エドガーの違和感、レンの即答
その夜。
視察から戻ったエドガーは執務室へ入ると、数日前に自分で書き写した資料の束を取り出した。
ウェルナー資材商会。
ブラントン土木工房。
レドモンド商会。
グレイヴス建設社。
昼間の視察中も、頭の片隅にはずっとこの四社のことがあった。
それぞれ形は違うものの、いずれもアシュクロフト家と関わりが深いことまでは分かっている。
「……それぞれがアシュクロフト家と繋がっていることは分かった。でも、この四社同士に繋がりはあるのか?」
呟きながら資料棚の前に立ち、しばらく考える。
「……工事ごとの支払記録を見ればいいんだ」
まず手に取ったのは、グレイヴス建設社の資料だった。
確かにウェルナー資材商会への支払いは多い。しかし、それ以外の資材商への支払いも大量にある。
「……あれ?」
思っていたものとは違う。
肩透かしを食らったような気分で、エドガーはもう一度帳簿を確認した。
ブラントン土木工房についても同じだった。
ウェルナー資材商会やレドモンド商会との取引は多い。だが、アシュクロフト家とは特に関係のない業者も数多く使われている。
「確かに取引は多い。でも……この程度なら普通なのか?」
さらに資料を読み進めていく。
気になる箇所を見つけるたび、まるでその疑問を打ち消すように、もっともらしい理由が添えられていた。
遠方のアシュクロフト領から資材を仕入れている件については――。
『当該年度、領内採石場において採掘量減少のため、工期確保を目的として外部調達を実施』
グレイヴス建設社が何度も施工を受注している件については――。
『緊急復旧につき、過去の施工実績および即応可能な人員数を考慮して選定』
短期間のうちに同じ箇所を再び工事している件についても――。
『想定を上回る増水により前年度施工箇所が再損壊』
「これも、これも……説明はつく。でも………」
どれも、それだけを見れば不自然とは言い切れない。
自分が何かを疑っているから、普通の取引まで怪しく見えているだけなのだろうか。
それでもエドガーは手を止めず、四社の記録を一つずつ見比べていった。
やがて、ある項目で指が止まる。
「……この『借入』項目……金融会社が四社ともすべて同じだ」
そこに記されていたのは――『ハルフォード商業金融社』。
ベルフォードの町にある老舗の金融会社だった。
エドガーはその名を手元の紙へ書き留める。
「明日は、この会社の記録を見てみよう……」
◇
翌日。
エドガーが執務室へ入ると、いつもの書類の脇に、見出しのついた資料が山のように積まれていた。
「若様、おはようございます」
「おはよう。この資料は?」
「若様がお調べの件について、関連すると思われる資料を集めておきました」
「そうか……ありがとう」
ハーグリーヴスが気を利かせてくれたのだろうか。
エドガーは席へ腰を下ろし、資料へ手を伸ばした。
そこで、ふと止まる。
――そうだ。その前に。
近くにいた事務官を呼び止めた。
「ハルフォード商業金融社の会社概要を探してほしいんだけど。できれば出資者について分かる資料も」
「承知いたしました。お待ちくださいませ」
事務官がその場を離れる。
その瞬間、先ほどエドガーへ声をかけた補佐官の手が、ほんの一瞬だけ止まった。
だが、エドガーは気づかなかった。
しばらくして、事務官が申し訳なさそうな顔で戻ってくる。
「若様、申し訳ございません。ハルフォード商業金融社の資料ですが、現在、財務部門で使用中とのことで……」
「財務部門で?」
「はい。そちらにも問い合わせたのですが、本日は担当官がお休みを頂いております」
「……そうか。わかったよ」
「申し訳ございません」
「いや、君が謝ることじゃない。ありがとう」
事務官を下がらせ、エドガーは再び机へ向かった。
用意されていた資料を一つずつ読み始める。
必要な見出しがつけられ、関連する年度まで綺麗に整理されている。
あまりにも、よく揃っていた。
――そういえば。
エドガーはふと手を止めた。
僕は今日、何を調べるつもりなのか、誰かに話しただろうか。
そんな疑問が一瞬浮かんだものの、すぐに思い直す。
これまで自分が調べていた内容は、ハーグリーヴスにも相談している。昨日までの調査内容から、次に必要になりそうなものを見繕ってくれたのだろう。
そう考え、エドガーは再び資料へ目を落とした。
◇
夕刻。
人の姿もほとんどなくなった執務室で、エドガーは机いっぱいに広げた資料を前に頭を抱えていた。
――おかしい。
数日前に自分で書き写した紙を取り出し、現在の資料と並べる。
ウィロウ村周辺の河川工事費。
指で数字を追い、何度も見比べる。
――違う。
先日、自分が書き写した数字と、今ここにある資料の数字が合わない。
決して大きな違いではない。記録全体を覆すほどの差でもない。
だが、確かに違っている。
「…………」
自分の手書きの数字を見る。
もう一度、資料を見る。
――僕が書き間違えたのか?
