不機嫌なヴィクトリア
朝。
ローレンス辺境伯家の食堂には、窓から柔らかな朝の光が差し込んでいた。上品に並べられた食器の向こう、庭から聞こえる小鳥のさえずりの中に、まるでその光に溶け込むようにヴィクトリア・アシュクロフトがいる。
透けるような白い肌。薄い色の金髪は上品にまとめられ、前髪を作らず額を出している。その下にある紫の瞳も美しいが、何よりエドガーの視線を引くのは、その美貌に引けをとらない所作の美しさだった。
背筋はまっすぐに伸び、食器を扱う指先に至るまで洗練されている。朝食の席ですら毛の先ほどの隙もない。
――今日も朝から綺麗だ。
なんて、気取ったことが言える関係だったらどんなに良いか。
彼女のすごいところは、美しいだけではなく、この所作に見える賢さだ。
まったく、本当になぜこの素晴らしい女性が僕のところに……。
「……何ですの?」
不意に紫の瞳がこちらを向き、エドガーは我に返った。
「いや、何でもないよ」
「でしたら、じろじろ見るのはおやめになって。食事中よ」
「ご、ごめん」
今日も朝から叱られてしまった。
エドガーが気まずそうに視線を皿へ落とすと、しばらくしてヴィクトリアの方から口を開いた。
「レナード様がお戻りになるのですってね」
知った話題になり、エドガーは内心ほっとしながら顔を上げる。
「ああ。近隣の洞窟で魔物の異常発生が確認されたんだ。王都にも報告が上がって、正式に討伐の勅命が出たらしい」
「ローレンス領の兵では対処できない規模なのですか?」
「まだそこまでは分からない。ただ、通常ならあの洞窟で確認されない魔物まで出ているらしい。念のためだろうね」
ヴィクトリアは少し考えるように視線を伏せた。
「でしたら、こちらでも避難経路と周辺の村への通達を確認しておくべきではなくて?」
「ああ。それは昨日、父上と話して手配してあるよ。洞窟に近い二つの村には騎士を出した。街道も念のため迂回させている」
エドガーは何事もないように答え、食事を続ける。
向かいでは、ヴィクトリアが口元をナフキンで覆っていた。その口角が、ほんのわずかに上がる。
「……そう」
なぜだろう。先ほどより少し機嫌が良くなったように見えた。
「まあ、レンが戻ってくるなら心配はいらないよ。レンは本当にすごいからね。今や王国一の冒険者だ。それに引き換え僕は……」
言い終えるより先に、ヴィクトリアの眉間に皺が寄った。
「……また、そのようなことを」
「いや、本当のことだよ。レンが僕くらいの歳になった頃には――」
「確かに、レナード様なら仮に貴方様がご自分より優秀でおられても、そのようにひねた考え方はなさらないでしょうね」
「…………」
ピシャリと言われ、エドガーは黙るしかなかった。
静かな食堂に食器の触れ合う小さな音だけが響く。
しばし二人の間に沈黙が落ち、それを破ったのは意外にもヴィクトリアの方だった。
「……それより、昨夜は何時にお休みになったの?」
「え?」
「寝不足気味なのではなくて? お顔の色がよくありません」
「昨日は少し書類が残っていて……でも、大したことじゃないよ」
「大したことがあるかどうかを決めるのは、倒れてからでは遅いでしょう」
「……はい」
またしても叱られてしまった。
「午後からお茶会がありましてよ。それまでに少しお休みになって、きちんとなさって」
「君のお茶会だろう? 僕は別に――」
「貴方も出席なさるのです」
「僕も?」
思わず聞き返したエドガーに、ヴィクトリアは呆れたような視線を向ける。
「ローレンス家の嫡男が、領内の有力者を招いた席に顔も出さず、執務室で書類に埋もれているおつもり?」
「……はい」
「『はい』ではありませんわ。次期当主の自覚をお持ちになって」
エドガーは何も言い返せず、再び黙り込んだ。
そんな彼に業を煮やしたのか、ヴィクトリアは席を立つ。
「では、わたくしは先に失礼いたします」
椅子から離れ、そのまま食堂を出ていくのかと思えば、数歩進んだところでヴィクトリアは足を止めた。
「……それから」
「?」
エドガーが顔を上げると、ヴィクトリアが振り返っていた。
「午後のお茶会、遅刻なさらないでくださいませ。……貴方がいなければ始められませんから」
「……わかったよ」
その返事を聞いて、ヴィクトリアはようやく微笑んだ。
そして見事な礼をひとつすると、そのまま食堂を出ていった。
静けさを取り戻した朝の食堂に残ったのは、エドガーの深いため息だけだった。




