叶わない約束
ある夜、レンの私室の扉がノックされた。
こんな時間に誰だろうかと扉を開けると、そこにはルシエラが立っていた。
何やら少し怒っているような顔をしている。その手には、手紙らしき紙の束が握られていた。
「レン……今、少し話せますか」
「ああ、かまわないが……」
レンが部屋へ招き入れると、ルシエラは中へ入り、扉が閉まるのを待ってから、その前に仁王立ちになった。
そして、まっすぐにレンを睨みつける。
「……レン、私は今怒っています。わかりますか」
「わかるが、身に覚えは全くない」
「……ロザリーのことです」
「……ロザリーがどうした?」
「ロザリーは悲しんでいます。あなたが鈍すぎて」
「待て、順を追って説明してくれ」
「今さら順を追って説明したところで、あなたにはわからないでしょう」
レンは頭を抱えた。
「……なら、一体どうしたらいいんだ……」
怒っていることはわかる。ロザリーのことらしいというのもわかった。だが、肝心の自分が何をしたのかが、さっぱりわからない。
ルシエラは深く息をついた。
手にしているのは、ロザリーから届いた手紙だった。二人は手紙のやり取りをはじめたばかりで、ルシエラはロザリーが婚約について悩んでいることを知っていた。
「……レン、あなたは婚約者としてロザリーとの未来をどう考えているのです?」
「……? いずれ結婚するから婚約者なのではないのか」
「……その立場に胡座をかいた考え方がロザリーを不安にさせると言っているのです!」
ルシエラの声が一段と厳しくなった。
レンは困惑した。
婚約とは、いずれ結婚することを約束した関係ではないのか。自分としては、その約束を違えるつもりなど全くない。だからこそ、何が問題なのかわからなかった。
「質問を変えましょう。ロザリーがあなたを大切に思ってくれているのはわかりますか?」
「それはわかる……ロザリーは兄のように俺の事を慕ってくれている」
「兄………」
ルシエラのため息が、広い部屋に響いた。
レンはますます困惑した。ロザリーとは幼い頃から親しくしている。彼女が自分を慕ってくれていることも、疑ったことはなかった。
しかし、どうやらその答えも間違っていたらしい。
「では、あなたが進んで自分からロザリーに会いに行ったことは?」
「うっ」
今度は、さすがのレンも言葉に詰まった。
ロザリーが城を訪ねてくることはあっても、自分から彼女に会いに行くことはほとんどなかった。
冒険者としての活動や鍛錬に追われていたこともあるが、それを言い訳にするつもりはない。
「では、前回尋ねてきたロザリーのドレスの色は?」
「……青だったか」
「黄色です!!」
「かわいそうに、ロザリーはあなたに愛されているという自信が持てず、いつも悩んで苦しんでいるのです。あなたはそれで良いのですか?」
「……いや、俺もロザリーを大切に思っている」
それだけは、はっきりと言えた。
レンにとって、ロザリーは昔から大切な存在だった。婚約したことを後悔したこともない。
ただ、その気持ちをわざわざ言葉にして伝えなければならないとは、考えたことがなかった。
「ならば、いいですか? レン。明日ロザリーが来ます。その時にちゃんと外に立って出迎え、エスコートするのです。そして、そこで自分の気持ちをロザリーがわかるように伝えなさい」
「うまくできるかわからんが……やってみよう」
「上手くできるかどうかは問題ではないのです」
ルシエラはきっぱりと言った。
「そして今度は、ロザリーを待たずにあなたからロザリーに会いに行くのです。いいですね」
それだけ言い残すと、ルシエラは部屋を出ていった。
レンは閉じられた扉を見つめたまま、しばらく考え込んでいた。
ロザリーが、自分との婚約についてそこまで悩んでいたとは知らなかった。
大切に思っていることは、当然伝わっているものだと思っていた。
しかし、ルシエラがあれほど怒っていたのだから、そうではなかったのだろう。