そもそも最初から、何もなかったのではないか。
自分が勝手に数字を結びつけて、そこに何かあると思い込んでいるだけなのではないか。
エドガーは額へ手を当てた。
けれど、最初に感じた違和感が頭から離れない。
農作物の被害報告と、商会の買付高の差異。
被害状況と噛み合わない橋や河川の工事。
被害のない時期に行われた工事。
短期間で繰り返される同じ場所の修復。
そして、グレンフォード地方の事業へ何度も現れるベルフォードの業者たち。
――違う。
あの感覚は嘘じゃない。
自分の書き写した数字が間違っている可能性はある。
自分の推測が間違っている可能性だってある。
それでも――だからといって、確認しなくていいことにはならない。
現に、ここで数字が合っていたとしても、何ひとつ分かってはいないじゃないか。
エドガーは机いっぱいに広がった資料を見渡した。
何を見ても説明がつく。
何かを調べようとすれば、その資料だけが見られない。
代わりに、疑問を打ち消すための資料はいくらでも出てくる。
そして、以前見たはずの数字と、今目の前にある数字すら一致しない。
「……駄目だ」
小さく呟いた。
「ここにいて、書類ばかり調べていても何の意味もない……」
必要なのは、書類ではない。
実際の川。
実際の橋。
実際の畑。
そして、そこに暮らしている人々。
自分の目で見なければ分からない。
――現地に行かなければ駄目だ。
しかし。
エドガーは椅子の背にもたれた。
グレンフォード地方への視察は、すでに父から止められている。王都から来た監理官への対応も続いている。
正式に日程を組もうとすれば、また止められるだろう。
では、どうする。
その時だった。
静かだった廊下の向こうから、賑やかな話し声が聞こえてきた。
「はーぁ、おなかへったー!」
「だからあんな扉、放っときゃよかったんだよ……」
聞き覚えのある声に、エドガーは顔を上げた。
◇
同じ頃、レンたち四人は遅い時間になって、ようやくローレンス辺境伯居城へ帰還したところだった。
先日発見した扉の奥を、念のため確認することになったのだ。
しかし、階段を降りた先は迷路のように入り組んでおり、予想以上に広かった。このまま調査を続ければ帰還がさらに遅くなるため、今日のところは途中で切り上げてきた。
「何もないことを確かめる。それが確認するということです」
ルシエラが言うと、セヴランは疲れた顔で返す。
「何もないことを確認するために半日歩き回る羽目になったんだけどな」
「夜の当番をしている者がいるはずだ。簡単に何か食事を用意してもらおう」
レンがなだめるように間に入る。
「さんせーい!」
カルミラが勢いよく手を上げる。
四人が廊下を歩いていると、右脇の扉が静かに開いた。
足を止めた四人の前へ、エドガーが姿を現す。
その顔には、ここ数日の疲労が滲んでいた。
「あれーっ? お兄ちゃん。どしたの?」
「兄上、こんな遅くまで仕事か?」
「……レン……」
「どうした? 兄上」
エドガーは口を開きかけた。
けれど、一度閉じる。
まだ、何も確証はない。
自分の勘違いかもしれない。
そんなことでレンだけでなく、その仲間たちまで巻き込んでいいのだろうか。
これまでなら、きっとここで引き下がっていた。
もう少し自分で調べてから。
もう少し確かなものを見つけてから。
そうやって、また一人で抱え込んでいただろう。
けれど――もう一人では、確かめることすらできない。
