際にも、一緒についてきてくれた人物である。
ヴィクトリアが誰よりも信頼している侍女だった。
「お呼びでしょうか、ヴィクトリア様」
「内密に、調べてほしいことがあります」
「かしこまりました」
侍女は余計なことを尋ねず、静かに頭を下げた。
「エドガー様がアシュクロフトの何を調べていらっしゃるのか。周りの状況についてもよ」
「周りの状況……でございますか?」
「アシュクロフトの手のものがこの家に居るならば、調べていると知れば必ず何か仕掛けているはずよ」
「はい、つつがなく」
「お願いね」
侍女は一礼し、命じられた調査に取りかかった。
ヴィクトリアは窓の外へ目を向けた。
アシュクロフト侯爵家が、決して清廉潔白な家ではないことを彼女はよく知っている。
実家とは元々折り合いが悪く、その内情についても、知らずに済ませられる立場ではなかった。
だからこそ、エドガーがアシュクロフト家について何かを調べていると知った時から、嫌な予感がしていた。
もし実家の者たちがそれに気づいているのなら、黙って見過ごすはずがない。
そして、エドガーはそうした悪意に対して、あまりにも無防備だった。
……本当は、話してほしかった。
わたくしのことを疑っているとは思わないけれど。
悩んでいるのなら、一番に話せるのがわたくしだと思って欲しかった。
待っていたのに。エドガー様。
ヴィクトリアは窓の外を見つめたまま、そっと唇を噛んだ。
◇ ◇ ◇
朝食を終えたエドガーは、いつも通り執務室へ向かった。
昨夜は遅くまで資料を調べていたが、考えなければならないことはまだ山ほど残っている。
それでも、まずは目の前の仕事を片づけなければならない。
そう思って執務机に着いたエドガーは、そこに置かれた書類を見て首を傾げた。
「……あれ」
昨日はまだ束になっていたはずの決裁書類が、ほんの数枚しか残っていない。
ノースフェルへの視察で一週間ほど留守にしていたのだから、処理を待っている案件は相当数あるはずだった。
エドガーは近くにいた補佐官に声をかけた。
「僕が留守にしていた間の案件は?」
「そちらはすでに処理を終えております」
「そうか。ありがとう。では、今日の決裁書類は?」
「そちらも、他の者へ引き継がれております」
「……そう」
エドガーは机の上をもう一度見渡した。
留守中の仕事を片づけてもらえたのなら、それはありがたいことだった。
ただ、今日の仕事まで引き継がれているというのは、少し妙だった。
エドガーは以前から担当していた案件を思い出した。
「そういえば、あの灌漑設備の件はどうなった? 僕が戻ったら、予算の最終調整をする予定だったけれど」
「そちらも、別の担当者へ引き継がれました」
「……僕が戻ってからでは、間に合わなかったのかな?」
「いえ……そういうわけではございませんが……」
補佐官は少し言いにくそうに答えた。
「……そうか。分かった。ありがとう」
エドガーは静かに頷いた。
担当者が変わったのなら、仕方がない。引き継ぎが済んでいる以上、自分が改めて口を出す必要もないだろう。
けれど、これまで関わってきた案件なのだから、せめて進捗や決定事項くらいは把握しておきたかった。
「では、引き継いだ案件の報告書を見せてもらえるかな。僕も内容を把握しておきたいから」
「……申し訳ございません。そちらは、すでに別の部署で管理することになっております」
「……僕が確認することもできないの?」
「いえ、その……必要がございましたら、こちらからご報告いたしますので……」
エドガーは補佐官の顔を見た。
彼は困ったような表情をしていたが、そこに悪意があるようには見えなかった。
むしろ、何かを申し訳なく思っているようだった。
「……誰が、そう決めたんだい?」
「ハーグリーヴス様でございます。若様はノースフェルへの長旅でお疲れだろうから、しばらくご負担をおかけしないようにと」
「……ハーグリーヴスが?」
「はい。若様は責任感がお強く、ご自身からお休みになるとはおっしゃらないだろうと。ですから、我々のほうでできる限りのことを、と」
エドガーは言葉を失った。
ハーグリーヴス。
昨夜、何度も書類の中で目にした名前だった。
「……そう、だったんだね」