何をどう伝えればよいのか、まだよくわからない。
それでも、明日は自分からロザリーを出迎えよう。
レンはそう決めた。
◇
翌日、レンはルシエラ、セヴラン、カルミラとともに、洞窟攻略についての会議に参加していた。
しかし、その最中だというのに、レンは目を閉じてじっとしていた。
眠っているわけではない。
城壁の周囲に結界を張り巡らせ、そこを通過する者の気配が伝わるよう、意識を集中させていたのである。
ロザリーが到着したら、すぐに出迎えなければならない。
昨日ルシエラに言われたことを、レンは自分なりに忠実に実行しようとしていた。
「……洞窟の奥は広くなっているが、深度はさほどでもなかったっていうことだな? レン?」
セヴランが確認を求めた。
「……待ってくれ、今集中している」
「はあ?」
セヴランは呆れたようにレンを見た。
洞窟攻略の会議をしているというのに、何を別のことに集中しているのか。
「……そっといておいてあげなさい、セヴラン」
ルシエラが静かに口を挟んだ。
事情を知っている彼女だけは、レンが何をしているのかわかっていた。
その時だった。
レンの目が開かれ、上体をがばっと起こした。
「……来た!」
そう言うなり、レンは勢いよく立ち上がり、部屋を飛び出していった。
突然の行動に、残されたセヴランは目を丸くした。
「なんだぁ? ロザリーちゃんでも来たの?」
カルミラが面白そうに声を上げる。
「きょうは冷やかし無用ですよ、ミラ」
ルシエラはすかさず釘を刺した。
◇
その頃、レンは城の正門へ向かっていた。
結界が捉えた気配から、ロザリーの馬車が到着したことはわかっている。
普段なら、彼女が城内へ案内されてから顔を合わせるところだった。自分から正門まで迎えに出るのは、これが初めてである。
レンは馬車が正門前に着けられるのを待ち、その扉の前に立った。
やがて扉が開く。
「まあっ! レン様?」
馬車の中から姿を現したロザリーは、目を丸くした。
薄桃色のドレスには繊細なレースがあしらわれ、柔らかな色合いが彼女の可憐な雰囲気によく似合っていた。
しかし、ロザリーは自分の装いを気にする余裕もなく、目の前に立つ婚約者を見つめていた。
これまで何度もローレンス城を訪れてきたが、レンが自ら出迎えに来てくれたことなど、一度もなかったのだ。
「ロザリー、待っていた」
レンはそう言って、馬車を降りる彼女に手を差し出した。
「えっ……」
ロザリーの頬が、ぱっと紅に染まった。
差し出された手を取りながらも、まだ信じられないというようにレンを見上げる。
「きょうは、皆様はいらっしゃらないのですか?」
「ああ、中で洞窟攻略の会議をしている。俺は抜けてきた」
「まあ……抜けてきてくださったのですか?」
ロザリーの声が弾んだ。
自分を迎えるために、わざわざ会議を抜けてきてくれた。
それだけのことが、彼女には嬉しかった。
レンはロザリーをエスコートし、二人は腕を組んで中庭のほうへ歩き出した。
「ロザリーは、今日はどうした?」
歩きながら、レンが尋ねた。
するとロザリーは、少し困ったように視線を伏せた。
「あの、その……」
言葉を探すように口ごもってから、ようやく話し始める。
「わたくし、聖女様とお手紙のやり取りをしていますの。わたくしの悩みを聞いていただいていて……それで、聖女様から一度きちんと言葉にしてレン様とお話なさいと……」
そこまで言うと、ロザリーは俯いてしまった。
「そうか、悩みとは俺のことか?」
「えっ、えっ、あの」
ロザリーは慌てたように顔を上げた。
レンは彼女を責めるでもなく、いつもの真面目な顔で続けた。
「実は、俺もルシエラから同じような事を言われて、今日はロザリーときちんと話すためにこうして待っていた」
「………」
ロザリーは言葉を失った。
レンもまた、自分と話すために待っていてくれたのだ。
