エドガー・ローレンスの憂鬱
エドガー・ローレンスは憂鬱だった。
午後のローレンス辺境伯邸。その一室で、エドガーは父の仕事を補佐するため、机に積み上げられた書類を一枚ずつ処理していた。
窓から差し込む穏やかな陽光とは裏腹に、その胸中は今日も晴れない。
まず、平々凡々な僕が、何故このローレンス家――国境の重要地点に位置する辺境伯の嫡男として生まれてきたのか。
如何せん、僕は小心者で、そんな大事を任されるような人間ではない。大勢の領民の暮らしをどうにかできるような、そんな大人物ではないのだ。
それでも嫡男として生まれてしまった以上、何もしないわけにはいかない。
まずは父の補佐から学ぼうとしてみるものの、やってみればその雑事の多さに驚く。
書類の作成や確認、領地の見回りや接待、領民同士の仲裁。どれもこれも華々しさとは無縁で、ひたすら細かな仕事の繰り返しだ。
そんな地味そのものでしかない仕事に翻弄され、家臣や補佐官からも失笑を買う日々である。
まあ、そのくらいが地味なこの僕には丁度いいのかもしれない。
しかし、この僕とは真逆の存在が我がローレンス家には居る。
五歳下の弟、レンことレナードだ。
思えば、僕は物心ついた時からレンに勝ったことがない。
剣術、魔術、馬術、勉学……全ての面で神童の名をほしいままにした弟は、まだ幼い頃から大人に混ざって魔物討伐に赴き、着々と戦果をあげてきた。
そして若干十六歳の若さで、最年少のSランク冒険者の地位を得た。さらには聖女の護衛にも抜擢されるという快挙を成し遂げた、名実共に英雄である。
何故神は、この弟をローレンス家の長男としてお作りにならなかったのかと、誰もが思うだろう。
否。
他でもない僕が、そう思って止まないのだ。
せめて、この弟を憎めたらいくらか楽だったのかもしれない。
だが、実際は逆だ。
小さい頃から「あにうえ、兄上」と僕の後ろをついて回り、不甲斐ない兄に勝負で勝っても見下すことひとつなかった。
「兄上はすごいな、あの隙の突き方は俺には思いつかない」
そんなふうに、気を遣いさえしてくれる。
実のところ、家族として見る少し抜けた弟のことを、僕は心配でもあり、可愛くさえ思ってしまうのだ。
だからこそ、尚更憂鬱になる。
レンが跡継ぎになると言って、僕を追い出しでもしてくれたら、いっそどんなに心が軽くなるだろうか。
そんなことを考えながら、エドガーは処理を終えた書類を脇へ置き、次の一枚を手に取った。
そして、彼の憂鬱にはもうひとつ、大きな原因がある。
極めつけは、僕の婚約者であるヴィクトリア・アシュクロフト嬢だ。
彼女は、アルディア王国の中央政界でも大きな力を持つ名家、アシュクロフト家の現当主の長女。社交界でもその美貌で知られ、教養も申し分ない女性だ。
平たく言えば政略結婚なのだろうが、正直言って僕にはまったく理解できない。
こんな素晴らしい女性が、なぜ僕のようなつまらない男の元にやってきたのか。
おそらく、彼女もそう思っているのだろう。
いつ話しかけても不機嫌そうで、笑顔の一つも返ってこない。
「その話はおやめになって」
「そんなこともわかりませんの?」
などと叱責されることも多々ある。
もうすでに彼女は伯爵家に居を移していて、あとは結婚するだけなのだが、本当に彼女は僕なんかと結婚して幸せなのだろうか。
考えれば考えるほど、答えは出なかった。
午後の日差しが厚い眼鏡を通って、書類の山の上に小さな光の点を作る。
あぁ。
周りは皆輝いて見えるのに、僕ひとりがまるで灰色の水溜りのようだ。
エドガーは小さくため息をつくと、再び書類のページをめくった。