「どうぞ、今はお身体をお休めください。何かございましたら、こちらからご報告いたしますので」
「……ありがとう。気を遣わせてしまったね」
補佐官は丁寧に頭を下げると、忙しそうに執務室を出ていった。
エドガーはその背中を見送り、しばらく動けずにいた。
以前なら、ハーグリーヴスの行き過ぎた心配だと思っていただろう。
自分が無理をしがちなことは、エドガー自身もわかっている。体調を気遣って仕事を減らしてくれたのだと説明されれば、素直に感謝していたに違いない。
しかし、今は違った。
昨夜の調査で確認した、ハーグリーヴスの決裁印。
ハルフォード商業金融社の出資者として記されていた、アシュクロフト侯爵家の名前。
そして今朝、自分が担当していた仕事が、報告書の確認さえ難しい形でほかの部署へ移されていた。
……気づいている。
エドガーはそう思った。
ハーグリーヴスは、自分が何かを調べていることに気づいているのではないか。
そして、何らかの手を打って、自分の行動を止めようとしているのではないか。
もちろん、ハーグリーヴスが調査の内容をどこまで把握しているのかはわからない。
家督の問題を有利に進めるために、自分を執務から遠ざけようとしている可能性もある。
いずれにしても、単なる体調への配慮として受け取ることは、もうできなかった。
エドガーは静かに顔を上げ、執務室を見渡した。
周囲では補佐官たちが、いつもと変わらず忙しそうに働いていた。
書類を確認する者。別の部署へ向かう者。案件について話し合う者。
領政府の仕事は、滞りなく進んでいるようだった。
ただ、その中にエドガーの仕事はほとんど残されていなかった。
仕事が減ったこと自体を、悲しいとは思わない。
自分がいなくても領政が滞りなく回るのなら、それは喜ぶべきことだ。
優秀な者たちがそれぞれの役割を果たし、領民の暮らしを支えてくれる。それこそが、領政府のあるべき姿なのだろう。
けれど。
自分がいないほうが、うまく回るのだとしたら。
ハーグリーヴスが手配しただけで、自分の担当していた案件がすべてほかの者に引き継がれ、何の支障もなく仕事が進んでいるのだとしたら。
自分は、ここで何をしていたのだろう。
エドガーは机の上に残された、わずかな書類へ視線を落とした。
◇ ◇ ◇
その日の午後、ヴィクトリアは近隣の有力者夫人が主催するお茶会に招かれていた。
ローレンス領の貴族婦人たちが集まる席である。
ヴィクトリアが案内されて会場に姿を現した時、いつもとは少し違う空気が流れていることに気づいた。
普段なら真っ先に挨拶にやって来る夫人たちが、今日は遠巻きにこちらを見ている。
顔を寄せ合い、何やら小声で話しては、クスクスと笑っていた。
ヴィクトリアはその様子を一瞥しただけで、特に気に留めなかった。
こういう空気は初めてではない。
ご婦人たちは、人の不幸が大好きなのだ。
誰かの失敗や不運が話題になれば、途端に生き生きとし始める。まして、それが身分の高い家に関わる話であれば、なおさらだった。
ヴィクトリアは案内された席につき、何事もなかったかのようにティーカップを手に取った。
優雅な仕草で紅茶を一口含む。
すると、隣に噂好きで有名な伯爵夫人が腰を下ろした。
「あら、ヴィクトリア様。この度は大変でしたわね」
「ごきげんよう。何かございましたの?」
ヴィクトリアはにこやかに応じた。
「エドガー様はお身体がお弱くて、今も視察のお疲れで臥せっていらっしゃるとか……辺境伯家のご当主ともなれば、さぞお務めが大変でしょうね。レナード様のような逞しい方がいらして、何よりですこと」
なるほど。
ヴィクトリアは内心で納得した。
どうやら、今日の話題はエドガーのことらしい。
「まあ。ご心配くださり、ありがとうございます」
ヴィクトリアはにっこりと微笑んだ。
「ところで奥様? 領地の統治というものは、腕力や魔法で行うものでしたかしら?」
「え……?」
伯爵夫人が目を瞬かせる。
「わたくし、まっったく存じませんでしたわ。帳簿を読むにも、税制を整えるにも、剣を振るう必要があるなんて。驚きました」
ヴィクトリアは感心したように目を細めた。
