ウィロウ村の昼下がり
翌日の早朝。
冒険者たちを乗せた馬車は、いつものようにローレンス辺境伯居城の城門をくぐった。
門を守る衛兵たちは、出発するレンたちへ深く礼をする。馬車はそのまま何事もなく街道へ入り、城壁が十分に遠ざかったところで、セヴランが荷台を振り返った。
「おい、もう出てきても大丈夫だぞ」
荷台の隅。積まれた荷物に掛けられていた麻布が、もぞもぞと動く。
「ふう……」
麻布の下からエドガーが顔を出した。
「うまくいったね!」
カルミラが嬉しそうに笑う。
エドガーは被っていた麻布を脱ぎ、窮屈そうに肩を回した。その姿を見たカルミラが、思わず吹き出す。
「ぷっ! お兄ちゃん、新人冒険者みたい!」
「少し大きいけど……変じゃないかな」
普段の貴族らしい服装とはまるで違う。簡素なシャツに丈夫な上着、動きやすい旅装。いずれも変装のためにセヴランから借りたものだった。
「俺の服だからな。そりゃそうだろ」
「兄上、よく似合っている」
「お前は何着てもそう言いそうだな」
セヴランの呆れた声に、レンは不思議そうな顔をした。
ウィロウ村までは馬車で三時間ほどの道のりだった。
かなりの速度で街道を走っているにもかかわらず、馬車は驚くほど揺れない。しばらく外を眺めていたエドガーは、そのことに気づいて足元へ目を落とした。
「それにしても……ずいぶん飛ばすのに、全然揺れないんだな」
「セヴランが車輪や台座に特殊な機構を取り付けている。だから揺れにくいし、馬も軽く引きやすくて速く走れる」
「へえ……」
感心していると、向かいに座っていたカルミラが身を乗り出してくる。
「ねっねっ♡ それよりお兄ちゃんの、あの美しい婚約者様の話を聞かせてよー♡」
「ええっ?」
「ミラ、失礼ですよ」
すかさずルシエラに窘められ、カルミラが唇を尖らせる。
これから領内の不正を調べに行くとは思えないほど、馬車の中にはいつもの四人の空気が流れていた。
◇
ほどなくして、一行はウィロウ村へ到着した。
川沿いに広がる、鄙びた農村だった。
石造りの建物はどれも床が高く設計されている。周囲の畑や道にも、水が出ることを前提とした工夫が見られた。
村全体が、日常的な増水と共に暮らしているのだ。
その光景を眺めながら、エドガーは昨日のルシエラの言葉を思い出した。
――何もなければ、それが一番です。
何もなければいい。
僕の勘違いであったらいい。
村の入り口では、一人の老女がのんびりと日向ぼっこをしていた。
「あの、すみません」
「おや、旅の人かい。こんな田舎に珍しいねぇ」
「この辺りの水害について聞いているんですが、去年はどうでしたか?」
「そうだねぇ。この近辺はよく水が出るんだけど、ここしばらくは大した被害はないんじゃないかねぇ」
「………」
エドガーは手元の資料へ視線を落とした。
そこには昨年のウィロウ村について、はっきりと記されている。
『水害により農作物四割減』
同様の被害記録は、過去五年間に何度も残されていた。
胸の奥がざわつく。
自分の予感が、望んでいなかった方向へ当たり始めていた。
少し進んだ先では、畑を耕していた農夫にも話を聞いた。
「昨年の水害について伺いたいんですが。この辺りはかなり被害が大きかったと聞いています」
「去年? ああ、水は出たよ。靴が浸るくらいかな。まあ毎年のことだ」
その言葉に、エドガーはわずかに安堵した。
やはり、水害が多いこと自体は間違っていない。
「収穫が四割ほど減ったと……」
「四割!?」
「……はい」
「ないない! そんなに減ったら売るどころか冬も越せねぇよ。麦がちょっと倒された程度じゃなかったか?」
「…………」
その後も、何人もの村人から話を聞いた。
「水が出るって言っても毎年のことだからな。対策はしてある」
「確かに雨季には堤があふれるけど、おかげで畑に栄養のある川の泥がたくさん運ばれてくるの。だからウチの麦は美味しいのよ」
証言はどれも似通っていた。
この土地で増水そのものは珍しくない。
