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エドガー・ローレンスの憂鬱  作者: ヒナツキスバル
第二章 見えざる敵の手
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ハーグリーヴスの誤算

 早朝。


執務室の扉が、勢いよく開いた。


「ハーグリーヴス様……!」

室内にいた補佐官たちが一斉に立ち上がり、頭を下げる。


しかし、足早に入ってきたハーグリーヴスの顔に、いつもの鷹揚な笑みはなかった。

鋭い視線で室内を睨め回し、そのまま低い声を落とす。


「……アシュクロフトから伝令だ」

「アシュクロフト家から……?」

「若様が、グレイヴス建設社のことを調べているらしいとのことだ!」


補佐官たちの間に緊張が走った。

「なぜ先方がそれを……?」

「知らん。だが、向こうが知っている以上、事実と考えた方がいい」


苛立ちを隠すことなく、ハーグリーヴスは机へ手をついた。


「農務報告も、河川工事の記録も動かしたはずだ。商会の買付報告もだ。どこからグレイヴスまで辿った?」


補佐官たちが互いの顔を見合わせる。


農務報告、河川工事記録、商会から提出された買付報告。エドガーが何を見て、どこまで調べていたのかは把握していた。そのうえで必要な資料を別の部署へ回し、倉庫整理に紛れ込ませ、すぐには閲覧できないよう散開させてある。


それでも、エドガーはグレイヴス建設社へ辿り着いた。


やがて一人の補佐官が、何かに気づいたように顔を上げた。

「……商取引の記録では?」

「何?」

「ベルフォードの業者別取扱高です。若様が以前ご覧になった資料には含まれておりませんでしたので……そちらまでは移動させておりません」


「…………」

ハーグリーヴスは黙り込んだ。


あの日、若様から聞き出した資料はすべて把握した。


どの資料を見たのか。

何年度まで遡ったのか。

そのうえで、次に若様が確認しそうな資料を散開させた。


だが――若様は、それを追わなかった。


閲覧できなくなった資料に固執することなく、まったく別の場所からベルフォードの業者を辿ったのだ。


「……まだこの中にあるはずだ。捜せ。グレイヴスだけではない。関連する業者の記録もすべてだ」

「はい!」

補佐官たちが慌ただしく動き始める。


その姿を睨むように見つめながら、ハーグリーヴスは奥歯を噛んだ。


 

――ローレンス領を動かしてきたのは誰だ。


当主ではない。

ましてや、あの気弱な若様でもない。


私だ。

主席補佐官である、この私だ。


ハーグリーヴス家は代々ローレンス家に仕えてきた。

父も、祖父も、そのまた父も。

何代にもわたって主家を支え、領政の実務を担ってきた。


それなのに、いつまで経ってもハーグリーヴス家は『忠実な補佐官』のままだ。

どれほど『主席』と飾り立てようと、所詮は補佐官。

土地ひとつ、自分たちのものにはならない。


長い年月をかけて、ハーグリーヴスはグレンフォード地方の川沿い一帯に、アシュクロフト家へと繋がる利権構造を作り上げてきた。


水害と復旧工事。

資材の調達。

業者への発注。


そこから生まれる利益の一部をアシュクロフト側へ流し続け、その見返りとして約束を取り付けた。


将来、その一帯がアシュクロフト家の影響下へ入った暁には、統治をハーグリーヴス家へ任せる、と。


いつかハーグリーヴス家が、誰かに仕えるだけの家ではなくなる。

その日のために、長い時間をかけて築き上げてきたものだった。



「ハーグリーヴス様、でしたら資料を処分してしまっては……?」

補佐官の言葉に、ハーグリーヴスの目が冷たく細められた。

「誰が処分しろと言った」

「……っ」


「今まで存在していた資料が、若様が調べ始めた途端に消えればどうなる」

「……」

「そこに何かあると、自分から教えるようなものだろう」


「……申し訳ございません」

「消すのではない。混ぜるのだ」


補佐官たちが一斉に顔を上げた。


「良いか。若様がご覧になる資料はこちらで選べ。虚偽だけを並べるな。八割は本物でいい。残り二割で辻褄を合わせろ」

ハーグリーヴスは淡々と言い放つ。


「数字というものは、全部が嘘だから疑われるんだ」



しばしの沈黙の後、一人の補佐官がおそるおそる口を開いた。

「しかし……若様が、グレイヴス建設社まで辿られるとは」

「……私も驚いている」


それは偽りではなかった。



幼い頃から、気の弱い子だった。

人に強くものを言えず、弟と比べられれば曖昧に笑って引き下がる。


頭が悪いわけではない。

むしろ、書類を読ませれば人並み以上によく気がつく。それは昔から知っていた。


だが、あれなら御しやすい。

当主となったところで、実務はこちらへ任せるだろう。

自分の判断に自信が持てなければ、最後には長年ローレンス家に仕えてきた主席補佐官を頼る。


――そう思っていた。

しかし。


「……あの若造。案外、鼻が利く」


これまで自分が見せてきたものだけを見ていた若様が、初めて自分の想定した道筋から外れた。


ハーグリーヴスは机から手を離し、補佐官たちを見回した。

「それから、若様が誰と話しているか把握しておけ」

「監視をなさるのですか?」


「馬鹿を言え。若様は我々の主だ」

口ではそう言いながら、その表情には敬意の欠片もない。


「ただ、何かお困りなら、すぐ私が手助けできるようにしておけと言っている」


「……承知いたしました」


「特に……レナード様だ」

「レナード様も、ですか?」

「あの方は領政には興味がない。今のところはな」


レナードが仲間たちとともにローレンス家へ滞在していることは、ハーグリーヴスも把握している。


領政に口を出す様子はない。今のところ、今回の件に関心を持っている気配もなかった。

「だが、若様が何を相談するかまでは分からん。念のためだ」


「はい」

「それから本日、若様は外部へ視察に出られている。戻られるまでに整えろ」

「本日中に、ですか……?」


ハーグリーヴスの視線が補佐官へ向く。


「何か問題があるのか?」

「……いえ。ございません」


「いいか。資料を消すな。若様の行動を止めるな」

補佐官たちは黙って次の言葉を待った。


「動く前には必ず私へ報告しろ。勝手な真似はするな」


「承知いたしました」


ハーグリーヴスは低い声で続けた。


「――若様が、自分で諦めるように仕向けろ」

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