エドガーは小さく息を吸った。
「……少し、頼みたいことがあるんだ」
◇
しばらくして。
五人は執務室の大テーブルを囲んでいた。
エドガーはこれまで自分が調べてきたことを、順を追って四人へ説明した。
グレンフォード地方で繰り返されている水害。
農作物の被害報告と、商会による買付高が一致しないこと。
被害状況と噛み合わない河川工事。同じ場所で短期間に繰り返される工事。
ベルフォードの複数の業者とアシュクロフト家との繋がり。
さらに、それらの業者すべてがハルフォード商業金融社から借入を行っていたこと。
そして、調べようとするたびに必要な資料が見られなくなり、以前自分で書き写した数字と、現在残されている記録まで食い違い始めていること。
一通り話を聞き終えると、レンは迷いなく言った。
「わかった」
「お前、本当に分かったのかよ。けっこうややこしい話だったぞ」
セヴランが呆れたように横を見る。
「話の内容はどうでもいい。兄上が必要とするなら動くまでだ」
「やっぱ分かってねえな」
あまりにもレンらしい返答に、セヴランがため息をつく。
「無理を言ってすまないね……もうここに居ても、身動きができない状態になってしまっていて……」
「……なるほどな」
セヴランはテーブルの資料へ目を落としながら、頭の中で話を整理する。
「要するに、城にある記録が信用できないから現物を見たい。だが、あんたが正式に視察を申し出れば止められるってわけか」
「……うん。そういうことだ」
「なら、確かに伯爵家の馬車で堂々と行くわけにはいかねえな。どこへ行くか宣伝しながら歩くようなもんだ」
「そうなんだ……」
エドガーはテーブルの上で手を組んだ。
「僕の勘違いかもしれないとは、自分でも思うんだ。僕が書き写した数字を間違えているだけかもしれないし……調べたことだって、全部ただの偶然なのかもしれない」
その言葉を聞いたルシエラが、静かにエドガーを見る。
「エドガー様」
「……?」
「行ってみて何もなければ、それはそれで良いことです」
「……」
「不正もなく、領民の方々が報告通りに暮らしていると確認できるのでしたら、それが一番ではありませんか?」
「……そうか」
エドガーは少し目を伏せた。
これまでずっと、自分の疑いが間違っていることを恐れていた。
もし間違っていたら、余計なことをして周囲を振り回しただけなのではないか。
そう思っていた。
けれど――何もなければ、それでいいのだ。
「……そうだね。何もなければ、それが一番だ」
「ええ。ですから、是非わたしたちに協力させてください」
レンも頷いた。
「では行こう。ウィロウ村へ」
その声に答えるように
ぐぅ~~~~。
静かな執務室に、妙に大きな音が響いた。
「…………」
全員の視線が、一斉にカルミラへ向く。
「あれ、えへへ……お腹空いちゃって……」
「……ぷっ」
エドガーの口から、思わず笑いが漏れた。
「あははは……」
ここ数日ずっと胸の奥に張りつめていたものが、ほんの少し緩んでいく。
「もー、お兄ちゃん笑わないでよぉ!」
「ごめん、ごめん……」
そう言いながらも、エドガーは笑っていた。
そしてようやく、自分の腹にも空腹感があることに気づく。
「……僕もお腹が空いたよ。何か夜食を用意させよう」
「やったー!」
「結局そこかよ」
張り詰めていた執務室の空気が、ようやく少しだけ和らいだ。