だが、城に残された記録にあるような大規模な水害は、少なくともここ数年は起きていない。
やがてエドガーは、記録上で大規模な護岸工事が行われたことになっている川辺へ向かった。
しかし、いくら周囲を見渡しても、大掛かりな工事が行われた形跡は見当たらない。
近くを通りかかった村人へ、エドガーは声をかけた。
「あの、すみません」
「ん?」
「川沿いで大規模な護岸工事が行われたと記録にありますが……見当たらなくて」
「大規模?」
「はい」
「……あそこのことか?」
村人が指差した先を見る。
石を塗り固めた護岸の、ごく一部分だけが補修されていた。
「…………」
エドガーは手元の資料を見る。
『河岸崩落に伴う大規模護岸復旧工事』
そして目の前にあるのは、わずかに積み直された石だけだった。
目が回りそうだった。
◇
村の入り口へ戻ると、分かれて聞き込みをしていたレンたちも戻ってきていた。
「どうだった?」
「やっぱり農作物はそんなにダメージ受けてないってさー」
「地盤が緩く、水が出やすいのは確かだが、ここ数年は大きな水害には見舞われていないようだ」
「こっちも似たようなもんだな」
セヴランはそう言うと、村の一角を指した。
「ここまで来たんだから、村長とか村の役人にも話を聞いてみたらどうだ? 村長はその角の家だそうだ」
「……うん」
エドガーが村長の家の扉を叩くと、ほどなく初老の男性が姿を現した。
「はい……どちら様ですかな」
「領内の水害について調べているのですが、少しお話を伺えませんか」
「構いませんが……」
エドガーは持参した資料の写しを取り出した。
「これはウィロウ村について書かれた報告書の写しですが、この村の内容で間違いありませんか」
「大規模水害……農作物四割減……? 大規模護岸工事……?」
読み進めるにつれて、村長の眉間に深い皺が寄っていく。
「……他所のものではありませんかな?」
「いえ。ウィロウ村と記されています」
「しかし……昨年、グレンフォードでは何処もそれほど大きな被害は出ておりません」
「何処も……?」
エドガーの表情が強張る。
ウィロウ村だけではない。
「控えならば、簡単にまとめたものを私も保管しておりますが……」
「……見せていただけますか」
「少しお待ちください」
村長はいったん家の奥へ入り、年度の記された薄い冊子を持って戻ってきた。
受け取ったエドガーは、すぐにページを開く。
水害が発生した日付。
浸水した範囲。
農地への被害。
農作物の生産高。
村内での消費量。
商会への売上高。
護岸や堤の損傷箇所。
村から領政府へ提出した補修要請。
――違う。
城で見たものと、数字も内容も違う。
城の記録では大規模な被害とされていたものが、村の控えでは軽微な被害として記されている。
『大規模護岸復旧工事』へ繋がっていた箇所も、村側から提出されたものは一部の石積みの補修要請にすぎなかった。
エドガーの額から、すうっと血の気が引いていく。
――僕の勘違いではなかった。
そう分かった瞬間、安堵より先に吐き気がした。
帳簿の上では、大規模な水害被害として領の金が動いている。
実際には、そんな被害はない。
誰かが、領民の災害を利用して金を動かしている。
しかも自分はこれまで、その書類に目を通してきた立場でもある。
冊子を持つ手が小刻みに震えた。
「僕は……今まで何を見ていたんだ……」
「兄上、大丈夫か」
「大丈夫だ」
「顔色が悪い」
「……」
「エドガー様」
ルシエラが顔を覗き込む。
「過ちを正すことは、時に痛みを伴うものです。でも、大丈夫。わたしたちが最後までお供します」
「……ありがとう」
そのやり取りを聞いていた村長が、驚いたようにエドガーを見る。
「エドガー様……?」
エドガーは少し迷ったあと、村長へ向き直った。
「……申し遅れました。僕はエドガー・ローレンスです」
「なんと……!」
「お願いがあります。僕がここに来たことを、誰にも明かさないでもらえますか」
村長は事情を察したように表情を引き締めた。