「それとも奥様のお宅では、難しい書類が届くたび、ご主人がその剣技で華麗に斬り伏せていらっしゃるの? 勉強になりますわ。うふふふ……」
「……! まあっ!」
伯爵夫人の顔が真っ赤になった。
ヴィクトリアは楽しげに笑いながら、ティーカップをソーサーへ戻した。
レンが優れた武人であることに、異論などない。
だが、それと領政の能力は別の話だ。
エドガーがどれほど真摯に領地の統治へ取り組み、優れた判断を重ねてきたか。ヴィクトリアはよく知っている。
身体が弱いというだけで、その能力まで軽んじられる筋合いはなかった。
伯爵夫人が言葉を失っていると、今度は向かいに座っていた子爵夫人が口を開いた。
「ですが、実際にレナード様を次期辺境伯に、というお声も多いそうですわ。民のためにも、より優秀な方が継がれるのがよろしいのでは?」
ヴィクトリアは大げさに目を見開いた。
「まあ。それは初耳ですわね」
「あら、ご存じありませんでしたの?」
子爵夫人は勝ち誇ったような笑みを浮かべた。
「ええ。レナード様ご本人が、そのようなお話を望んでいらっしゃるとは、はじめて聞きましてよ?」
「……い、いえ、ご本人のお考えまでは……」
「では、どなたのお考えなのかしら?」
ヴィクトリアは微笑んだまま、子爵夫人を見つめた。
レンが兄を深く敬愛し、家督を望んでいないことは知っている。
それにもかかわらず、本人の意思を確かめもせず、周囲が勝手に次期当主を決めようとしている。
それがどれほど無礼なことか、目の前の婦人たちは考えたこともないのだろう。
「ご本人のご意思も確かめず、他家の家督に口を挟む方がいらっしゃるなんて。驚きましたわ。最近の流行ですの? わたくし、存じ上げなくてお恥ずかしいわ。ずいぶんと大胆な社交界になりましたのね」
ヴィクトリアは、さらに柔らかく微笑んだ。
「それなら、奥様のお宅では、ご子息の将来もお茶会の席でサイコロか何かでお決めになるのかしら? うふふふ……」
子爵夫人は口を開きかけたが、何も言い返せずに俯いた。
周囲の婦人たちも、すっかり口数が少なくなっていた。
しかし、先ほどの伯爵夫人はまだ諦めていなかったらしい。
「ですが、皆様がそうおっしゃっているのですもの。きっと何か理由がおありなのでしょう?」
ヴィクトリアは、いかにも感心したというように頷いた。
「まあ。『皆様』とは、便利なお名前ですこと」
「……はい?」
「どなたがおっしゃったのか分からないお話でも、『皆様』とつければ、立派なご意見になるのですものね」
伯爵夫人の表情が引きつる。
「それで、その『皆様』の中に、ローレンス辺境伯閣下はいらっしゃるのかしら?」
「それは……存じませんけれど……」
「レナード様ご本人は?」
「……」
「エドガー様は?」
「……」
ヴィクトリアは小さく首を傾げた。
「まあ、不思議」
そして、優雅に紅茶を一口飲んだ。
「当事者が誰一人いらっしゃらないというのに、ずいぶんと話が進んでおりますのね。それとも、時々皆様でお茶会でもしていらっしゃいますの?」
伯爵夫人は黙り込んでいた。
ヴィクトリアは穏やかな笑みを浮かべたまま、言葉を続けた。
「皆様、わたくしの婚約者のことを随分とご心配くださるのね。ありがたいことですわ」
声はあくまで柔らかかった。
「ですが、どうぞご安心なさって。エドガー様のお力は、わたくしが誰よりもよく存じておりますから」
エドガーが自分の能力をどう評価していようと、ヴィクトリアには関係なかった。
彼が領民の暮らしをどれほど大切に考え、どれほど誠実に仕事へ向き合っているかを知っている。
彼が次期当主にふさわしくないなどと、思ったことは一度もない。
「それに……ご本人のいらっしゃらない席でしか申し上げられない、どなたのものかもわからないご意見など、そんな些末なもの、わざわざお伝えする価値もございませんでしょう?」
ヴィクトリアは微笑んだ。
それから、何事もなかったかのように焼き菓子を一つ指先に取った。
もう、この話は終わりである。
そう告げるような、実に優雅な仕草だった。
夫人たちはそれ以上、エドガーの話題を持ち出そうとはしなかった。
ヴィクトリアも席を立つことなく、その後のお茶会をいつも通りに楽しんだ。
ここで退席してしまえば、まるで自分が追い払われたようではないか。