ルシエラに何を言われたのかはわからない。けれど、こうして向き合おうとしてくれていることが、何よりも嬉しかった。
それでも、胸の奥に抱えていた不安が消えたわけではない。
「……レン様は」
「?」
レンが彼女を見る。
ロザリーは勇気を振り絞るように、顔を上げた。
「わたくしが婚約者で、本当に良かったとお思いですか?」
レンは驚いたようにロザリーを見つめた。
「何故そのような事を?」
その問いに、ロザリーは苦しそうに目を伏せた。
「……わたくしは……レン様のような素敵な方に愛される自信が無くて、いつも泣いてばかりで」
レンはしばらく考えた。
自分の武勇や功績について、周囲が大げさに騒ぎ立てることは珍しくない。
そのせいで、ロザリーが自分との間に距離を感じているのだろうか。
しかし、レン自身は、周囲の評価によって何かが変わったとは思っていなかった。
「ロザリー、俺の武勇がなんだといたずらに述べたてる人間がいるが、そういう話は聞かなくていい。俺も君も何も変わってはいない」
「いいえ……わたくし自身が誰よりもレン様のことを誇らしいのです。でも、何故か不安になってしまうのです……」
ロザリーはレンを見上げた。
その瞳が、うっすらと潤んでいた。
レンが優れた剣士であり、魔術師であることを、ロザリーは心から誇りに思っていた。
彼が冒険者として活躍することも、決して嫌ではなかった。
けれど、レンはこれからも冒険を続けるのだろう。
いつか遠くへ行ってしまうかもしれない。
その時、自分との婚約をどれほど大切に思っていてくれるのだろうか。
ロザリーには、その確信が持てなかった。
レンは彼女の表情を見つめ、そっと頭を撫でた。
ロザリーがこんなにも悩んでいたとは、思いもしなかった。
婚約者なのだから、いずれ結婚する。
自分にとっては、それが当たり前だった。
けれど、当たり前だと思っているだけでは、相手に伝わらないこともあるのだろう。
昨夜のルシエラの言葉が、ようやく少し理解できた気がした。
「……質問に答えていなかったな」
レンはロザリーをまっすぐに見た。
「ロザリー、俺は君が婚約してくれたことを感謝している」
ロザリーは顔を上げた。
「俺のような、剣を振るうしか能のない、城にじっとしていることも、社交もまるでできない人間にいつも優しくしてくれる。君でなければ愛想を尽かされている」
「そんな……」
ロザリーは思わず首を振った。
レンは、世辞や気の利いた言葉を並べることが得意ではない。
自分の気持ちをどう伝えればよいのかも、まだよくわかっていなかった。
ただ、ロザリーが自分にとって大切な存在であることだけは、間違いなかった。
彼女がいつも優しく接してくれることも、婚約者でいてくれることも、決して当然だとは思っていない。
「君が嫌なら無理にとは言わないが、俺は……ロザリーが婚約者で良かったと心から思っている」
「レン様……」
ロザリーの瞳が、再び潤んだ。
華やかな愛の言葉ではなかった。
けれど、レンが一つひとつの言葉を真剣に選び、心からそう言ってくれていることは伝わってきた。
ロザリーは胸の奥が温かくなるのを感じた。
ずっと聞きたかった言葉だった。
自分が婚約者でよかったと、レン自身が思ってくれている。
それだけで、これまで抱えていた不安が少しずつ和らいでいくようだった。
けれど、もう一つだけ、どうしても聞いておきたいことがあった。
「それなら、レン様の冒険の目処がついたら、いつかわたくしのことを迎えに来てくださいますか?」
ロザリーはレンを見つめた。
彼の冒険をやめさせたいわけではない。
剣を取り、魔法を使い、仲間たちとともに各地を巡る。それがレンの生き方なのだと、ロザリーは理解していた。
だからこそ、その冒険が一段落した時には、自分のもとへ帰ってきてほしかった。
レンはロザリーを見つめ、微笑んだ。
「ああ……約束する」
「絶対に?」
「ああ、絶対だ」