「……ローレンスの若様がお忍びでこのような調査とは、何か事情があってのことでしょう。かしこまりました」
「ありがとうございます」
「それから……よろしければ、後ほど村役場の方へもお立ち寄りください。帳簿類を見ていただけるよう、担当官に申し付けておきましょう」
「ありがとう、助かる」
そこで、それまで黙っていたカルミラが明るく口を挟んだ。
「じゃあさ、じゃあさ、さっきランチ出してくれる酒場見つけたの! あそこ行こうよ!」
「お前、たまには役に立つじゃねえか」
「たまにはって何よ!」
「……セヴラン、お酒は調査が終わってからです」
「まだ何も言ってねえだろ」
いつも通りのやり取りに、エドガーの張りつめていた気持ちがほんの少し緩む。
「……兄上、行こう」
レンに促され、エドガーは四人の顔を見た。
そして、わずかに笑う。
「……今日はお前たちと一緒に来てよかったよ。ありがとう」
◇
村の酒場で昼食を取ったあと、一行は村長に言われた通り村役場へ向かった。
中へ入ると、すでに話は通っていたらしい。担当官がすぐに立ち上がり、エドガーたちへ頭を下げる。
「……まずは昨年分の帳簿を見せてもらえますか」
「かしこまりました」
用意された帳簿を受け取り、エドガーはページをめくった。
城で確認した記録と、自分が書き写してきた数字を一つずつ照合していく。
――やはり、違う。
城に保管されている帳簿とは、数字がまったく合わない。
農作物が四割も減った記録などない。
レドモンド商会との取引も通常通り行われている。
そして――。
「……この護岸補修。これで全部ですか?」
「はい。石材費と人足への賃金を合わせて、こちらになります」
「…………」
少ない。
城で見た工事費用と比べれば、明らかに少なかった。
同じ場所を短期間に何度も補修したような記録も存在しない。
「……城に提出したものも、こちらで記入しているのですか?」
「提出用でしたら、こちらです。昨年分はすでに提出済みですので、本年分になりますが」
エドガー「……え?」
担当官が別の綴りを持ってくる。
エドガーはそれを受け取り、恐る恐る開いた。
被害発生日――記入済み。
被害箇所――記入済み。
補修箇所――記入済み。
しかし、その下。
農作物被害――空欄。
施工業者――空欄。
工事費――空欄。
資材調達先――空欄。
金の流れに直接関わる項目だけが、何も記入されていなかった。
「……ここは何故、空欄なんです?」
担当官は特に不思議がる様子もなく、当然のこととして答えた。
「そちらは領政府で記入するようにと言われておりますので」
「……領政府で?」
「はい」
「誰に、そう言われたんです?」
「え……?」
担当官は初めて怪訝そうな顔をした。
エドガーの表情から何かを感じ取ったのか、少し考えたあと、古い書類を探し始める。
「……こちらですね。数年前に城から通達がありまして。それ以降、この様式で提出しております」
差し出された一枚の通達を、エドガーは受け取った。
『今後、復旧工事に関する施工業者、資材調達先及び最終支出額については、領政府にて一括して処理するため記載不要とする』
「…………」
視線が、その下へ落ちる。
『ローレンス辺境伯家 主席補佐官』
そのさらに下には、ひとつの印。
そして、領政府の正式な印が押されていた。
「何か問題がございましたか?」
担当官の声が、ひどく遠く聞こえた。
身体が震える。
見覚えがある。
何度となく目にしてきた印だった。
「この通達は……一体、誰が」
「ハーグリーヴス様です」
「……ハーグリーヴスが?」
もう一度、通達へ目を落とす。
『ローレンス辺境伯家 主席補佐官』
幼い頃から、父の傍らにいた。
自分が執務を手伝うようになってからも、ずっと傍にいた。
分からないことがあれば教えてくれた。
困った時には助言をくれた。
そして今回も、自分が最初に疑問を打ち明けた相手だった。
その下に押された印を、エドガーは知っている。
何度となく見てきたものだった。
見間違えるはずがなかった。