そんなつもりは、毛頭なかった。
◇ ◇ ◇
帰りの馬車の扉が閉まる、その瞬間まで。
ヴィクトリアは余裕のある笑みを崩さなかった。
しかし、馬車が動き出し、外から姿が見えなくなると、その表情から笑みが消えた。
向かいには、朝に内密の調査を命じていた侍女が座っている。
「……ヴィクトリア様、お疲れ様でございました」
「……思ったより状況は良くないようね。城内での状況はわかったのかしら」
「はい。先程のお茶会でも声が上がっていたように、レナード様を次期当主にと擁立するような動きがあるようです」
ヴィクトリアは眉を寄せた。
「レナード様はお兄さまを敬愛していて、そのようなお考えはお持ちではなくてよ? 一体誰が……」
「まだハッキリとは姿を見せませんが、執務室主席補佐官のハーグリーヴス子爵が領内の有力者の意見を取りまとめているようです」
「……ハーグリーヴス……」
ヴィクトリアはその名を繰り返した。
エドガーが長年信頼してきた、ローレンス家の老臣。
その人物が、エドガーを差し置いてレンを次期当主に据えようとしているというのか。
侍女はさらに報告を続けた。
「先達のノースフェル視察も彼の差し金だという噂もあるようです。そして、ノースフェルからお帰りになったエドガー様は、仕事を取り上げられていると……」
「なんですって?」
思わず、ヴィクトリアの声が鋭くなった。
「はい。お体の弱い若様のご負担を減らすため、と説明して回り、その代わりにレナード様を担ぎ上げているそうでございます」
「……なるほど。そういうこと」
ヴィクトリアは窓の外に目を向けた。
ノースフェルへの視察がハーグリーヴスの差し金だったという話は、まだ噂にすぎない。
しかし、エドガーの仕事が取り上げられているという報告は、聞き流せるものではなかった。
今朝のエドガーの顔が、脳裏に浮かんだ。
食事にもほとんど手をつけず、ぼんやりと宙を見つめていた姿。
声をかけただけで驚き、何も悪いことなどしていないのに謝っていた。
何かを抱え込んでいることはわかっていた。
けれど、まさか周囲でそんなことが進められているとは。
「あの方の優しさを、ずいぶんと都合よく使ってくれるわね」
ヴィクトリアは静かに言った。
エドガーは、人を疑うことが苦手だ。
自分より他人を優先し、相手の善意を信じようとする。
そんな彼に対して、身体を気遣っているという名目で仕事を取り上げる。
本人が強く抗議しないことまで見越しているのだとしたら、あまりにも卑劣だった。
「おそらく、ハーグリーヴス子爵がアシュクロフトの内通者と見て間違いないかと」
侍女の言葉に、ヴィクトリアは視線を戻した。
ハーグリーヴスがアシュクロフト家と通じている。
直接の証拠が示されたわけではないが、侍女が集めた情報から導き出した見立てだった。
ヴィクトリア自身、実家のやり方をよく知っている。
だからこそ、その可能性を軽く見ることはできなかった。
「………だとすれば……」
ヴィクトリアは考え込んだ。
エドガーがアシュクロフト家について調べていること。
そのエドガーが、信頼していた老臣によって執務から遠ざけられ始めていること。
そして、本人の意思とは関係なく、レンを次期当主に擁立しようとする動きが広がっていること。
それぞれの出来事が、無関係とは思えなかった。
話をしているうちに、馬車はローレンス辺境伯家の居城へと近づいていた。
ヴィクトリアは窓の外を見つめながら、これからどうすべきかを考えていた。
やがて馬車が城の玄関に付けられた。
その時だった。
城内から一人の侍女が駆け出してきた。
ひどく慌てた様子で馬車へ駆け寄り、窓を覗き込む。
「ヴィクトリア様! エドガー様が、エドガー様がお倒れになりました……!」
「え……?」
ヴィクトリアの思考が止まった。
エドガーが。
倒れた。
先ほどまで冷静に状況を整理していた頭が、真っ白になった。
侍女が何かを言おうとしたが、ヴィクトリアの耳には入らなかった。
馬車の扉が開く。
その瞬間、ヴィクトリアは飛び出していた。
社交界で見せていた余裕も、優雅な微笑みも、すべて消えていた。
ただエドガーのことだけを思い、ヴィクトリアは城内へ向かって走った。




